いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

芸能人の不倫叩きは”アンフェア”だ

寝ても覚めても

寝ても覚めても

寝ても覚めても

  • 発売日: 2019/03/06
  • メディア: Prime Video
 

芸能人の不倫が発覚して、ネット上でボッコボコになっている光景をみるたびに、つくづくアンフェアだなあという感情に襲われる。

そもそも、不倫について配偶者以外の第三者がガタガタ騒ぐことじゃない、という感情がある。

しかし、ここで書こうとしている「アンフェアだなあという感情」は、そうした「第三者がガタガタ騒ぐことへの違和感」とは別物だ。

 

「アンフェア」というのは、「そんなこと、誰も言ってなかったじゃん」ということだ。アコギな商売の代名詞である携帯ショップでさえ、わかりにくいなりにもうちょっと買う前にメリット・デメリットを説明してくれるだろう。一方、不倫バッシングについてはなんの最後通牒もなく、いきなりである。威嚇射撃もなくミサイルを撃ち込まれるようなものだ。

 

ちょっとわかりにくいかもしれない。

どういうことかというと、不倫でここまで叩くのなら、結婚したときにもうちょっと「そういうことへの留意」を持ち出す視点があってもいいのではないか、ということだ。結婚するときは「理想の夫婦だ」「本当におめでとう」「羨ましい」だなんだと祝福をしておいて、いざ不倫が発覚したら、手のひらお返して怒り散らすのが本邦の世論、マスメディアである。

 

以下が、2人が結婚したときの記事の一例である。

 杏と東出昌大の結婚式が4日、東京の愛宕神社で行われ、その際に撮影された二人の幸せショットの数々が反響を呼んでいる。同写真は、杏と親交があり雑誌での対談経験もある漫画家の渡辺多恵子が5日にTwitterで紹介したもので、白無垢姿の杏と紋付き袴を着た東出の写真は、まるでドラマのワンシーンを切り取ったかのようだ。

 杏と東出は2013年~2014年に放送されたNHK連続テレビ小説ごちそうさん」で夫婦を演じ、今年の元日に入籍。実生活でも夫婦となった二人の結婚式の様子は幸せそのもので、同写真を見たファンからは「本当にすてきな写真」「末長く幸せになってほしい」など二人を祝福するコメントが相次いでいる。(強調引用者)

 https://www.cinematoday.jp/news/N0077165

 

ほら、「一度結婚したら、他の人との交際が発覚した際に、とんでもない目にあいますよ」という説明はどこにもないではないか。結婚に対して人はポジティブな面しか見ない。引用する記事の問題かもしれないが、芸能人の結婚に際しては、たいていこうした「祝福ムード」が演出されるものだ。

不倫の原因は何を隠そう結婚である。結婚という行為自体に、そもそも不倫というリスクが内包されているのだ。

しかし、いざ不倫が発覚したら、恐ろしい「私刑」が待っている。結婚したときにあれだけ祝福していたのに。そのギャップについて、違和感があるのだ。

 

たとえば、以下のような記事があったら、納得できる。

 ファンからは「本当にすてきな写真」「末長く幸せになってほしい」など二人を祝福するコメントが相次いだ。
 一方で、結婚という決断を選んだ以上、今後2人は他の人との交際が発覚すると、バッシングされることが確実。そのため、ファンからは「そんなに安易に結婚して大丈夫なんですか?」という心配の声や、「もう二度と、他の異性と肉体関係を持たないということですね?」という確認の声、「すごい覚悟だ」という称賛の声が寄せられた。

 さらには、「もし不倫したら、絶対に叩きますからね?」「もし不倫なんかしたら、芸能界にいられなくしてやる」といった、見方を変えればただの脅迫でしかないコメントも散見された。

これぐらい結婚に関するネガティブな情報もあっていいはずだ。

結婚という入口の部分でやたら目尻を下げる人々が、不倫が発覚した途端、二重人格のように鬼の形相になる。

このギャップが、ぼくはただただ恐ろしいのである。

 

