いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

連休はこれ観とけ! Netflix・アマプラで観られる厳選映画16選【ドキュメンタリー編】

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今日から年末年始の休みという人も多いということで、ガラにもなくこういう記事を作ってみた。「いかがでしたブログ()」とバカにしていたのだが、いざ自分で選んで、紹介文も書いていたら時間はかかるはめちゃくちゃしんどいはで、すべてのまとめ記事作成者にここで謝罪したい。今までバカにしてごめんね!

ということで、自分が観た映画で面白かったもの、観るべきもの、観る価値があるものを、Netflix(【NF】)かアマゾンプライム・ビデオ(【AP】)で無料で観られる作品にしぼり、 芸術・カルチャー系政治・経済系、事件・騒動系の3ジャンル別に紹介したい。

アマゾンプライム・ビデオについてはリンク先からそのまま観られます。

■ 芸術・カルチャー系

(1)サイケの世界 ~スターが語る幻覚体験~【NF】

スティング、キャリー・フィッシャー、ベン・スティーラーらが、LSDを始めとする幻覚剤の体験談を赤裸々に語る。ハイになったとき、彼らには一体何が起きているのか? スティングの「キマった状態でのハレー彗星はすごい」など笑えるキラーワードも続々飛び出すので楽しい。

頭ごなしに否定するのではなく、経験者の話をきちんと聞こうというスタンスなので、「キマっているときは自動車を運転するな」「キマっているとき自分を鏡で見ないほうがいい」といった実践的なアドバイスもある。これこそ「地上波でできない番組」。

硬軟のバランスも絶妙で、精神疾患者への一部治療に有効で見直され始めている、という近年のトレンドもまじめに伝えている。


(2)オクトパスの神秘:海の賢者は語る【NF】

観る前「硬そうな動物ドキュメンタリーだな」→観た後「いい恋愛映画だった!」。

目標を見失った失意の男が海中で出会った“彼女”との1年を追ったドキュメンタリー。…いや、彼女といってもマダコなのだが。

毎日、“彼女”が住む海に潜り、会いに行っていたというのだからすごい。もう恋愛じゃん。驚くべきは、タコの側も彼を認知していたように見えるところだ。タコってこんなに頭がよかったんだ。タコでこんなに感動するとは思わなかった。

 

(3)ドーンウォール【NF】

著名なクライマー、トミー・コールドウェルが、ロッククライミングの聖地エル・キャピタンという巨大な岩の中でも超難関ドーンウォールというルート制覇のプロセスを追った作品。

挑戦のパートナー、ケビン・ジョージソンとの友情がアツいメインのクライミング部分ももちろん面白いのだけど、それに至るまでのトミーさんの生い立ちがなかなかヘビーだ。こんな大変な思いをして、すごい挑戦をしている。そしてそれを俺は家で寝転んだままボーっと眺めている。人類の多様性!

過去に詳述。


(4)VHSテープを巻き戻せ!【AP】

VHSテープを巻き戻せ!

VHSテープを巻き戻せ!

  • メディア: Prime Video
 

 現在30オーバー世代は懐かしさでたまらないはず。いまや完全に旧メディアであるVHSの思い出と魅力について、さまざまな人々が語った作品。

レンタルビデオは「おっぱいが出るシーン」と「人が爆発するシーン」をみんなが繰り返し観るからその前のシーンが擦り切れて画質が悪化する、というどうでもいいけど面白いトリビアも学べる。

過去に詳述。

 

■ 政治・経済系

(5)ラッカは静かに虐殺されている【AP】

ラッカは静かに虐殺されている

ラッカは静かに虐殺されている

  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: Prime Video
 

今年観たドキュメンタリーの中で、ある意味一番怖かったかもしれない。イスラム国に占領されたシリアの首都ラッカ。そこで生まれ育った者たちが、イスラム国の残虐性と、ラッカの現状を伝えるために作った報道機関「ラッカは静かに虐殺されている」を追った作品。

報道が反逆とみなされ、記者だとバレたら即死につながる状況で、故郷のために戦う人々。イスラム国に名指しで暗殺予告を出された記者が、鼻で笑っていた姿が印象的だ。

なんといっても、イスラム国が反逆者を公開処刑していく様は普通に使われており、衝撃的。これを観ると、もはやイスラム国は欧米と第三世界という構図ではとらえきれないと直感的に分かる。ただただ邪悪な集団だ。


(5)あるスパイの転落死【NF】

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エジプトの高官でありながら、敵国イスラエルのスパイとして暗躍してアシュラフ・マルワンの謎に満ちた生涯を追う。

マルワンには「二重スパイ」疑惑、つまり、イスラエルのスパイ、のフリをしてやっぱりエジプト側だった、という説もあるということ。

本当はどちらなのかはまだ決着が付いておらず、おもしろいのは、エジプトとイスラエルのどちらもが、未だに彼を国のヒーローとして持ち上げていることだ。彼は実際何者だったのか? そして彼の死の真相は?


