いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

“獣になれない”とはどういうことか? ドラマ #獣になれない私たち 初回レビュー

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かつて、動物から人間を区別する定義を「労働」であると記した偉人がいた。
ところが、働きすぎると思考がパンクし、精神を病んでしまい、行動が衝動的になっていく。動物から人間を区別したはずの労働なのに、それをしすぎると今度は社“畜”になってしまう、この何たる皮肉!

 

ぼくらは本当に動物でなく人間なのだろうか。
新垣結衣主演、野木亜紀子脚本の『逃げ恥』コンビによる待望のドラマ『獣になれない私たち』の第1話は、そんなことを突きつける。

 

新垣が演じるのは、ECサイト制作会社に務め、ワンマンな豪腕社長にまるで小間使いのようにこき使われる営業アシスタント。

人の良さから同僚のカバーにも回るが、そのたびにまるで自分のことのように社長に詰められる。第1話では、人の良さからなんでも引き受けてしまった晶が、パワハラとセクハラのダブルコンボを食らい、限界まで追い詰められていく様が描かれる。

 

けれど、晶はそのあと苦痛から逃れるための「衝動」には走らない。

駅のホームで電車が来る間際、あと一歩前に進めば…というところで踏みとどまる。クラフトビールバーで酔っても、顔見知り程度の男=松田龍平演じる恒星と一夜を過ごしたりなんかはしない。そして、何もかもほっぽりだして「辞めてやる」と会社に辞表を提出もしない。

 

そのすべては「衝動」的なものであるが、晶はそれらを回避する。

 

翌日、晶はそれまでにない、真っ黒なスーツに身を固めて会社に現れ、ワンマン社長に対して「これ、私の業務内容の改善要求です」と突きつける。

人間と動物の違いは労働だけではない。自らの意思で「変わること」「変わろうと努力すること」ができるのだ。

 

けれどもそれは、「獣にはもう戻らない」ことを意味する。

疲れ果てた晶があるところで、「今は恋がしたい。誰かに恋をして、すごくすごーく好きになって、なれたら、新しい恋ができたら、何か変わるのかな」と独り言つ。

でもそれは、単純に恋愛で快楽を求めているわけではない。晶の言葉には「恋愛していれば嫌なことを忘れられる。そんな生きものであったら楽なのに」という諦めのニュアンスも含まれている。

 

ぼくらはもう、衝動に身を任せても何も解決しないのをわかっている。もうそんなの終わりにしようじゃないか。獣じゃあるまいし。
これから『獣になれない私たち』が描こうとしているのは、そんな人間の尊厳をかけた戦いなのかもしれない。

巨人・由伸監督が辞任! あの「メモ」には何を書いていたのか

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4年連続でペナント奪還に失敗したプロ野球読売ジャイアンツ高橋由伸監督が、就任3年目にしてついに辞任することがわかった。

 

昨夜、このニュースがネット上を駆け抜けたとき、別に巨人ファンでもないぼくがまず思ったのは、「よかったな! ヨシノブ! ついに辞められる!」ということである。

 

端正なマスクに、天才的なバッティングセンス。

現役時代のヨシノブは、おそらく巨人ファンでなくても、アンチ巨人でも、誰もが見惚れていただろう。

むしろ、ヨシノブのプレーに惚れないのは野球ファンじゃないよ? とまでいえるかもしれない。それぐらいスター選手だった。

 

そんな彼が、半ば強引に現役から引きずり降ろされたのが3年前だ。選手兼任ではない。前代未聞の、現役生活を犠牲にした監督打診。

 

監督時代のヨシノブを見ていると、ぼくに似ていることがよくわかる。

何を言ってんだと、言われるかもしれない。

けれど、ある二点において、ヨシノブはオレタチ、カレはオレなのだ。

 

まず一つ目は、「辞めたいのに辞められない仕事をしている」、ということ。

本人は監督を打診された当時、「光栄」という言葉を口にしているが、それは悪い意味で「大人」の嗜みというもの。

 