必見のドキュメンタリー『M-1アナザーストーリー』 「横の線」と「縦の線」の凄み

ケロッグ コーンフロスティ 徳用袋 395g×6袋

見よう見ようと思っていた昨年の『M-1グランプリ2019』の舞台裏を追ったドキュメンタリー番組『M-1アナザーストーリー』をようやく観た。

M-1好き、いや、お笑い好きは全員正座して観るべきドキュメンタリーだった。今月26日まで観られる。

 

tver.jp

史上最多5040組がエントリーしたM-1グランプリの決勝戦は“史上最高レベル”と評される激闘となった。観客を爆笑させ、審査員をうならせたのは、王者ミルクボーイだけではない。
密着カメラが捉えたのは、わずか4分間の漫才に夢を馳せた“芸人たちの生き様”だった。

今大会の決勝進出組決定から、その9組+敗者復活組によって繰り広げられた本番、そして雌雄が決したあとまでを追いかけたドキュメンタリーである。

詳しい内容はぜひ観てほしいのだが、内容とは別で圧倒されるのは、制作のABCテレビM-1にかける思いがあらわれた「横の線」と「縦の線」である。

 

ミルクボーイが優勝したので、もちろん彼らがドキュメンタリーでも主軸になるのだが、番組のカメラはまるで「ミルクボーイが優勝するのをはじめから分かっていた」かのように、彼らを取材している。

これはどういうことかというと、何もM-1八百長を告発したいのではない。

優勝候補にあげられるでもない、全国区ではほぼ無名だったミルクボーイを優勝前から丹念に取材していた、ということは、裏を返せば残りの(敗者復活組を除く)8組についても同じぐらいきちんと取材していた、ということが伺える。

たった40分の番組であり、ミルクボーイのパート以外のほとんどの素材は使われていないはずだ。ミルクボーイの優勝までのストーリーを鮮やかに浮かび上がらせたように、ほかの8組が優勝していたとしても、それは可能だっただろう。

9つのうち、8つの取材がほとんど使われない、と分かった上で、ABCテレビは取材クルーを各コンビに回させたのである。

この番組を観て、まずこの「横の線」の強さに驚かされる。

 

一方、「縦の線」とは何か。それはこれまでのM-1の歴史に関係する。

この番組を観ていくと、横線以上に驚かされるのは、ミルクボーイの2人がまだ学生だった2006年のM-1予選に出場したときのインタビューも使われていることだ。つまり、ABCは10年以上前の無名の学生の映像もアーカイブしていたのだ。

f:id:usukeimada:20200119234009j:plain

2006年だけではない。番組では2006年から2010年、中断を経ての2015年からのミルクボーイの映像も流された。

この「縦の線」の貴重さの度合いは、「横の線」のそれを遥かに凌駕するのは誰にでも分かるだろう。もう誰も今から「2006年のミルクボーイ」にインタビューすることはできないのだ。かまいたちのネタではないが、「時間の壁」に守られているのである。そして、アーカイブしておく手間、コストもはるかに大きいことが推測できる。

 

2006年の取材をしたスタッフたちの意図は分からない。

しかし、そのスタッフたちが「2006年のミルクボーイ」「2007年のミルクボーイ」…と撮りだめていった映像が、時を経て昨年2019年に意味を持った。ひとつひとつでは心もとない点と点が、昨年末についに一つの強靭な線になる。そのプロセスを知ると、一種の感動を覚えてしまう。

 

こんなことを言うのはあれだが、「2006年のミルクボーイ」を撮った人はおそらく、彼らに特別な思い入れがあったわけではないだろう。

いや、正確には、「彼らに“も”思い入れがあった」というべきか。

おそらく、膨大な映像資料を撮りだめ、廃棄することなく保存していた背景には、漫才の頂上決戦という崇高な頂きに登ろうとしている意志を表明した者全員への、ある種の敬意があるのだと推測する(ちがったらすいません)。

 

今年のドキュメンタリーで使われなかった素材も、もちろん「死蔵」したわけではないはず。来年、再来年、もしかしたら3年後、使われるときを待ちながら眠っているのだろう。紡がれるべき次のストーリーを求めて。

「大人の不在」を通じて『ギャングース』が描く日本の残酷な真実

ギャングース

ギャングース

ギャングース

  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: Prime Video
 

 
一昨年、見そびれて一番後悔していた映画『ギャングース』。『サイタマノラッパー』シリーズの入江悠監督作だが、先週末、アマゾンプライム・ビデオで100円レンタルとなっていたの目ざとく見つけ、ついに鑑賞した。

