いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

KAGEROUというネタ消費

昨日発売された話題の小説、齋藤智裕こと水嶋ヒロの処女小説『KAGEROU』が、発売二日ですでに68万部を超える部数を記録しているという。


http://sankei.jp.msn.com/culture/books/101216/bks1012161326002-n1.htm


やはりというかなんというか。
彼は僕の一歳上である。
一歳差にすぎない、と言える。
にもかかわらず、彼はすでに僕の持っていない、そしてこれからも持つことのないだろうものを、いろいろ手に入れている。
サッカーの才能に、イケメン売れっ子俳優、ミリオンヒット歌手の妻に、それから文学賞である。
そして昨日、彼は「売れっ子作家」という称号をまた一つ手に入れた。
やってられねーよという話である。
ジンでもかっくらってヤケ酒でもしたいところである、ニホンジンだけに。



だが、ネット上での評価をいろいろ見ているにたぶん、というかやはり、酷評が目立つ。


受賞が決まったその当夜に、こんな文章を書いた人間としては少し「安堵」にも似た感情を抱く展開なのだけれど、そうはいっても一応読んでみなければならない。新品に1000円以上出す気はなかなか起きない(そういえば今年、ハードカバーで小説を買ってないなー)ので、年明けあたりに青と黄色の古本屋さんを漁ってみようかなと思う(ちなみにそこで働いている知人によれば、あの店での価格設定は出版日よりも、その店の売り上げ状況、売られてくる本の量にも比例するらしいから、意外と105円で手に入る日は近いのかもしれない)。



ところで、この小説に対しての評価をネットや各種媒体で視るにつけ、無名のネット民が茶化していたり、ネタにしていたりする文章がおもしろい。


水嶋ヒロの『KAGEROU』最速レビュー 内容はラノベ、主人公が寒いおやじギャグを連発… | ニュース2ちゃんねる


Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: KAGEROU


その一方、どうも書評家や著名人の評価や言葉は、あまりインパクトがない。それは、彼らがこの新人小説家が元人気俳優であるということから生まれる業界内のしがらみによって、率直な評価を下せなくなっているから、ではない。


さすがプロの書評家ということあって、これまでに何百冊何千冊と読んできた含蓄がそこに込められていて、なるほどと合点のいくところもあるが、どこかしっくりこない。
それは、根本的にこの「KAGEROU現象」とも呼べる事態が、マジメな「批評」という取り上げ方に合っていないからではないだろうか。
むしろ、マジメに批評するほど、バカを見るというか。



以前書いたように、これは「ガチンコ!ファイトクラブ」と同じ仕組みだ。
ファイトクラブにも一応、、札付きの不良を集めボクシングをさせ、指導官竹原との衝突を繰り返しながらプロテストに挑戦させるまでのプロセスが本筋として存在する。
しかし、多くの視聴者の関心はそこにはない。いや、中には関心のある人もいたかもしれないが、多くの人間にとっては、毎回都合よくおこる乱闘騒ぎや、強引に話を展開させるテロップや、竹原伸二の棒読みセリフといった、本筋とは逸れたところこそが注目しておくべき個所だったのだ。いや、注目していたではなく、率直に言えばバカにしていたのである。


結局これがいわゆる、「ネタ的消費」というものなのだろう。
だれも、「ガチンコ!ファイトクラブ」を楽しんでいるのではない、「ガチンコ!ファイトクラブ」を“ネタにして”楽しんでいるのだ。



このことは『KAGEROU』についてもいえる。
この小説を直視して、「つまんねーよ」「稚拙だよ」「ありふれているよ」「まちがってるよ」と「ベタ」に批評するよりも、小説をネタにして楽しむか、ネタになっているお祭りに参加していたほうが、ためになるかとは別問題に、なんぼほどか楽しいのである。


こんなことは、たぶん小説がまだ力を持っていた時代には考えられなかったことだ。
小説と、その小説の批評が、新しい価値観や表現を提示するものだった時代もあった。小説や批評が、社会の扇動者であった時代だ。
しかしそういった批評的な視点が人口膾炙してしまった後、むしろ批評家的な視点は「鋭い視点」から「ありきたりな視点」になり、それよりか本筋とはずれたところに「面白さを見つける視点」の方が注目が集まる。注目してもらいたい人間からすれば、そちらに傾斜するということは想像に難くない。



こうした水嶋ヒロにまつわる「ネタ的消費」の在り方、楽しいことは楽しい。
僕自身も今回の一件で生まれた数々の作品、「秀逸な」アマゾンレビューや2ちゃんでのコメントを読んで楽しんでしまったというところがなかったとは、言い切れない。

だがそれと同時に、この何もかもをネタとして「www」をつけつづけるこの無時間的な空間に、息苦しさというか、どん詰まり感のようなものを抱いてしまうことも、また一つの事実ではないだろうか。



あとがきまで注意深く読んでもらいたいこの対談本は、両者の「訣別」の記念碑的著作だ。
この本のどちらかに与するとすれば、多くの読者はおそらく大塚氏の側と答えるのでないだろうか。
というか東氏の見解は、別に我々が賛同しようがしまいが、どちらにしろ世の中そうなっていっているという話なのだ。



それに、今回の一件に対して心底怒り狂っている人がまったくいないともいえない。現に、ポプラ社の賞にまじめな作品を応募していた人は、どうなるというのだろう。みなと同じように、この小説をネタにして楽しむことができるだろか。本を手にして、プルプル怒りに震えているのではないか。


その怒りを、「命がテーマです」の語る水嶋ヒロ自身のいかにもな「ベタ」な姿勢が、さらに増幅させている。



だがそんな人でも、


「大賞をいただけたという現実に、まだまだ身震いをしている最中でございます」(まさかマッカーサー


と、彼の発言や文章の語尾に目には見えないト書きを毎回添えながら読むことができたなら、すこしはその怒りも和らぐのかもしれない。