(6)すべてをかけて:民主主義を守る戦い【AP】

すべてをかけて:民主主義を守る戦い

すべてをかけて:民主主義を守る戦い

  • 発売日: 2020/09/18
  • メディア: Prime Video
 

邦題はもうちょっとなんとかならなかったのか…ということなのだが、内容はそれを超えて価値があった。

先日のアメリカ大統領選挙では「不正投票」が取り沙汰されていたけれど、本作は、マイノリティや貧しい人が、政策を通して合法的に投票し辛づらい状況に追い込まれている「投票抑圧」の問題を扱っている。背景には形を変えた人種差別があるのではというのが作品の見立てだ。

「不正投票」を問題視するならば、この「投票抑圧」の問題を扱わなければ片手落ちだろう。

 

(7)一人っ子の国【AP】

一人っ子の国 (原題 - One Child Nation)

一人っ子の国 (原題 - One Child Nation)

  • 発売日: 2019/08/09
  • メディア: Prime Video
 

子どもの頃に社会科で習った中国の一人っ子政策。本作は「国民の再生産を無理やり調整しようとしたら、どういうフリクションが起きたか」という克明なリポート。「これからは1人しか生むなよ」と言われたとて、当然「わかりました。では1人しか生みません」と全国民が従っていたわけではなく、政策実現のために裏でいろいろエグいことが起きていたわけだ。ぼくみたいに知識だけは知ってたけど…という人は衝撃を受けるだろう。

 

(8)私はあなたのニグロではない【AP】

私はあなたのニグロではない(字幕版)

私はあなたのニグロではない(字幕版)

  • 発売日: 2018/11/03
  • メディア: Prime Video
 

アメリ黒人文学の巨匠ジェームズ・ボールドウィンの原作の映画化。ボールドウィンの盟友であり、30代の若さで暗殺された公民権運動のリーダー・メドガー・エヴァース、マルコムXキング牧師の生き様を追いながら、60年代の公民権運動から現在のブラック・ライブズ・マターに至るまで、同国の人種差別と暗殺の歴史に迫る。

現代の映像に、ボールドウィンが遺した散文が差し込まれるシーンが印象的。この映画が言いたいことはとても明確だ。「差別は依然として、何も変わらないままそこにある」。


(9)13th 憲法修正第13条【NF】

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タイトルでもあるアメリ憲法の修正第13条とは、奴隷制の廃止を謳った条項だ。しかし、その条項には「犯罪に対する刑罰として当事者が適法に宣告を受けた場合を除き」という条件が付随している。本作が注目しているのは、むしろ条件の側だ。

本作は奴隷制廃止後、産業の要請によって、囚人という形を変えた奴隷制によって黒人を虐げてきたアメリカ史を追うドキュメント。

(9)と同様に今現在、世界で起きていることの深層を知るために重要な1作。ぼくは一応NFの泡沫株主でもあるのだけれど、これを観終えたときに、この会社の株を持っていることが誇らしくなった。

 

(10)監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影【NF】

ツイッター民、いや、全SNSユーザーが刮目すべき一作。テック業界で活躍してきた、いわばSNSの創造主たちが「SNS危険! 規制すべき!」とみなで警鐘を鳴らしているさまそれ自体が、事態の深刻さを物語る。「無料のサービスを使うとき、商品になっているのはあなた自身だ」という言葉は至言だ。

SNSはあなたをどうやって操作しているか」を、擬人化して少し滑稽な寸劇で解説してくれている。かつて『メディア・レイプ』という本が流行ったが、今や、同じことをソーシャルメディアはより緻密に、より狡猾に仕掛けてきているんだなあ。 

 

■ 事件・騒動系

(11)FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー【NF】

アメリカのウェイ系はスケールがちがう。あるベンチャー起業家がぶち上げた、史上最大の野外音楽フェスの計画が、無責任なセレブたちによって拡散していった先で、無様に頓挫する、その一部始終を関係者の証言を元に解明していく一作。

起業家の壮大な夢と、あまりにも拙い計画性のギャップを、「こういうの、どこの国にもあるのね」と思いながら観てしまった。悲惨な現場猫たちの物語としても泣ける。劇映画の『ソーシャル・ネットワーク』が好きな人が観ておいた方がいい。

過去に詳述。


(12)スクリューボールMLB薬物スキャンダル~【NF】

アメリカの大リーグに激震が走った、一大スキャンダルのプロセスを追った作品。

再現映像で当事者たちを演じているのが全員子役に演じさせているのが秀逸。「こいつらがやってたことはそれぐらい稚拙で幼稚で馬鹿馬鹿しいことなんだよ」というのがよく伝わってくる。

 

(13)アメリカン・マーダー:一家殺害事件の実録【NF】

アメリカのある一般家庭で起きた殺人事件を追った一作。

特徴は、被害者である嫁自身がSNSで公開した自撮り動画や、監視カメラの映像など、そのほとんどが実際に撮られた映像で構成されていること。SNS中毒(?)の嫁のキャラが濃いのと、露骨に怪しい夫の雰囲気、そして意外とあっけない自白シーンなどその全てが生々しい。

最後に差し込まれる恐ろしい統計上の事実が、この映画のタイトルに込めた思いなんだと思われる。

 

(14)ロングショット【NF】

セス・ローゲンシャーリーズ・セロンが出演する同名のラブコメがあるのだが、こちらは全く別物の事件のドキュメンタリー。

ドジャーススタジアムでの試合中、球場の近くで若い女性が殺害される事件が発生。その時間に球場で観戦していたこの映画の主人公フアン・カタランは、無実の罪によって投獄、そして死刑が宣告される危機に…。

なんとか彼の無罪を証明したい弁護側だったが、そこで天文学的な確率である「奇跡」が巻き起こる、というお話。冤罪自体が超レアなのに、その上にこんなことが起きるなんて。「人生何が起きるかわからない」が何重にも積み重なっている。

今回取り上げた作品群では37分と屈指の短さなので、時間がないときにおすすめ。

 

(15)まったく同じ3人の他人/同じ遺伝子の3人の他人【AP】

同じ遺伝子の3人の他人(字幕版)
 

もしもある日、自分の生き別れの三つ子の兄弟がいたことが分かったとしたら…?