 

地方の寂れた郊外(と思しき風景)を舞台に、恵まれない環境で育ち、犯罪に手を染めるしか生きるすべがなかった若者たちの姿を描くクライムムービーだ。

 

期待通りの快作だったが、本作が卓越しているのは、一見すれば「恵まれない若者たちが知恵と友情で危機を打破しようとする青春クライムムービー」の様相を呈しながら、極めてアクロバティックな方法によって、日本の病巣といえるものにメスを入れていることだ。そのアクロバティックな方法とは、「そこにいて当然のある存在をあえて描かないことによって描く」という方法だ。

順を追って説明しよう。

 

少年院で出会ったサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は、犯罪者の収益(アガリ)を強奪する「タタキ」を生業にしながら、廃バスでほそぼそと生きながらえている。

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

映画『ギャングース』公式(@movie.gangoose)がシェアした投稿 -

しかし、タタキでせっかく稼いでも情報屋の中抜きにあって手元にはほとんど残らず、3人の生活は貧困の底まま。そんなとき3人は、地元の振り込め詐欺グループが悪用する被害者リストを入手。底辺の暮らしを抜け出すため、それを元手に詐欺グループのアガリをタタキ大金を稼ぎ始める。


金子ノブアキの“名演説”

彼らがタタキの標的にする半グレ集団の“カンパニー”を統括しているのが、金子ノブアキ演じる加藤だ。高杉、加藤、渡辺が演じるメイン3人の好演もさることながら、金子演じる加藤が本作では極めて印象的な役割を果たす。

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

映画『ギャングース』公式(@movie.gangoose)がシェアした投稿 -

 

彼が“カンパニー”の部下たちに向かって放つ“名演説”が、本作の大きな見せ場の一つだ。

その演説は、下記の予告動画に収録されており、ぜひ観てもらいたい。そして、まだ本編を観ていない人でこの演説に心打たれた人がいるならば、ぜひ、本編を鑑賞してからこの評論に戻ってきてほしいものだ。

 

 

この国から金がなくなっちまったのか?

あるんだよ。あるところにはあるんだよ。日本銀行、ちゃんと紙幣刷ってんだからさ。じゃあどこにあるのか? 

はいここ! 高齢者のみなさんです。こいつら、バブルで調子乗りまくって、国の借金を俺ら世代に廻しやがったくせに平均預金額はなんと二千万。不動産なんか入れるともっと抱え込んでるぞ。

だから俺はね。老後にこうやってふんぞりかえってるじじいばばあから、たったの100万200万をいただいたところで、ちっとも心が痛みませんよ。むしろその金、どん底から抜け出せねえお前らみたいな若えやつらに還元してやんだよ。社会に流通させて経済活性化させてやってんだよ。

言っとくけど、政治家のクソ野郎は何もしてくれねえからな、ボンボンの、二世三世のゲロ野郎どもがよ。生まれたときから金持ってる連中は、底辺からデッパツ(出発)してる俺らみたいなクソゴミのことなんてマジでどうでもいいんだよ。

だから俺たちは、てめえ一人ひとりでがんばんだろ。自力で、死ぬ気で、てめえの足で腕で顎一本で、超キツイ生存競争を生き残っていくんだろ。

 

加藤が訴えるのは、日本で今なお進行過程にある世代間格差への怒りと、それに見向きもしない国家への不信感。だからこそ、自分達は底辺の人間は自力で、人を騙してでものし上がっていくしかない、その過程で多少被害にあっても高齢者は痛くもかゆくもない、それぐらい格差は拡大しているのだから…というのが彼の理屈である。

加藤のカリスマ性すら帯びたこの“演説”。その内容をまっすぐに肯定することはできないが、金子の名演を伴って、不思議な高揚感、感動すら覚えてしまう危うい魔力を放っている。

「搾取」の入れ構造

紆余曲折を経て、サイケたちは加藤のさらにその上、全国の組織を束ねる頂点、「六龍天」の安達(MIYAVI)にたどり着く。そして、彼のアガリを強奪する、というミスれば死よりも恐ろしい結末が待つであろう壮大な一発逆転のギャンブルに打って出る。

