公共の場では「私」、私的な場では「俺」または「僕」と、流暢に使い分けるのが、もしかして「大人の基準」なのかもしれないが、なかなかそれは難しい。
学部生時代、なんでも理化学研究所とかいうたいそうなところから引き抜かれて来た教授の授業を受けた時の話だ。すらりと背格好も高い彼は、多少新米という所からも来ていたかもしないが、うち解けた場面でも替わることなく「私」を使っていた。
そんな彼が、授業でめずらしく自分の家族の話を例え話として出したときだ。
「僕の姉ちゃん」
これはかなりのレアものだ、「僕のお姉ちゃん」。家族の話に入った時点で、彼の頭の中でアットホームモードに回路がカチッと切り替わってしまったのだろう。授業はそのまま姉のことを「僕の姉ちゃん」と呼ぶモードで進行していくのだが、話しているうちに彼が途中で彼はビクッ!と反応したのを僕は見逃さなかった。その当時の彼の脳内会話を推察すると、おそらくは「いかん!、こんな砕けた話し方は授業では不適切だっ!」と気がついたのだろう(いや、授業をまともにしてくれるなら、どっちでもいいんですけどね)。問題はそれからである。
「私の姉ちゃん」
???一瞬耳を疑った。いや、本当に聞き間違いかもしれない。もう一度、注意深く聞いてみる。
「私の姉ちゃん」
やっぱ言ってる。
推察するに、おそらく彼は一人称が「僕」になっているところまでは気がついたのだろう。気がつき、それを治すところまではよかった。だが気が動転するあまり、後ろの「彼女」がおかしなことになってることまでは手が回らなかったようだ。おお、まさにプチ公私混同。
慕われていた彼の授業は、学生も騒ぎ立てることなく黙々と板書を映している。
シーンとした教室に、彼の「私の姉ちゃん」という言葉が、寂しく響いていたのであった。
inspired by http://anond.hatelabo.jp/20080405124640