これはアメリカで実際に起きた、生き別れになっていた三つ子が再会したという出来事を取り上げた一作。

メディアにも再三取り上げられ、幸せなエピソードとして幕を下ろしかけたけど…よくよく考えたらおかしな点があり、調べてみたら実はその背景には問題が隠されていて…という怖い展開になっていく。

 

(16)本当の僕を教えて【NF】

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予備知識を入れずに観たから衝撃的だった。

病気で記憶喪失になった男と、彼に嘘をつき続けた双子の兄弟の実話。最初はそういう双子の話なのね、と観ているのだけど、どうも事情はそれだけでなさそう、というのが徐々に明かさらていき、悲惨に真相が明かされる。

全部観ると、こんなに愛と慈悲に満ちた嘘もない、と分かる。

またこんな悲惨な境遇で、なおかつ記憶喪失になるというのは、どんだけ数奇な運命なのだろう、とちょっと違う角度から考え込んでしまった。 

マヂカルラブリーに優勝もたらした『M-1』の変化 構成力から“文脈”の時代へ?

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史上まれに見る3票、2票、2票という僅差の激闘を制し、マヂカルラブリーが優勝を掴み取った『M-1グランプリ2020』。

ファイナルステージだけではない。決勝1本目の1位おいでやすこがと、最下位東京ホテイソンの点差はわずか41点。審査員7人の同大会では最小得点差というのは、10組の実力がより拮抗していたことの証拠だろう。

今回は、実力伯仲だった今大会を振り返りたい。

iincho.hatenablog.com

 

和牛不在がもたらした意味

出場者がマスクを取るところを集めたあのアツすぎるオープニングVTRの意味や、もっといえばドラマの数々があった敗者復活戦から語りたいことは山程あるのだが、まず大きな山として一つ言えるのは、和牛不在が今大会にもたらした意味だ。

思わずあっと声を上げてしまうような、畏怖の念ほど抱いてしまうほどの構成力の妙。4分にかけて入念に積み上げられていく笑いの厚み。「これは和牛の漫才だ」と分かっていても、毎回その期待を容易に超えていく圧倒的なクオリティに、熱心なファンでなくても毎年のように驚嘆していたと思う。

ここ数年、間違いなく『M-1』は和牛を中心に回っていた。システムやセンスボケ、ツッコミのワードセンスといったものはありつつも、和牛がそこにいるからこそ、伏線の貼り方や最後に向かって盛り上がっていく「構成力」に期待してしまう。

そして、そのトレンドが最高潮にまで高まったのが昨年、ミルクボーイの優勝で終わった2019年大会で結実したように思われる。

そのピークを迎えた翌年の今大会に和牛の姿はいなかった。大会途中で敗れ去ったのではない。エントリー自体していなかったのだ。その不在が、これまでネタの展開や構成力に向けられた視点を、別のなにかに向けさせたのではないだろうか。

 

代わりにせり上がってきた“文脈”を楽しむ視点

それでは、ネタの展開や構成力の代わりに、どういう要素が浮上してきたのか。それは、お笑い芸人一人ひとりの「生き様」といえるのではないか。言い換えるならばそれは、個々のお笑い芸人の因縁、あるいは“文脈”というべきものだ。

 

例えば、優勝したマヂラブは2017年に続いて決勝は2度目。前回も今回同様、ボケの野田クリスタルが、ツッコミの村上と没交渉ぎみにひたすらボケまくるネタだった。

これが審査員の上沼恵美子の口に合わず、怒られたことは周知の事実だ。今回は「かつてM-1で上沼に怒られたかわいそうな人達」という文脈が共有されていたからこそ、決勝1本目のネタ「高級フレンチ」を披露する際、せり上がってきた野田が土下座していたことや、「どうしても笑わせたい人がいる」という掴みで会場は爆笑に包まれた。

 

では、怒られたという2017年の「ミュージカル」のネタはいったいどうだったのか。「ミュージカル」より、今回の「高級フレンチ」がはるかに面白かったのか。そんなバカバカしい問いもない。なぜなら「ミュージカル」が面白いという人は「高級フレンチ」も面白いだろうし、「ミュージカル」がつまらないという人は「高級フレンチ」もつまらないだろう。

つまり、マヂカルラブリーは何も変わっていない。変わったのは彼らの“文脈”を共有したオーディエンスの側だった。

 