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

映画『ギャングース』公式(@movie.gangoose)がシェアした投稿 -

 

ところがここで、ちょっとしたどんでん返しが起きる。部下の加藤が安達を裏切るのだ。

彼は安達が受け取るはずだった組織のアガリを、サイケたちの襲撃に乗じて奪う。実は彼も、サイケたちと同じく、安達を相手にタタキを狙っていたのだ。

加藤の企ては海外逃亡寸前のところでバレてしまい、加藤は安達によって殺されてしまう。殺される直前、加藤はまたしても印象的なセリフを、今度は安達に向かって吐き捨てる。

下は死ぬまで搾取されるか、いつかパクられる(筆者注:逮捕される)かじゃねえか。弱え奴にリスク被せるだけ被してよ。オモテの奴らと何も変わらねえ。ふざけんじゃねえぞ。

ここ彼が語っているのは、実は前半で彼がホワイトボードを前に、自分の手下たちに向かってしていた演説の「下の句」の部分といってよい。

先の“演説”で加藤は「世代間格差」を告発していた。

一方、死ぬ間際に血まみれの状態で彼が語っていたのは、“カンパニー”といった犯罪組織のヒエラルキーの中で上の者が下の者を搾取する構造だ。前者が「マクロな搾取」だとしたら、後者は「ミクロな搾取」といえよう。

思えば本作では、大小様々な搾取構造が複雑に入り乱れ、多層化している。世代間の搾取、強い者から弱い者への搾取、親から子どもへの搾取、雇う者から雇われる者への搾取、知る者から知らない者への搾取、男から女への搾取…。その搾取は下流にいけばいくほど、苛烈を極めていく。

本作が描く真の「悪」とは?

最終的に、サイケたちは3人は、本作は搾取の頂点といえる安達を倒し、一件落着したように思わされる。

しかし事件後、ニュースを読むがアナウンサーの声により、安達が幼少期から虐待を受けていた、ということが知らされる。実は安達自身も幼少期から恵まれない、加藤であり、サイケたちと似たような境遇だったのだ。

つまり安達が、半グレ組織のトップにいたのは極端にいえば偶然であり、安達の座に座るのは加藤でも、サイケたちでもありえた、と言える。

 

本作における真の「悪」はなにか。それは今観てきたように安達ではない。

それは、安達を、加藤を搾取する側に回らせ、サイケたち3人がタタキをせざるを得なくなった環境そのものといえる。そう、加藤が演説で言った「超キツイ生存競争」そのものだ。

 

では「超キツイ生存競争」という環境をこしらえたのは誰か? 彼らをそうせざるを得なくしたのはだれなのか?

ここでようやく、冒頭の問いに戻ってくる。その存在こそが、本作があえて「描かない、という方法で描いた存在」。それは何を隠そう、「大人」のことなのだ。

本作は確信犯的に「大人」を登場させようとしない。子どもたちが信頼できる親や教師、警察から政治家まで、本作には「大人」が誰一人出てこないのだ。

「大人」の不在が意味すること

ここでいう「大人」とは、「子どもに手を差し伸べ、良き道へと導くメンター」の存在である。

もちろん、加藤や安達は年齢上は成人しているし、サイケたちだって成人か、もしくはそれに近い年齢だろう。しかし、彼らは「大人」ではない。「大人」になる前に「壊れてしまった子ども」たちなのだ。

最も象徴的なのは、サイケたち3人が出会う少年院の乱闘シーンだろう。洋画ではこうしたシーンですぐさま刑務官が止めにくるのが「あるある」だが、サイケたちを止める刑務官は一切登場しない。

また、サイケたちの作戦を助けるトラック野郎(勝矢)が、唯一その「大人」の候補としてあげられるが、彼はサイケらの犯行の支援者にすぎず、サイケらの頼れる「大人」とは呼べない。

 

本作で安達を、加藤をそしてサイケたちを悪の道に向かわせたのは、「大人」の不在なのだ。

このメッセージは、「大人のせいで子どもが悪の道に落ちた」という単純なメッセージ以上に恐ろしい。何しろ、「大人」たちは本作で起きた事の顛末を最初から最後まで全く「見ていない」。本作における「大人」たちにとって、「子ども」らが生きようが死にようが、成功しようが失敗しようが、加藤の言う通り「どうでもいい」のである。

