いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

意識の高い「本気主義」が嫌い

家入氏のタイムラインを眺めていたらこんなツイートが。

はい、本当にそう思います。詐欺などと言われてますが、一人でも多くの学生を救えたらと本気で思っています。また機会がありましたら是非お話させてください。RT @kirik: 同感です もっと早く貴殿と手を取り合えていたらと思うと残念でなりません。私が言わなくても貴殿は前に

https://twitter.com/hbkr/statuses/205683863010287616?tw_i=205683863010287616&tw_e=details&tw_p=tweetembed

これにはピンと来るものがあった。非公式RTの相手がここ数年ネット界のドン・キングとしてほとばしる才気を爆発させるやまもといちろう氏で下手に切り返せないとみたのか何か言ってるようで何も言ってない返事なのはさておき、ここでは「本当に」「本気で」と二度も書かれあたかもその気持ち自体が重要であるかのように念を押されている。
他人のツイートひとつ取り上げて鬼の首とったように書くのもなんだけれど、ここにはぼくが最近考えたことと何か符合するものがあった。



突然だが、みなさんは本気主義というものを知っているだろうか?
「物事に本気でとりくんだならよし」「本気ならばたとえまちがった行いでさえ免罪される」という考え方だ。
ぼくはこの主義が、今世の中に、特に若い世代のあいだではびこってるんじゃないかとにらんでいる。


マンガを例にとろう。
ぼくは熱狂的なハンターハンターファンだが、どうしても許せないことが一つだけある。それは主人公ゴン=フリークスの性格だ。ゴンは純粋(というか天然)な性格で自分の思うがままに行動し、それで成功することもあるが失敗することもある。自分に非があるとき彼は度が過ぎるくらい反省するが、結果的にマンガ全体は彼のまちがった行動を、あたかも「本気に免じて」許していやしないだろうか。

ぼくはこうした展開だけは、好きなマンガにもかかわらず異常なほどムカっ腹がたってくる。

だって、行動というものは本気かどうかではなくそれの起こす結果によって判断されるべきじゃないか。
なにごとも結果がすべてだ。
と、こういう結果主義は、マンガのなかでは主に敵キャラクターに語らせる常套句となっている。多くのマンガのなかでは、結果主義は本気主義の前に駆逐される役回りしかもらえない。


で、冒頭の家入氏の話に戻る。
一説によると、彼は意識の高い学生諸兄の教祖的存在で、多くの尊敬を集めているらしい。
一方、そんな意識の高い学生の好きそうなマンガの第一位は、なんといっても冒険マンガ『ONE PIECE』だ(この文言には多分に憶測が含まれております)。
ジャンプで2000年代をとおして「ハンタ」とツートップをかざってきたこの「ワンピ」だが、ぼくは連載途中(クロコダイルあたり)からずっと意識的に距離をとってきた。
というのも、このマンガの本気主義含有量がハンタより高いのは明らかで、読みながらムカムカしてきてしかたないからだ。不快な思いまでしてマンガを読む必要はないから避けてきた。
そう、つまりここで、この三つの要素――家入氏、意識の高い学生諸兄、ワンピース――は、ぼくの仮説の中で本気主義というくさびによって「ひとつなぎの大秘宝」として〓がってしまったのだ。



ここで、本気主義の成り立ちについて、少し考察しておきたい。
本気主義が古来からあったのかというと、ぼくはそんなに古いものではないんじゃないかと考えている。
先日の岡田斗司夫『フロン』の書評で、「自分の気持ち至上主義」をとりあげた。何を隠そう「本気主義」はこの「自分の気持ち至上主義」の亜型にすぎない。
前の記事でも書いたからあまり繰り返さないが、情報革命によって自分が膨大な大衆の中のone of themにすぎないことに否が応でも気づかされることになる現代人は、客観的な価値ではなく、「唯一無二の自分」を深く愛することのできる人を羨望し、自分もその人のようになりたいと強く思うことになる。
これが「自分の気持ち至上主義」≒「本気主義」の成り立ちだ――脱線するが、この『フロン』とその前の『ぼくたちの洗脳社会』は、社会思想本としてマストであり、より多くの人に読み継がれることを願っている。



言うまでもないが、本気主義には重大な欠陥がある。
それは「折れることができない」ということだ。本気主義においては、相手との妥協や調停というのは、それだけで「悪」になる。普通はどんな○○主義にも、その○○の達成のために少しは妥協するという選択肢がある。けれど本気主義はちがう。本気主義は曲げないこと、妥協しないことそのものが自己目的化してしまっているからだ。しかも、過去の「折れなかった」という「実績」は、さらなる強力な本気主義を助長することになる――ただし、致命的なミスを犯すまでは…。

家入氏の「本気」に惹かれ彼を信望する意識の高い学生たちは、もちろん彼ら自身も「本気」を曲げないのだろう。意識の高い本気主義である。たとえ意見の異なる人と出会っても、譲ることはない。面従腹背か無視を決めてやりすごす。やがて彼ら本気主義者だけでいっぱいになった海賊船は、反対者(あるいは結果主義者)という羅針盤を失い、遠いどこかの海で消息を絶つ……かはまだよくわからないが、ぼくにはあまり明るい未来は描けない。