「高級フレンチ」(ネタを知っているとこのタイトル自体が笑えるのだが、実は昨年2019年大会の敗者復活戦ですでに披露されている)は、構成的には不安になるほどオチ前で失速してしまうのだが、それでも無理やり最後までやりきってしまう。

 

和牛は“文脈”を必要としなかった

ここであえて比べることを許してもらえるならば、和牛は不思議なほど“文脈”を必要としなかった。

毎回優勝をあと一歩のところで逃すという悲劇性を帯びているはずなのに、いざ彼らのネタが始まると、観客を世界に完全に引き込んでしまい、「ネタそのもの」以外に目を向けさせようとしない。

彼ら2人の理知的でスマート、泥臭さと無縁の佇まいも相まって(ただ、本人たちは「苦労知らず」という世間のイメージに軽く不満を持っていることはかつてラジオで語っていたのだが)、来歴不明な不気味ささえただよっていた。

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それぞれが回収できた、回収できなかった“文脈”たち

ここ3年ほど、初出場組が目新しさと勢いを味方につけて、和牛を始めとする常連組から優勝をもぎとっていった印象だが、今回に関してだけ言えば、決勝を戦った10組の雌雄を分けたのはこうした“文脈”の強度の差だったように思われる。

ニューヨークは、昨年の大会で松本人志から言われた「楽しそうにツッコむ」問題を決着させるという“文脈”を背負って帰ってきた。さらに、「トップバッターで、しかも歌ネタ」という不本意な形で挑むことになってしまった昨年に対して、今年は3番手というまずまずな順番から、「これぞニューヨーク」というブラックなネタをぶつけられた。

また、ピン芸人で作ったコンビとして決勝初進出となったおいでやす小田、こがけんからなるおいでやすこがは、つい数週間前に突然のレギュレーション改定で「R-1」という「故郷」から締め出された悲劇性を帯びていた。

ぼくが一番印象的だったのは、敗者復活から返り咲いたインディアンスの“文脈”だ。昨年初出場で8番手という絶好の順番ながら、ボケの田渕章裕がネタを飛ばしてしまうなどもあり、下位に沈んだこのコンビ。その後悔をずっと引きずったこの1年だったと推察されるが、敗者復活、決勝を含めて、彼らが一番楽しそう漫才をしていた。これまで個人的には、田淵のボケが先走りすぎており、ツッコミのきむと噛み合っていないという印象だったのだが、この日、特に敗者復活戦のネタはがっちり噛み合っていた印象だった。

 

一方、決勝で苦戦した様子だったのは東京ホテイソン。ボケのショーゴ考えオチのようなボケに対し、貯めに貯めたタケルが大見得を切るように激しくツッコミを爆発させるスタイルの2人なのだが、決勝にたどりつくまでに少し熟成しすぎてしまった。

数年前までの「親ポムポムプリンだろ!」とバカバカしくツッコんでいたころに決勝に行けていたならば…もしくは、今回も1本目で「親ポムポムプリンだろ!」系を、2本目で今回のネタをしていたら…とタラレバが止まらない結果になってしまった。

ぼくが最も応援していたウエストランドにもいくつもの“文脈”があったが、それが広く共有されていなかったことが致命的だった。例えば、“いぐちんランド”事件がもっと世間的に大問題になっていたら、準決勝までと同様にネタに組み込めていただろう。ただ、それができないほどの絶妙に微妙な知名度だったのが痛かった。

一点、松ちゃんがある程度評価していた(と言っても点数は上から6番目だったが)のがうれしい誤算。よくよく考えてみれば『チキンライス』を作詞した人に「お笑いは今まで何もいいことのなかった奴の復讐劇なんだよ!」のキラーフレーズが響かないわけないか!

チキンライス

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  • 発売日: 2017/07/04
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

一つの“文脈”が終わり、また新たな“文脈”が始まる

素敵だと感じたのは、今大会で優勝候補の一角に挙げられながら8位に沈んだアキナだ。本来は相当ショックだったはずなのに、敗退決定直後から、優勝候補に挙げられながら微妙な結果だったということをすかさずネタにする「恥ずかしい漫談」を次々と繰り出していた。

毎回、勝者の歓喜する姿以上に、敗者たちの佇まいで「お笑い芸人って素敵だな」と思わせてくれるこの大会。

悲しみを笑いに変えながら、また走り出す。M-1が終わり、回収すべき“文脈”が今始まったばかりだ。

M-1グランプリ2020優勝予想、ムリ!! でもあえてするならば…

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ここまでダラダラ先延ばしにして書きそびれていたのだけれど、準決勝の1日限定配信でなけなしの3000円を吉本興業にお布施させていただいた人間として予想させてもらいたい。

 

とはいいつつも、今年は予想が本当に難しすぎる。

昨年は予選を観ていたらミルクボーイがドカンドカンウケるのはある程度は予想できたのだけれど、今年はあそこまで突出したコンビがいないので、かなり予想が難しい。

ここまで拮抗していると、笑神籤(ネタ披露順は当日の生放送中にクジで決めるルール)次第になってくるため、栄冠を占うのはハードモードすぎるのである。


近年は、「ネタ×ネタ順×新規性」の4つが全部カチッとハマったコンビが優勝する気がするのだけれど、それにしても不確定要素が多すぎる。

 