 

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

映画『ギャングース』公式(@movie.gangoose)がシェアした投稿 -

最後に登場する「大人」の意味

いや、正確にいえば、「大人」はラストシーンになってようやく出てくる。

場面はラーメン店。サラリーマン風の2人組が週刊誌片手に事件の顛末について語っている。そしてこういうのだ――「生い立ち悲惨なやつが全員犯罪者になるわけじゃない。自業自得」。

肝心なときにそこにはおらず、あとからやって来て手垢のついた自己責任論で「子ども」の不始末をなじる。

サイケ、カズキ、タケオがゲラゲラ笑って幕を閉じる軽やかな終幕と裏腹に、本作が最後に用意した日本の「大人」たちへのメッセージは、極めて辛辣である。

ギャングース Blu-ray (スペシャル・エディション)

ギャングース Blu-ray (スペシャル・エディション)

 

千鳥『相席食堂』が伝える“ロケ番組”の奥深さ

2019年7月23日放送 

千鳥の『相席食堂』がおもしろいんじゃあ…。アマプラで3周目に入ったんじゃあ…(ここまでVCノブ)。

 

ABC朝日放送で、毎週火曜の深夜に放送中のこの番組。すでに昨年2月期のギャラクシー賞を受賞しており、テレビ好事家からしたら「何を今さら」という物件ではあるのだろうが、それにしても昨年最も見入ってしまった番組といえばぼくにとってはこれだろう。

 

毎回、「旅番組」の体裁をとって、ゲストがときに故郷を、ときに縁もゆかりもない地を自由気ままに散策する。ルールはただ一つ、道中に見つけた飲食店で遭遇した一般客と「相席」することのみ。

 

肝心の千鳥はというと、ロケには一切参加しない。スタジオで2人がそれぞれ1ずつ、「ちょっと待てぃ!」という音が出るボタンを持ち、どちらか一方でも押すと、VTRは強制的に止められ、スタジオで2人がロケに対してツッコんだり、イジったり、ときには批判する。

 

ロケのVTRを止めるこうしたシステムは、例えば『笑神様は突然に…』(日本テレビ系)など先行する番組にもあったが、『相席食堂』最大の特徴は、ロケをしている側には弁明の余地は与えられないことだ。

「ロケをした人」と「ロケをモニタリングする人=千鳥」の完全なディスコミュニケーション。千鳥からロケへの一方的な言及によって、この番組は「ロケ“批評”番組」の様相を呈すことになる。

 

スタジオからの一方的なツッコミは、見方によっては「欠席裁判」であるし、ともすれば視聴者が不快感を催す恐れもある。しかし、千鳥がやれば不快どころか面白くなってしまうのは、そのツッコミがロケでのし上がっていった「ロケ番組の鬼」ならではのノウハウに裏打ちされたものだからだろう。

この番組を見ていると、テレビのロケとはさまざまな要素が複雑に絡みあった複合体であることが分かる。

場をつなげるトーク力や、予想不可能な言動をとる一般人への対応力、食べ物が出てくる番組では食レポでの表現力も要求される。何が起きるか分からない場面ではハプニングへの対応力も求められるだろう。さらに、天気や動物といったアンコントロールなものを相手にする場合は、運の強さも求められている。

このように、ロケとはそのタレントがさまざまな分野で試される、総合格闘技のような仕事なのだ。

 

また、コンテンツとして、ほとんどすべての回が面白いことも特筆すべきだ。

例えば、ジミー大西蛭子能収やくっきー!がロケをする回なら、誰がどう考えても面白くなることが期待できるだろう。

一方で、山下真司高橋ジョージ、夫婦お笑いコンビかつみ・さゆりの(さゆりでなく)かつみの回などは、個人的には本来まったく琴線に触れない。よくある週末の夕方ぐらいに流れているロケ番組なら、完全にスルーしていただろう。

しかし、彼らのロケも、千鳥がスタジオからどこがどう面白くないか、つまらないかということをこんこんと指摘していき笑いに変えてしまう。2人で営む野村再生工場のようなもんである。

 

また、未知数のタレントを使い、その意外なロケの才覚を発見するのもこの番組の醍醐味だ。誰がくまだまさしがロケ巧者だと予想できただろう。誰が、獣神サンダーライガーのロケの安心感を予知できただろう。