第一、実際に監督になってからの3年間。彼が楽しそうであったことがあるだろうか。

唯一、楽しそうな表情を見せたのが、昨年のオールスターで自軍の捕手小林が珍しく本塁打を打ったととき、「シーズン中に打て」とばかりにその場で地団駄を踏んでいたころだ。

 

それ以外、彼は通常、ベンチでほとんど感情を失ったように突っ立っている。どう考えても「やりたくなさそう」で、「辞めたいのに辞められない」ようにしか見えなかった。

 

ヨシノブとオレタチをつなぐ点、2つ目。それは「メモ」だ。

監督中のヨシノブの代名詞といえば、緻密な戦術でも、気を衒った采配でもない。メモである。

3年間、シーズン中のベンチでやたらと目撃されていたのが、彼が手帳を取り出しメモを取る姿。

打たれてはメモ、打てなくてはメモ、負けてもメモ。メモメモメモ。

一体、メモには何が書かれていたのだろう? 一説によると、紙一面が「辞めたい辞めたい辞めたい」で埋め尽くされているという説も実しやかに囁かれてはいるが、真偽は不明だ。

 

ヨシノブは3年間、メモを取り続けてきた。

 

しかし、その「メモ」の内容に意味がないのは明らかだ。メモに有益な表情であったなら、あの巨人を率いて3年間、タイトルなしなんて芸当をやってのけられるだろうか。

 

あの「メモ」の内容自体には意味がない。では、何なのか。

教えてやろう。あれはバツが悪いときについついやってしまう「手グセ」だ。

なぜわかるかというと、何を隠そう、ぼくにもメモを取る癖があるのだ。

 

仕事でミスしたとき、上司に怒られるとき、大抵ぼくはメモを取る。

 

でもそれは今回の反省点の洗い出しや、次回への対策を書いているわけではない。

辛い時間が過ぎるのをひたすら耐え忍ぶため、メモはそれがちょっとでも安らぐように、顔を下に向けるための口実にすぎない。ボクサーもパンチをもらうときはあごを引くだろう。あれと同じだ。

 

ヨシノブは今まで、何百、何千というページをめくっただろう。何本のペンをメモとして消費していっただろう。何リッターのインクをメモ用紙にしみこませていっただろう。

その歴史は巨人の歴史、ではない。ヨシノブ個人の苦悩の歴史であり、どちらかというと囚人が毎日壁に掘る正の字に近い。いつ釈放の日が来るとも知らず、ひたすら待つ囚人のように…。

 

なぜ、ヨシノブは奴隷のように、自身の人生を搾取され続けてきたのか。なぜ、「辞めたくても辞められなかった」のか。

野暮なことをわざわざ書くまい。ネットで検索すれば呆れるほどすぐにわかること。人の人生を左右するのは、今も昔も呆れるほどシンプルな問題なのだ。

 

そんなことより今は、ヨシノブが解放されたことを言祝ごうではないか。

 

「辞任」と言えば悲しい響きだが、ヨシノブの心は咆哮しているはずだ。映画『ショーシャンクの空に』で土から出てきたティム・ロビンスが、土砂降りの雨を降らす天に向かって叫んだように。それは勝利の咆哮なのだ。

ヨシノブの第二の人生が、今、始まる。

 

 

 

 

「世界をより良くするために仕方ないんだ!」 独善的な悪役って最高だよね

独善的な悪役って良いですよね。

世界を制服したるんや! とか、人類を破滅させたるんや! とか、人の迷惑を目的とする単純なバカより、「世界をより良くするために仕方ないんだ!」と悪を断交する悪役は、観ていて「お前はどこで間違ってしまったんや…!!」と悲しい気持ちになります。

正しいことをしようとしていたのに、どこかでボタンの掛け違いがあって、悪の道に堕ちていく。その存在自体に、独特の切なさがあります。

 

今日はそんな「世界をより良くするために仕方ないんだ!」系の悪役を3人紹介します。あくまでも直近の思いついた奴らです。

 

リッチモンド・ヴァレンタインさん(『キングスマン』より)

 