ただ、これとは別で、もう一つ、M-1優勝に必要な要素があると思う。

それはデカイ一発だ。

そういう点で、決勝進者の中で今日、六本木に一発デカイ花火を打ち上げそうなのは、今回2回目の決勝進出となったオズワルドだと感じた。昨年は決勝7位に終わったのだけれど、衝撃的だったミルクボーイの直後、焼け野原になっていたステージ上でむしろ善戦したほどだろう。

今年はシュールな世界観、巧みな構成はそのままに、ツッコミ・伊藤のワードセンスがさらに研ぎ澄まされており、昨年よりウケたときの笑い声が大きかった印象。決勝の舞台でドカンドカンウケている絵が想像できるんだよなあ…。

 

というわけで、

 

ネタ順が良ければ

オズワルドの優勝と予想したい。

 

一方、オズワルドがまさかのトップや、まだ会場があったまっていない序盤を引いてしまう展開も十分予想できる。その場合の予想も披露しておきたい。

 

ここ数年の傾向を見ると、やはりM-1は新規性がかなり重要なファクターであるのは否めない。

そういう意味で、初出場の東京ホテイソンウエストランド、錦鯉、おいでやすこがの4組になる。

 

この中から、会場の空気にハマり、デカい一発を持っていそうなのは、東京ホテイソン、おいでやすこがの2組に絞られると思う。さらにそこから1組に絞るとするならば…。

おいでやす小田、こがけんというピン芸人2人からなる異色コンビ、おいでやすこがを推したい。

ピン芸人が作ったコンビでの優勝は初めて、ということなので、「予想がまったくできなかった1年」「前代未聞の1年」を明るく締めくくるという意味でふさわしいのではないだろうか。

 

というわけで、

オズワルドのネタ順が悪かったら

おいでやすこがが優勝する、と予想したい。

 

ということで、話を総合すると今年のM-1王者は、

先ほどの敗者復活戦中にボケで「国民最低!」と叫んだのが何かの間違えでツイッタートレンド入りしてしまって、現在絶賛やばい政治系アカウントを呼び寄せ中のランジャタイが、何かの間違いで勝ち上がって劇的優勝!と予想します!!!(出来立てホヤホヤのネタ)

祝M-1初の決勝! ウエストランドが愛される理由

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今年の『M-1グランプリ』決勝進出9組が発表された際、驚きとともに祝福の声、その人数はともかく、熱量がひときわ高かったのが、タイタン所属、岡山県津山市出身の井口浩之、河本太からなるウエストランドに対してだったと思う。 

 驚き、喜んでいるファンの多くが、「応援してたけど、まさか本当に決勝いくとは思わなかった」という心境だったのではないだろうか。個人的には、とろサーモンが決勝に行ったときの心境に近い。とろサーモンについてはその上に「応援してたけど、まさか本当に優勝するとは思わなかった」が乗っかるのだが。

 

ウエストランドが愛され、ここまで決勝進出を待望されていた理由はなんだろうか考えてみる。

ここまで、なかなか陽のあたる場所に出てこられたなかったことはあるだろう。2011年、芸歴4年目にし『笑っていいとも!』の準レギュラーに抜てきされ、かなり順調にキャリアを進んでいるようにみられたが、チャンスを掴みきれぬまま番組は終了。

その後、『THE MANZAI』をはじめ主要な賞レースは全て決勝に行く寸前で敗退しており(井口についてはピンで出場した『R‐1』敗者復活戦で“2位”になった)、今回の『M-1』が正真正銘の初ということもあるだろう。

これまでのウエストランドの主戦場はお笑いライブシーンだ。ライブファンからしたら、彼らがついに『M-1』決勝という超大舞台に立つ、というのは感慨深いのかもしれない。

 

しかし、「決勝に初めていけたから」という理由ならば、今年についてはおいでやすこが、東京ホテイソンや錦鯉だってそうだ(もちろん、これら3組への祝福の声はSNS上で多く見られた)。もっといえば、ファンに愛されながらも決勝の舞台を一度も踏めないまま、結成年が経過したコンビが大半だ。苦節○年なんて、M-1では珍しくない。

 

ウエストランドは特殊である

ウエストランドが愛される理由は、その漫才ネタの中にちゃんとある。 

ウエストランドの芸風は、ほかの8組全組と分かつ点が1点だけある。いうならば、ウエストランドのネタは、ウエストランドそのものなのである。

コント漫才しゃべくり漫才、システム…漫才にさまざまな種類、手法があるが、多くのお笑いコンビ、トリオについていえる共通点が1つある。それは「人」と「ネタ」に乖離がある、ということ。

どんな漫才師も、本当に「タクシー運転手になりたいから相方にお客さん役をやってほしい」わけでも、「おかんが好きな朝ごはんの名前を忘れたから一緒に思い出してほしい」わけでもない。それはあくまでも、「ネタ」上の設定である。

 

ウエストランドほど、「人」と「ネタ」の乖離がないコンビもなかなかない。それは、あえてジャンル分けするならば、ツッコミ・井口の主張である。ウエストランドのネタは、ウエストランド、というか井口そのものなのだ。