 

人気にともない放送時間も拡大し、番組後半では新しい企画も展開されているが、千鳥が人のロケを批評する、という番組の屋台骨だけは変わらない。当分はぼくにとって目が離せない番組であり続けるだろう。

除夜の鐘より100倍迷惑! 映画館でポップコーンを“抽選”する人々

f:id:usukeimada:20200104204820j:plain

映画館でポップコーンを“抽選”中の人

除夜の鐘が周辺住民のクレームによって取りやめになっているというニュースが、ここ数年は毎年のように年末のSNS上で物議を醸している。個人的には、除夜の鐘なんて「年末感を高めるためのSE」みたいなもんだし、今の家からは鐘が聞こえないので聞こえるのが羨ましいぐらいだが、「年末感を高めるためのSE」という理解を共有していない人が増えたのかもしれない。

 

ま、それはともかく、少なくとも「除夜の鐘」よりも迷惑な音があるのである。映画館でのポップコーンである。

 

またその話か、とブラウザを閉じかけたあなた、ちょっと待ってほしい。たしかにぼくは一昨年、こんなブログを書いた。

iincho.hatenablog.com

 

こちら、映画館は咀嚼音がするポップコーンより、綿菓子を売ったほうがいい、ということを真面目に解説した記事なのだが、BLOGOS経由でかなりの数の読者から「お前は頭がおかしい」「病院行け」などと罵詈雑言を浴びたのであった。

あの強烈な反応には驚かされた。それだけ「映画館ではポップコーン!」の信仰が根強いのだろう。

 

あれ以来、ぼくもポップコーン客(普段はポップコーンなんて一口も食べないのに、映画館ではパブロフの犬のごとく雰囲気で買って食べる人々の総称)への態度を少し軟化させた。ポップコーンぐらい食べさせてあげようよ、映画鑑賞の醍醐味じゃんか、と思うようになった。

 

しかし、ある日、ポップコーンの音にまつわる新事実に気づいてしまったのだ。

以下、その新事実に気づいたときの再現である。

 

<劇場にて>

ポップコーン客「ポリポリポリ(咀嚼音)」

 

ぼく(あ、隣の人、ポップコーン客だ。嫌だなあ。でも、劇場が売ってるんだもんな。ガマンしよ…)

 

ポップコーン客ガサガサガサガサ」

 

ぼく(!?!?!?!?)

 

ポップコーン客「ポリポリポリ(咀嚼音)」

 

ぼく(あ、咀嚼音は意外とちっさいな)

 

ポップコーン客ガサガサガサガサ」

 

ぼく(!?!?!?!?!?!?!?!?)

 

…お分かりいただけただろうか。

 

それまで、ポップコーン客がうるさい=咀嚼音だとばかり思っていた。でも実際、多くのポップコーン客の咀嚼音は大したことないのである。聞き流せる程度の音量だ。

 

問題は、上記の再現での「ガサガサガサ」の部分である。これは何かというと、「ポップコーンを“抽選”している音」だ。

 

ポップコーンの「抽選」と聞いてもピンとこない人がいるだろう。

ここでいう「抽選」とは、ポップコーンが入ったバケツの中に手を突っ込み、まるで抽選するかのごとく手でポップコーンをこねくり回し、一つまみしていく動作である。ポップコーンについては咀嚼音より、この「抽選」の音のほうがはるかにデカいことに最近気づいたのだ。

 

咀嚼音なら許せるが、「抽選」はガマンしがたい。

なぜなら、咀嚼音は人がものを食べるときに出てしまう必要悪だが、「抽選」は徹頭徹尾、無意味だからだ。ただただ、意味のない騒音としか言えない。やめてほしい。

こんなことは説明するまでもないが、ポップコーンは福引きではない。当たりのポップコーンがなければ、ハズレのポップコーンもない。もしも「いいポップコーン」と「悪いポップコーン」があったとしても、上映中の暗闇では見抜けないだろう。そして、今の「抽選」で弾いたコーンも、いつかは「抽選」する人の胃袋に収まるだろう。基本的には食べ終わるまで「抽選」は続くのであるから。

 