世界的なIT長者、ヴァレンタインさん。

ファッションのモデルはデフジャム創始者ラッセル・シモンズらしいですが、大金持ちになったら社会貢献活動に精を出す傾向がある海外セレブらしく、彼もまた「世界をより良くしたい」やつです。

しかし、その「世界」とは必ずしも「人間界」と同義ではありません。

彼にとっての「世界」とはまさしく地球であり、いま危機に瀕している地球のために、そうだ! 人類を減らせばいいじゃん! と思いつきます。 

ヴァレンタインさんは、人を凶暴にする怪電波が出る無料SIMを開発。全世界に無料でバラまき、中流貧困層に殺し合わせようと画策するのです。

あと寸前のところでキングスマンに阻まれたヴァレンタインさん。暴力と血が大の苦手ということで、最期は自分の流血を見てゲロはいて死ぬという体を張ったギャグを見せます。

 

オジマンディアスさん(『ウォッチメン』より)

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子どもはおろか、大人が観るのにも近現代史の予備知識がないと厳しいDC映画『ウォッチメン』からは、オジマンディアスさん。

人間離れしたスピードと頭脳を兼ね備えているオジマンディアスさんですが、彼の「より良き世界」を阻んでいるのは東西冷戦です。

いつ、どちらが核兵器のボタンを押すともわからない緊迫した状況。

そんな時代に、オジマンディアスさんはその明晰な頭脳でとんでもない計画を思いたってしまう。それは、自分の手で何千万人もの罪なき人々を虐殺し、さらにその罪を仲間の超人(Dr.マンハッタン)になすりつけることにより、人類共通の敵を作る、というものでした。虐殺を防ぐためにまず虐殺する。このコロンブスの卵的な発想で、彼の狙い通り東西の壁は崩れます。

 

オジマンディアスさんの手法は最低最悪ですが、映画はついにその解決策を超えるものを出さないまま終え、鑑賞者はなんとも気持ちが暗鬱となりますが、ある意味、リアルっちゃリアルです。

ウォッチメン (字幕版)
 

 

サノスさん(『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』より)

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そして最後、今最も注目を集めているといえる「世界をより良くする」系悪役最右翼が、サノスさんです。

なにしろ、あのアベンジャーズをコテンパンにしてしまう。あまりに強すぎてアベンジャーズファンのヘイトを溜めて、アゴが小籠包みたいになってるくせにと陰口を叩かれているとかいないとか。

サノスさんも上の二人と同様に「より良き世界」を望んでいます。だから、サノスはヴィラン初のマーベル映画の主役だったんじゃないか、という説もあります。

そんなサノスさんの「良き世界」とは、調和が取れている世界のこと。そのために彼は、世界中の生き物を半分に減らす、と言い出します。

え、半分に減らせばバランスが保たれるの? そんな簡単なの? というツッコミはとりあえず脇に置いておいて、サノスさんはそれを達成。

『インフィニティ・ウォー』は最後、とんでもない終わり方をして、鑑賞者(≒マーベルファン≒アベンジャーズファン)の気持ちをどん底に落としてしまいます。

 

 

 

もちろん、このお三方だけでなく、「世界をより良くするために仕方ないんだ!」系の悪役はずーっと前からいっぱいいたわけである。

みんなで、思い思いの「世界をより良くするために仕方ないんだ!」系悪役に思いを馳せてみればいいんじゃないか。

【前夜祭】『今田×東野のカリギュラ』シーズン2配信記念 シーズン1の神回を一挙紹介!【とりあえず観てみて】

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Amazon Prime Videoのオリジナル番組『今田×東野のカリギュラ』シーズン2が、明日31日から配信になる。

コンプライアンス的にNG、くだらなすぎるといった理由で、一度は闇に葬られた企画を甦らせる、というのがコンセプトのこの番組。個人的にはシーズン2配信は大歓喜なのだけれど、イマイチ世間は盛り上がっていない(気がする)。

というわけで、シーズン2配信日の前日ではあるが、ここで、シーズン1全20回の中から個人的“神回”を振り返っておきたい。

もちろん、プライム会員なら全て今すぐ観られるゾ。

 

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SARAI選手権(エピソード17)