彼らのネタには、若手お笑い芸人が持つ貴重な資産「モテない、売れない、金がない」を燃料にした、「妬み、嫉み、僻み」というルサンチマンが濃縮されている。

ややぽっちゃり気味でのんびりマイペースそうなボケの河本、小柄で神経質そうなツッコミの井口。まずこの時点で「漫才コンビ」としてのコントラストが見事。ネタが始まると、イメージ通りのんびり飄々とボケていく河本に、早口で井口がツッコんでいく。

しかし、終盤ターボがかかってくると、河本はまるで壁打ちの壁のようになっていき、目の飛んだ井口が1人でひたすら早口でまくしたてる状況に。「ツッコミが実はボケというシステム」というようなカッコいいものではない。「本当にヤバい奴は井口の方だった」ということが発覚するただのドキュメンタリーだ。 

しかし井口が放つ言葉には一定の理もあり、誰もが一度は思ったことがあるような感情、心の叫びであり、だからこそこの異常者の言葉は共感をも呼ぶ。

 

ウエストランドのネタについては、決勝進出が決まったあと初のウエストランド公式YouTubeチャンネル『ぶちラジ!』にて、井口自身が下記のように述べていることからも分かる。

(準決勝の出番順は)前半だったしね。思い切ってやるしかないということで、本当に言いたいことを全部言って、めちゃくちゃ言ったことが(よかったと思う)。
M-1』って「これ言っちゃダメ」「こういうネタやっちゃダメ」っていうなんとなく都市伝説みたいなのがあるじゃないですか。そういうのを取っ払って、開き直って言いたいことを言えばいいやっていうのが、いい結果につながったんじゃないでしょうか。

ここで注目すべきなのは、井口自身がネタを「言いたいこと」と評していることだ。「面白いこと」であることは大前提だろうが、それとともに、ウエストランドのネタは「井口の言いたいこと」の集積なのだ。

このYouTubeではさらにこの後、決勝進出を祝福するリスナーからの「キラキラした人生を送ってきたヤツらに決勝の舞台で復讐する姿を楽しみにしています」というややネタっぽいメールにも、井口が「お前ら、俺を利用して発散すんな(笑)」とツッコむ。「復讐すること自体は否定していない」のだ。

 

ウエストランドは“ピュア”である 

 「妬み、嫉み、僻み」をパンパンに詰め込んだネタであり、そういう意味では陰湿な芸風、と言えるかもしれない。

しかし、ここまで発想、構成、センス、システムが進化しききってしまった現在の漫才文化において、「言いたかったことを言い、帰っていく」という驚くべきシンプルさ! それはさながら「未成年の主張」に近く、一周回って誰よりもピュアなのではないか、とさえ思えてくる。

 

ウエストランドはすでに流出している

さらに井口の人間としての面白さに追い打ちを、もとい拍車をかけているのが、昨年発生したいわゆる「いぐちんランド」騒動

いまさら過去のことをほじくり返すのも野暮なので詳しくは書かないが、ファンを騙る女性からSNSで送られてきた裸の写真に応え、自らの局部の写真さらには動画を送り返したところ、すぐさまその写真がネット上に晒された、という騒動のことだ。この件で相当精神的ダメージを食らった井口は、人としての陰影もより濃くなったと感じる。

とろサーモンの久保田と同様に、“生き様”そのものが面白い。背負っているものが他の出場者とは違うのだ。

 

ウエストランドはフリートークもある意味ヤバイ

M-1』といえば、ネタ披露後の出場者と、審査員ら&司会・今田耕司との絡みも注目ポイントの一つだ。ウエストランドについて、ここでは今度は河本の方が注目だ。ボケ、というより、ただのお笑いファンで、フリートークが上手くできず、毎回、意味不明のボケを繰り出しては会場の温度を見事にネタ前に戻す河本。

岡山の山の奥から出てきた輩のような風体だが、一応プロのお笑い芸人として変に場なれしている分、余計にたちが悪い河本と、松本人志上沼恵美子ら並み居る審査員らとの絡みが今から楽しみすぎる。

 

斬新なシステムがあるわけでも、キレッキレのセンスがあるわけでもない。愚直なスタイルのウエストランド。優勝できるとしたら、おそらく初見ブーストがかかる明日が最初にして最大のチャンスだと思われる。

ちまたでは「人を傷つけない笑い」が流行りのようなのだが、優勝してまたお笑いのトレンドを醜く捻じ曲げてくれることに期待したい。

Aマッソ、どこにもハマれないカッコよさ

M-1に比べると、キング・オブ・コントについては毎年、優勝者が決まっても「お、おう…」というなんとも言えない感情になりがちだ。全く反対とは思わないけれど、「これでいいのか?」という気持ちが常に付きまとう。

それは、コントのネタの比較すべき共通項が、漫才のそれより遥かに少ないことに由来していると思う。

例えるなら、象がその怪力を披露した後にネズミが出てきてその素早さを披露しているみたいなところがある。それで、象とネズミどっちがいい? と言われても比べようがない。審査が結局好き嫌いになってしまうのも分からなくもない。

という意味では、キング・オブ・コント以上に、結果についてなんとも言えなくなるのは、漫才、コントのくくりもないTHE Wというわけで。今どき性別で区切るコンテストなんて…とは思いつつ、今年も仕事しながらダラダラ観てしまいました。