ちょうど昨日も、『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』を観に行ったら、1回の「抽選」がずいぶん長い客が隣に座ってしまい、辛かった。「その福引き、1等はハワイ旅行か何かですか?」と聞きたくなるぐらい、毎回毎回「ガサガサガサガサ」とポップコーンを「抽選」していた。ああいう人は、騒音に対しての意識が人より低いのかもしれない。

 

反対に、理想的なポップコーンのとり方は、バケツからダイレクトでコーン一つをつまみ、口まで持っていくことだろう。ほとんど音がしない。これはそんなに難しくないことはぼく自身も家で実証済である。

模範とすべきは、水中の魚を一瞬で捕らえる鳥の動きである。ぜひ、全国1億人のポップコーン客には参考にしてもらいたい。うるさい「抽選」など不要なのだ。

 

この話は、今までも友人知人には何度か話したことがあるが、にわかに信じがたい、という反応しか返ってこなかった。

これを読んだ人はぜひ次に劇場に行ったときには確かめてみてほしい。ポップコーンがうるさいのは咀嚼音ではなく、「抽選」なのだ。

【今年もこの季節】2019年度いいんちょ映画祭ベスト10(+ちょっとしたおまけ)

f:id:usukeimada:20191231184731j:plain

毎年恒例のシネマランキング。今年からは「いいんちょ映画祭」と改称して開催したい。

 

というのも理由は簡単である。順位付けの徒労感が凄まじいのだ。

ぶっちゃけ、10位と9位、8位のちがい、なによ? という話である。

そんな順位、昨日選んでいたら変わっていただろうし、明日選んでいても変わることだろう。メシを食っているときに選んだとしても変わっていただろうし、おしっこしているときに選んでいても変わるだろう。つまり、一つ一つを順番に悩んでいるのがアホらしくなってきたのだ。

特に、今年は劇場で114本、合計で308本観た。過去最高記録だが、これだけ観ると、上半期に観た映画がどうしても不利になってしまう。

ということで、今年からは順位をつけず、「ベスト10」として発表したい。さらに、あくまで「映画祭」なので、惜しくも漏れてしまった作品から「部門賞」も紹介したい。

 

【過去7年のランキング】
2012年シネマランキング

2013年シネマランキング

2014年シネマランキング

2015年シネマランキング

2016年シネマランキング

2017年シネマランキング

平成30・31年版シネマランキング

 

2019年ベスト10(順不同)


ジョーカー
ブラインドスポッティング
ゴールデン・リバー
プロメア
工作 黒金星と呼ばれた男
ハウス・ジャック・ビルト
スノー・ロワイヤル
愛がなんだ
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
スパイダーマン:スパイダーバース

 

<以下、各部門賞> ※赤字が受賞作品or受賞者

DCがマーベルへの反撃の糸口を掴んだと確信したで賞

アクアマン

約10年間お疲れさまで賞
アベンジャーズ/エンドゲーム

予告が一番ワクワクしたで賞
ブライトバーン/恐怖の拡散者

チンピラ役が板につきすぎで賞
千鳥大悟(ひとよ)

ただひたすら脳筋を観たいときにうってつけで賞
ワイルド・スピードスーパーコンボ

天才を演じる姿に無限の才能を感じたで賞
鈴鹿央士(蜜蜂と遠雷

眼帯姿がひたすらかっこいいで賞
ロザムンド・パイク(プライベート・ウォー)

再会してからセックスするまでの流れがリアルすぎるで賞

柄本佑×瀧内公美(火口のふたり)

思ってたんと違う…でもなんか面白かったで賞
アス/US

立ち居振る舞いがひたすら美しかったで賞
長澤まさみ吉沢亮(同時受賞 共にキングダム)

最後は絶対応援したくなるで賞
ファイティング・ファミリー

あいみょんのことがちょっと好きになるで賞
空の青さを知る人よ

アクションへの愛が止まらないで賞
ジョン・ウィック:パラベラム

世界の現実を知った気になれるで賞
家族を想うとき、存在のない子供たち、バイス(同時受賞)

タイトル(そして内容も)最高にシブすぎで賞
運び屋(&日本の配給会社に)

新しい演出を見せられた気になるで賞
アメリカン・アニマルズ

誰が見つけたの? ロケーションが最高で賞
ドッグマン

 