お笑い芸人という素人が、プロのレクチャーを受ければ人を"さらう"ことができるかを検証する企画。『サライ』を歌うのが定番になっている例の涙と感動の番組とは一切関係ない、恐怖と暴力の企画である。

見どころは、何も知らずに襲撃される被験者たちの方である。今やバラエティーアイドルと化した柔道家篠原信一も、身の危険を感じて一瞬鬼神のような表情になるので要チェック。この年、M-1王者になるとろサーモンも、こんな損しかない仕事を引き受けていたのだから、人生何があるかわからないものである。

なお、この後にTBS『水曜日のダウンタウン』が芸人を拉致しているところを通行人に目撃されて騒動になっている。地上波の「壁」はこのあたりにあるのかもしれない。

 

教えてシリガール ~セックスレス大国 日本を救う~(エピソード16)

巷のビッチ=「シリガール」の武勇伝をひたすら聞くという企画。全2回だが、特に衝撃的だった2回目がオススメ。

この回で童貞AD藤原くんが、収録終わりの彼女たちの楽屋を訪れ、今田と東野にイヤモニで指示されながら「筆下ろし」をお願いするという裏企画が実行に移された。ぬるいオチがついて終わると思いきや、そこには衝撃的な展開が待っていた…。

ビッチについて「エロい」でも「面白い」でもなく、初めて「怖い」という感情を覚えた神回である。

 

訳あって地上波ではなかなか会えない、あの人は今!? ~後藤祐樹編~(エピソード13)

後藤真希の弟、後藤祐樹をゲストに迎えた回もなかなか見ごたえがある。当時のトップアイドルの弟にして、自身も華々しくデビューを飾った祐樹。その後の転落人生は多くの人が知っていることだろう。

しかし、そんな彼の「今」を知るものはほとんどいないはず。事件を起こし、表舞台から消え去った人にも「今」があることを改めて気づかせてくれる。

とくに獄中生活のエピソードは地上波ではなかなかお目にかかれないレベルのヘビーなものだ。

現在ネット界隈で「タトゥー」の是非の議論が沸騰している。りゅうちぇるのように肩にシールみたいにあるのでなく、ガチで全身タトゥーまみれ、今も増え続けている後藤の話は、今だからこそ聴いてみてもいいかもしれない。

 

夜の嬢王は誰だ!?芸人の嫁 指名ダービー(エピソード10)

そして、ぼくがこの番組で一番笑ったのがこの回。美人妻と誉れ高い芸人の嫁に集まってもらい、風俗店用の宣材写真を作成。風俗店で、何も知らないガチの風俗客に指名してもらったやつから勝ち抜けるという競技。「気が触れてる」と言わしめた企画である。

この回で、流れ星瀧上の嫁というとんでもないど淫乱、もといニュースターが誕生する。この活躍のためかは不明だが、彼女はのちにフジテレビ『アウト×デラックス』にも呼ばれることとなる。

もう一つ、せっかく宣材写真まで撮ったのに誰にも指名されず、最下位の憂き目にあうある妻のせつない表情も印象的だ。

 

その他にも、「ホームレスインテリクイズ王決定戦」や「うちの親は大丈夫! ガチ詐欺選手権」など、大喜利の回答のような、到底実現できなそうな企画がすでに実行に移されている。

とにかく観てくれればいいから!

アディオス!!

みやぞんとコジコジに通じる「今」を肯定する言葉たち

今年の『24時間テレビ』で100kmマラソンに挑戦したANZEN漫才のみやぞんが、SNSで良いことを言っていた。

 

何かやったから人間価値があるわけじゃない ただ生きてるだけで人間十分価値がある

 

これを、できるだけ楽をして生きていきたいぼくのような人間が言ったならば、大したことはない。右から左へと受け流されていただろう。

この言葉を、約165km諦めずに、弱音を吐かずに、走ったり泳いだり自転車こいだりし続けた男が言うセリフだから、ものすごくカッコいいのである。

 

そして、これこそが『24時間テレビ』が本来持つべきメッセージ性ではないか?

