いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

大掃除考


実家に帰って、大掃除という名目でガラクタにうずもれた自分の部屋をかき回す。
他人からすれば、もはや「ミニミニ平和島」にしか見えない六畳あまりの床。CDやMD、マンガが積み上げられることで形作られた山々。
僕の掃除が人一倍時間がかかり、かつそんなに成果が上がらないのは、整理している間に、整理している当のCDやMDを聞いたり、マンガを読んでしまうからだ。本人にとっても、物品にとってもそれは、捨てるか否かの判断するためにしているから、アウシュビッツに連行されたユダヤ人にとっての、連れて行かれる先にあるのがガス室か否かと同じくらいに重要な作業なのだが、そのうちに掃除や整理なんてどうでもよくなってきて、それを楽しむことに没頭してしまうのだ。それに僕のコレクションは、多くの人もそうかもしれないが大掃除の段階になってはじめて使ってみるものも多い。だからなおさら時間がかかる。

ジジェクはテレビは見ないで録画しておくだけでよい、みたいなことを書いていた。あれは確か、象徴ネットワークの話の関連でいっていたが、それは別の意味でも正しい。テレビもラジオも録画しておくだけでよいし、マンガも本も読まずに本棚に突っ込んでおけばよいのである。いずれ、未来の「大掃除をする僕」がつかってくれるのだから。

でもこれは一見すると、奇妙なメカニズム(?)であるのがわかる。
少なくとも僕の場合は、集めたコレクションの多くが、大掃除の段階まで使用されることはない。でもその当の大掃除は、コレクションが集まらない限りする必要のないのだから、いうならば、大掃除は集めたコレクションのためだけにするといっていいし、コレクションは大掃除をするためだけに集めているといっていいのである。どうだこの、コレクションと大掃除との、すばらしく完結した関係性。


そうすると最初から集めなければいい話だし、「なんでそんなもの集めてんの?」という女性一般の持つ男に対する疑問もうなずける。それは今に始まったことじゃない男と女の古典的な対立図式なのだけど、なぜ集めてんのかは本人にだってよくわからないのである。