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THE W公式サイトより

終結果についてはここまで書いてきたとおり、肯定でも否定でもなく、「おお、そ、そう来たか…」としか思えなかったけど、群を抜いて印象を残したのは、タイトルのAマッソだ。

一番おもしろかったかは分からない。しかし、一番カッコよかったのはAマッソ。それは間違いなかった。

ネタについては実際に見てもらった方が早いが、あえていうならば、紹介映像で加納が「他の賞レースではできないネタ」と話していたとおり、分類不可能なネタだった。これは漫才と呼べばいいのだろうか? それとも漫才風コント? 分からない。

両方のファンに怒られるかもしれないが、観ている最中に「パフュームみたい」と思ってしまった。これはお笑いパフュームだ! と。

 

なお、不勉強なもので、彼らは今年に入ってから映像ネタに力を入れていた、ということで、今回が初出ではないことは戦前のインタビューですでに語られていた。

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2人のネタが始まったときに不思議な感動を覚えたのは、審査員席にアンガールズ田中卓志が座っていたからだ。

以前、偶然見つけたAマッソの公式YouTubeチャンネルで、同じナベプロの先輩である田中が講師として出演していた。それは田中が、才能があるのにテレビに一向にフィットしようとしない、丸くなろうとしない2人に対してこんこんと説教する内容だった。

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その内容はあまりにも論理的かつ実践的(『ゴッドタン』の「勝手にお悩み先生」の回を見れば言うまでもない)で面白かったのだけれど、それに対して当のAマッソはヘラヘラと受け流している印象だった。

 

自己流を貫き尖り続けるべきか、与えられた場所にフィットしていくべきか――THE Wの舞台で2人が見せたのは、そのどちらでもなかった。

尖りを洗練させつつ、なおかつ大衆を魅了する――それが今回Aマッソがネタで出した答えだったのではないだろうか。新しいことを追求しつつ、ウケようとする第三の道を模索したのだ。

ネタの見た目(プロジェクターの映像が2人の顔に被る瞬間は、何かのMVのようにカッコよかった。もはやお笑いのビジュアルじゃねえ…!)もさることながら、芸人としての生き様が垣間見れて、あまりにもカッコよかったのだ。

 

それを田中の目の前で披露する、という笑いの神様が用意した劇的な展開!

田中がAマッソではなくゆりやんレトリィバァに票を入れたのは、それはそれで一つの意見である。勝負は水物。もしもう一回同じシチュエーションだったならば、結果は逆だったかもしれない。

Aマッソは決勝初挑戦のTHE Wで優勝できなかった。しかし、与えられた場所にハマれない彼らが、ハマれないままに自分を貫いたカッコよさがそこにあった。

北欧の子供部屋おじさん、“男らしさ”と縁を切る! 『好きにならずにいられない』

好きにならずにいられない(字幕版)

 本邦でも「子供部屋おじさん」という言葉が、差別的なニュアンスで流通しているが、どうやら状況は遠い北の国でもそう違いはないらしい。アイスランド発の映画『好きにならずにいられない』は、43歳の独身童貞男が主役のラブコメディ。

 

主人公は、空港の荷物係として働くフーシ。彼女がいなければ恋愛経験もない、43歳の独身男だ。

 

興味深いのは、遠い北欧アイスランドが舞台の映画なのに、日本のネット民が大好きなネタがたくさん散りばめられていること。フーシの趣味は、第二次世界大戦ジオラマづくりで、それは彼の部屋に所狭しと飾られている(オタク!)。

おっとりした優しい性格だが、巨漢&若干ハゲた頭髪という風貌のためか、近所に越してきた少女を誘拐したという疑惑(事案!)も立てる災難もある。

 

その上、柄の悪そうな同僚(DQN!)たちとは相容れず、彼らのいじめの対象になる。更衣室で、同僚たちにいつもシャワーを浴びないことをいじられ、無理やり浴びせられるシーンで、「ああ、男同士で上裸を気軽に見せあうことで絆を確かめるホモソーシャル文化、あったな…」と嫌なことを思い出してしまった。

その後、一転してDQNたちに気に入られる瞬間があるが、彼らの集まりに呼ばれて、そこで性が絡んだ最悪なイベントが起きて、フーシはそれも拒絶する。

 

フーシは、DQNだから同僚たちから距離を置いていたわけではない。ましてや、自分をいじめていたからでもない(それならば、彼らに気に入られてからは上手くやっていたはずだ)

そうではなく、フーシが全身から発しているのは、彼らの「男らしさ」「ホモソーシャル」への拒絶だ。彼は「いい年になったら、子どものおもちゃからは卒業し、車をいじったり、女について下品に同僚と話すもの」だとする、そういうコミュニティから縁を切っているのだ。

 

「男らしさ」や「ホモソーシャル」と縁を切ったフーシ越しに描かれる物語は、そうした男性社会の「暗黙のお約束」に対して、「なんでそんなことしなきゃいけないの?」という疑問を投げかけ、そんな彼を「普通じゃない」と異端視する人々の側こそ“普通じゃない”ことを示唆しているように思える。

 

フーシの行く末を不安視した母とその彼氏が、彼を半ば無理やりダンス教室に通わせることになる。嫌々ながら教室に向かったフーシは、そこでシェヴンという女性に出会い、2人は徐々に惹かれ合っていく。