毎年、障害者に何かに挑戦させては、できたことをみんなで祝福する。それはそれで感動する人もいることだろう。

でも、それは裏を返せば、ありのままの彼らでは感動できないの? という話にもなる。

みやぞんは言う、本来人間は生きているだけで価値があるのだ、と。

奇しくもこれは、みやぞんが尊敬する大先輩、明石家さんまの至言、「生きてるだけで丸儲け」に通じるものがある。これを言うさんま師匠がただたんにネアカなお笑い怪獣ではなく、家族が不幸な死を遂げたことがあるという背景を知ると、その言葉の陰影に深みが増す。

 

みやぞんがSNSに言葉を投稿したのに前後して、漫画家のさくらももこが亡くなったという報があった。

みやぞんの言葉を聞いたこととリンクして、さくらさんの描いた漫画『COJI-COJI』という漫画の忘れられないシーンを思い出した。

 

あるときコジコジは担任教師の「先生」に呼び出され、「向上心がなさすぎる」と叱られる。何をしているのかと聞かれたコジコジが、毎日の悠々自適の暮らしを答えたところ、先生に「なにっ!? 遊んで 食べて 寝てるだけじゃないかっ」と詰め寄られる。

ここでコジコジ「えっ 悪いの? 遊んで食べて寝てちゃダメ?」「盗みや殺しや サギなんかしてないよ 遊んで食べて 寝てるだけだよ なんで悪いの?」と逆に聞き返す。

混乱した「先生」が、今度はコジコジに「将来は何になりたい?」と聞く。

するとコジコジは言うのである。

コジコジだよ コジコジは生まれた時から ずーっと 将来も コジコジコジコジだよ

 

どうだろう、この圧倒的な自己肯定感。

これを、「なりたいもの」や「したいこと」をやたら強要されていた子どもの頃に読み、救われたものである。

知っている人も多いだろうが、このコジコジのキャラクターはデザインからしてものすごくゆるい(当時はゆるキャラなんて言い回しはなかっただろうが)。話し方もこんな感じだ。

であるがゆえに、その素朴な言葉がかえって刺さる。 

 

みやぞんの言葉を読んだとき、さくらさんの訃報とリンクして、このコジコジの言葉を思い出したのである。

 

頑張って何かになりたい、やりたい、変えたいと思う人がいたっていい。

でも一方で、生きているままの、いびつな、欠点だらけの間違いだらけの自分を愛してやる、という視点を伝える言葉がもっといても良いんじゃないだろうか。

【書評】“地方育ちの東京人”の初期衝動を代弁してくれる蛭子さんのエッセイ『ひとりぼっちを笑うな』

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先日帰った地元。自宅周辺はまるで何も変わっていなかった…。

 

 

人の葬式で笑ってしまうことでお馴染み、終身名誉クズ人間こと漫画家の蛭子能収が、「ひとりぼっち」についてつづったエッセイ集。

全編、蛭子さんが頭をかきながら困ったような笑顔をしゃべっているいつもの感じが目に浮かぶようだった。

 

クズ人間とは書いたが、言っていることはぼくもほぼ同意してしまうから困ってしまう。やはりぼくもクズ人間なのだろう。

蛭子さんは人と群れるよりは独りでいるのが好きで、自分の自由が大切だからこそ、他人にも寛容でいたいという。まったくもって、ぼくもそのとおりなのである。

 

アマゾンレビューをのぞいてみても、好意的な声が並び、共感している人が多かった。

ただし、本書を単なる「生き方本」みたいに捉えるのはちょっと違う。

蛭子さんの考え方は、地方のしがらみから逃れてきた都市生活者にとって、むしろ当たり前だったんじゃないだろうか。

事実、蛭子さんはこう書いている。

 正直に言うと、僕が長崎から東京に出てきたのは、漫画家になるためではありませんでした。当時働いていた看板屋の仕事から、どうしても抜け出したかったんです。

 仕事は多少きつかったけれど、社長もよくしてくれたし、同僚にも恵まれていました。でも、このままずっとそこにいたら、どんどん自分の自由が奪われていくように感じたんですよ。その場所から抜け出して、とにかくもっと自由になりたかった。

p-118

 