なお、今年は「一番面白かったラジオ・ベスト3」もついでに紹介しておきたい。これらはすでにradikoで聞くことができないので、想像だけで楽しんでもらいたい。決して、キーワードなどで検索をかけないように。

第3位 「ダイアンのよなよな」(ABCラジオ)6月3日放送回

ダイアン・ユースケが提唱した「MAXの楽曲は絶対に『ボォーン』という爆発音で終わる」という説から始まるトーク。相方・津田による「小室さんご相談よろしいでしょうか(泣き顔で)」の付け足しも最高だった。

第2位 「火曜junk 爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)11月12日放送、鬼越トマホークゲスト回

鬼越トマホーク、坂井のヤケクソ感のただようトークが、どん底から駆け上がっていっていたときの有吉の面影を漂わせ、最高だ。ヤバいと感じた太田がやや抑えに入り、逆にエンジンのかかって煽りまくるサイコな相方・田中を諌める、というレアな瞬間も垣間見えた。

第1位 「木曜junk おぎやはぎのメガネびいき」(TBSラジオ)12月12日放送、アンタッチャブル山崎弘也ゲスト回

アンタッチャブル10年ぶりの漫才が披露された興奮さめやらぬ中で実施された恒例企画。ザキヤマのテキトーな雰囲気と、ラジオのゲリラ的なテレフォン企画が完全無欠にマッチしていて、歩きながら聴いて、思わず笑ってしまった。ラジオ界最強のリーサルウエポンである。

 

以上。

来年もほそぼそとやっていきます。よろしくお願いいたします。

素敵なファン感謝祭 『男はつらいよ おかえり、寅さん』

 

映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」オリジナル・サウンドトラック

シリーズ50周年を飾り、23年ぶりに製作された『男はつらいよ  おかえり 寅さん』は、旧来のファンが同窓会のようなムードが漂う、素敵な感謝祭となっている。

 

今よりはるか以前、本作の企画を聞いたとき、たしか、現実に思い悩む満男(吉岡秀隆)が、長い間帰ってこない寅さんを追想し、おじさんならなんて声を駆けてくれるだろうか、というようなコンセプトだったと思う。そのときは、「おお、これはもしかしたら『ゴドーを待ちながら』的な名作になるのではないか」という期待が湧いたものである。

結果的に見れば、少々その期待からは逸れたものの、ファン大満足の仕上がりではないか。その証拠に、ぼくは比較的客層が年配のTOHOシネマズ日本橋で鑑賞したのだが、上映中はときおりすすり泣くような音がそこかしこから聞こえた。クライマックスだけではない。それほど、全編において老人が「エモい」と感じてしまう場面が多かったのではなかろうか。

 

そんな本作の大きな特徴は、過去49作を回想シーンとして余すことなく、使いまくっているところだろう。ときにそれは過剰とさえ言える。さらに不自然な点もある。というのも、基本的にはストーリーは満男のナレーションで進むのだが、回想シーンの中には満男が登場しない、もしくは、満男が生まれる前のシーンさえある。誰がそのシーンを見ていたんだ。

そのほか、回想シーンの使い方の過剰はあるものの、目をつぶりたくなるのもまた、回想シーンが理由だ。というのも、本作を見て改めて思ったのは、『男はつらいよ』シリーズは、コメディーとしてもレベルは決して低くないのだ。ただの人情噺ではない。本作で白眉だったのは、回想に出てくる「満男の運動会」のシーン。こんなおもしろい会話劇を書ける脚本家が、現代にどれだけいるだろう。

 

先述したように、『ゴドーを待ちながら』的な要素は薄く、わりとストレートに、中年になった満男が、かつての寅次郎の台詞によって突き動かされる、という展開である。

 

本作を見ていて気づいたのだが、結局、『男はつらいよ』というシリーズにおいて、寅さんという存在はいつまでも不変であって、成長はしない。そんな彼を中心軸にするかのように、妹のサクラはひろしと結婚し、満男が生まれ・・・というふうに、周囲の人間は彼と対照的に、いや、彼の普遍性を掛け金にするかのように、人生が変化していく。

 

寅さんが不在でも成立する『男はつらいよ』。実はそれは、これまでの『男はつらいよ』シリーズの本質なのかもしれない。