 

ここで、「ホモソを忌み嫌いながらも、結局女性と対幻想を作らなければ男は充足できないのか」という突っ込みようがありようが、注意深く観察してほしい。

フーシは、シェヴンを対幻想に無理やり引き込もうとはしない。あくまで彼女のためを思い、懸命に動く。そこに損得の感情はないのである。

そして、少々唐突とさえ思える展開で、映画は幕を下ろす。キャストインタビューによると、この展開は予算上の問題で急遽改変されたものだという。結果的にそれでよかったかもしれない。「まあ、上手くいきそうで、いかないことってあるよね」という妙にリアリティのある後味だ。

 

好きにならずにいられない [DVD]

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  • 発売日: 2017/01/05
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本当の“あたおか”は誰? 『ミセス・ノイジィ』が問う「一方的に笑い者にする側」の異常

「ルビンの壺」というイラストがある。心理学者エドガー・ルビンが考案したイラストで、一見、壺が描かれているように見えるが、よくよく見ていると2人の人が向き合っている図にも見えてくる。逆に、2人の人が向き合っているイラストだと思った人が、ふとした瞬間に壺に見えてくることもあるだろう。

 

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ルビンの壺の一例

重要なのは、「壺の絵か、2人の人の絵か。どちらでもあるしどちらでもない」ことと、「見た人は、“壺”と“2人の人”を同時にイメージすることはできない」ということだ。

2000年代に話題となった「騒音おばさん」をモチーフにした映画『ミセス・ノイズィ』を鑑賞しながら、ぼくはルビンの壺を思い浮かべていた。

薄い壁一枚で隔てられた2つの「世界」

長いスランプに陥っている小説家の真紀(篠原ゆき子)は、夫、まだ幼い愛娘と共に集合住宅に引っ越してきて、再スタートを切る。

原稿の締め切りに追われている早朝、隣家から「バンバンバン」という、けたたましい布団叩きの音がする。音の主は隣人の美和子(大高洋子)だった。

娘をめぐるちょっとしたトラブルもからみ、しだいに隣人との間で高まっていく緊張関係。新しい小説を書きあぐねていた真紀は、そのやっかいな隣人自体を扱った小説を書くことを思い立つ。

 

まず最初に観客に提示されるのは、ヒロイン・真紀越しの現実で、それゆえに、美和子が得体のしれないモンスターに思えてくる。演じる大高洋子が素晴らしい。「あ~これはあんまり関わったらあかん系の人かもなあ~」という説得力の強い、存在感と演技である。

しかし、ここで物語は視点を一変して、美和子側から語り直されることで、多面的な世界が展開していく。

結局、薄い壁一枚で隔てられているだけで、真紀と美和子はお互いがお互いに同じ絵を観ながら、「全く別の世界」を観ているだけだったのかもしれない。それはまるでルビンの壺のように。しかし、そのことは真紀も美和子もお互い知る由もない。

本当の「あたおか」は誰なのか?

そこに「ネット社会」「マスコミ」という第3局がどやどやどやと分け入ってくる。ささいな隣人トラブルは、一知半解した「野次馬」たちの好奇の目にさらされ、物語は悲劇的、破滅的な方向へハレーションを起こしていく。

ネット社会は「非常識」や「あたおか(頭がおかしい人)」に敏感だ。麻薬を嗅ぎ取る警察犬のように鋭く察知し、現場に急行すれば、お得意の「常識」を振りかざして相手を叩きまくる。

しかし、その「常識」は気ままで、とても移ろいやすい。本作でも、ある出来事がきっかけで、ネットでの風向きは180度変わる。そのリアリティには、日頃ネットに慣れ親しんだ者からすれば、居心地の悪さすら感じる。

結局、本当に「あたおか」なのは誰なのか? 映画が大団円を迎える直前、美和子のある「絶叫」(咆哮、と呼んだ方が適切かもしれない)は、はっきりとその対象に向けられているような気がした。

インターネットの“ソウホウコウセイ”という詐称

インターネットという便利な道具によって、「ソウホウコウセイが高まった」と偉い人たちはいう。でも、本当にそうだろうか? と最近は特に思う。

実際のところ、かえって一方的に眺める側(笑い者にする側)と、一方的に眺められる側(笑い者にされる側)という多対一の「一方向性」が強まった気もする。その感覚は、動画コンテンツ全盛のここ数年、よりいっそう感じる。

ツイッターでたまに「ネットやSNSを使ってなさそうな(もしくは存在自体を知らなそうな)中高年」の公共の場での不始末を勝手に撮影し、アップロードした投稿がバズっている。肖像権の問題はもちろんだが、それ以上に「反撃してこなさそうな者を一方的に笑い者にしている」の構図がとても感じが悪い。

本作では、美和子がネットを使っている形跡がないため、ネット社会に対して同様の感じの悪さが強調されている。

 

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新宿武蔵野館にて

鑑賞後、エレベーターを待つ間にもう一度この映画のポスタ―を観たら、鑑賞前とは前と全く違ったインスピレーションを与えられる。

もしかしたら、このポスターの真紀と美和子はベランダから“ぼくら”を見返しているのかもしれない。