 

自分の意思で東京に出てきた人の中には、蛭子さんと同じような気持ちだった人が少なくないと思う。そもそも「ひとりぼっち」=自由になりたいから都会にやってきたのである。

時が経ち過ぎてなのか、当たり前過ぎてなのか、そこんところはわからないけれど、そのことが忘れられている。

それが今になって、つながりが希薄だなんだと焦り始める。ぼくからすれば、「何を言ってんだ」である。

「都会ではお隣さんの名前すら知らない」って言うけれど、ではお隣さんのゴシップまで聞こえてきた地元が良かったのか? 極端な言い方をすれば、「孤独に死にたい」がために、あなたは都会にやって来たのではなかったか?

蛭子さんの本は、そんな忘れられがちな地方生まれの都市生活者の初期衝動を代弁してくれている。

 

ただ一点だけ、文句をつけたいことがある。

人の葬式では笑ってしまうのに、急死した前妻が大好きで、葬式で涙が止まらなくなっちゃったなんて書かれたら、クズ人間だなんて言えなくなっちゃうよ。そこだけはズルすぎる。

大阪桐蔭と金足農業の違いを考えていたら「スポーツっていいな」って結論になった話

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大阪桐蔭高校が史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げて終わった、100回目の夏の高校野球である。当方は、10代の勇姿をエアコンのキンキンに効いた部屋で観戦していた30代であるが。

決勝のカードが決まってから、いや、個人的な観測ではもっと前から、勝ち上がってくるこの対照的な二チームが話題に上がっていたと感じる。

一方は、全国から(といっても実は地元出身が多いけど)野球エリートが集った私立の超強豪校。もう一方は、地元出身の選手をそろえ、100年超ぶりに決勝に戻ってきた公立校。

その二校が勝ち上がってくるにつれ、「金足がんばれー」とか、「桐蔭を倒してくれー」みたいな声があれば、一方で「そんなの判官贔屓だ」なんていう人もいたり。中には、「大阪桐蔭の選手も頑張ってるんだ! ヒール扱いはよそう!」みたいな“優等生発言”も出てくる始末。

別に、どちらをどのように応援しようがその人の自由なのである。

 

 

それよりも、今回観ていてあらためて高校野球、そしてスポーツっていいなと思わざるを得ないのは、その公平性についてだ。

スポーツは公平が原則だ。

いくら私立校が練習環境に恵まれていようと、いくら公立校がそうでなかろうと、相まみえるグラウンドの上では(原則的に)公平だ。別に、高野連に多く金を積んだ方が10人でできるとか、ボールを同時に2個投げられるというルールはない(当たり前だ)。

サッカーだってそうだ。どんな金満クラブであっても、グラウンドに立てるのは相手と同じ11人である。同じ人間が競うことなのだから、その90分で何が起こるかわからない。だからこそ面白いのではないか。

 

さまざまな条件、道を通りながらいろんなチームがやってきて、同じ条件下のグラウンドで相まみえるからこそ、甲子園は面白いのである。

今回の決勝も観ていたら面白いほど戦い方が違った。金足農業は出塁すると送りバントで愚直に前の塁を狙うのに対して、大阪桐蔭は相手エース吉田くんの球をぶんぶん強振していくスタイルだ。

そんな風にスタイルは違うけれど、どちらも同じ「野球」なのだ。それが面白いではないか。ネオくん、藤原くんすごいなー、吉田くんがんばるなーとか言いながら、当方は室内でストロングゼロを飲みながら観戦していた30代であるが。

 

それとは別に、今回の決勝は投手の疲労度の差も大きかったのではないか、と感じた。吉田くんに投げさせすぎ。選手の健康のためにも、高野連はいい加減球数制限を設けるべきである。

球数制限があると継投が避けられなくなり、優秀なピッチング・スタッフが集まりやすい私立の強豪校がさらに有利になるという説もあるが、そうなったときは公立校勢が戦い方で知恵を出す番だろう。

 

間違っても、グラウンド上での公立校への優遇策などはあってはならない。高校野球が廃れていくのは多分そのときだ。