前回のエントリーについてさまざまな意見をもらった。
一番多かったのは、「いや、初回ラーメンないだろ」「初対面がいきなりラーメン屋行って何の話ができるの?ゆっくりお話できる店じゃないでしょ…」「ゆっくり会話して相手を知ることが目的のデートに、ラーメン店選ぶ人の方がお門違いでは?」といった反論だ。そもそも記事は「そういう初手のしくじりに目をつぶってほしい」という主張なので、それでは議論が振り出しに戻ってしまう。
そのほか、「婚活でいい服来てるのに、独特な匂いが立ち込める手狭な店に連れて行かれて、誰がいい気分でいられるんだ」というのもあった。おかしいな。外食店の匂いといえば、ラーメン店より焼き肉店だと思うが。この人は男性から高級焼肉店を提案されても、匂いが服に移るので…と断るのだろうか?
…そんな底意地の悪いことを書くのはこの辺にしておこう。
婚活女性に紹介したい! 映画『ロン 僕のポンコツ・ボット』
この週末、そんな婚活女性達にぜひ観ていただきたい映画を紹介する。現在絶賛…でもないがそれとなく公開中の映画『ロン 僕のポンコツ・ボット』だ。
予め断っておくと、この映画は「婚活」のこの字も出てこない。主人公のバーニーはそもそも小学生だ。
こういうのを書くと、映画ファンのうるさがたからは「映画を流用して、そんな俗物的な人生訓を垂れるんじゃない」みたいに眉をひそめられそうだが、許してほしい。そうでもして、ぼくはこの『ロン』を取り上げたいのだ。
というのも、『ロン』はいい映画であるにも関わらず、記録的に人が入っていない。先週の初登場の興収ランキングでも9位とかなり苦戦している。全国で300館以上も上映されていたのに、だ。
ぼく自身、劇場で引き込まれながら観たものの、周囲を見回してがく然とした。自分を入れて客が10人に満たなかったのだ。辺鄙な田舎のレイトショーの話ではない。東京・渋谷のど真ん中の映画館の昼間の回である。
話題作が続々公開される中で、タイミングにも恵まれなかったことはあるだろう。しかし、このままこの映画を世に埋もれさせてしまうのは忍びないと思い、今回婚活女子と絡めて筆を執ったのである。
出会いは最悪だったけど…育まれていく友情
最新式ロボット型デバイス<Bボット> ―それは、スマホよりハイテクなデジタル機能に加えて、持ち主にピッタリな友達まで見つけてくれる夢のようなデバイス!そんな<Bボット>で誰もが仲間と繋がる世界で、友達のいない少年バーニーの元に届いたのはオンライン接続もできないポンコツボットのロンだった。 出会うはずのなかった1人と1体が‟本当の「友情」“を探すハートウォーミング・アドベンチャーが今、始まる―
キーアイテムであるBボットは、スマホにPepper、さらに乗り物の機能をあわせ持ったようなカプセルタイプのデバイス。
持ち主の指紋認証一発で、ここまでのネットワーク上での動向を全て収集し、持ち主に最適な“友人”となりつつ、同じBボットのユーザーの中から、趣味嗜好がマッチした“友人”を見つけてくれる。
主人公の少年バーニーは、学校の中で一人だけBボットを買ってもらえず悲嘆していた。しかし、誕生日にひょんなきっかけから、ちょっと壊れたBボットのロンと出会う。
他の子どものBボットはツーカー、どころか、持ち主の指示を先回りしてまで動いてくれるのに、少し壊れたロンはさっぱり。一から十まで説明しないと動いてくれないし、説明したとしても絶対指示通り動いてくれない。おまけに、オンラインに接続できないので、バーニーに最適な友達だって見つけてくれない。
しかし、Bボットを開発した天才エンジニアのマークは、壊れたBボットの存在に気づき、驚がくする。バーニーとロンの関係こそが、自分が作りたくても作れなかった理想の関係性だったのだ。
最初はまったく自分の思い通りにならないロンにがっかりし、返品しようとまで考えたバーニー。しかし、さまざまなハプニングを1人と1機で乗り越えていくうちに、そこに絆が生まれていく。バーニーにとってロンはいつしか、かけがえのない親友になっていく。
アプリ上に完ぺきな“理想の相手”など存在しない
…あんまり書きすぎると劇場に行く必要がなくなってくるので、これぐらいにしておこう。
こうしたストーリー展開をながめながら、婚活と一緒だと気づいた。
初アポでラーメン店に連れていく男や、4℃をプレゼントする男を敬遠する女性たち。関係が深くなる前にそうした些細なミスで相手を切ってしまう女性たちが待ち望む相手の最高レベルは、まさにBボットのような存在なのだろう。自分のことを全て把握し、気が効いて、不快な思いをさせないように振る舞ってくれる、快適な存在だ。アプリの向こうには、きっとそういう存在がいるのだと信じて、毎日せっせとチャットを返しているのだろう。
でもね。たぶんだけど、そんな人、いないよ?(ウエストランド井口風に)
本作がバーニーと不良品のBボット・ロンの関係を通して教えてくれるのは、自分にとって大切な存在とは、与えられるものではなく、作るものということ。バーニーにとってロンがそうであったように、出会いは最悪で、大変な苦労をしたとしても、チューニング=すり合わせができる可能性は残されている。私はそういうの嫌いです、悲しかったです。と伝えればいいし、相手だってあなたの不快な思いをしたかもしれない。伝えられれば直せばいい。
さらに人間のバグではあるのだが、相手の欠点に愛着を持つことだってあるのだ。
“マッチングアプリ”というネーミングの落とし穴
以前から思っていたのだが、「マッチングアプリ」というネーミングで、マッチングアプリ業界自体が損していると思う。
辞書を引くと、「マッチング」という言葉には、「つり合うこと。調和すること」とある。このネーミングだと、まるで最初から自分に合った相手が与えられる、とユーザーは錯覚してしまう。
チャット上で何百何千回とやり取りをしたって、生身の人間のことはほとんど分からない。会ってみたらがっかり、という瞬間も必ずある。結局、マッチングアプリ業界が提供しているのは、ほんとうに最初の最初、「出会い」の部分だけなのだ。だから、業界としては二度と名乗りたくないだろうが、「出会い系アプリ」という名前の方が説明として相応しい。
人はだれしもが誤った選択をすることがある。たとえ熟慮に熟慮を重ねたとしても、人は間違うのだ。しかし間違ったことをほかの人から指摘されて、それを直すことだってできる、それも人間だ。それはバーニーにとってのロンのように。
前回の意見には下記のような反響をくれた人々もいた。
「今行くのに最適な場所、人の欲しいものを無視してまで自分が行きたい、あげたいものが絶対良いんだ!って思ってやっちゃうのが無理なのだよ」
「ラーメンがだめと言ってるわけじゃなくて、会の目的とそれがかなう場所を選んでほしい」
「目的とそのための最適解って考え方がわからない」
「初対面の女性をラーメン屋に連れて行く男、生涯にわたって気遣いできなさそう」
こうした人々はきっと、生涯にわたって自分にとっての最適解を必ず出してくれるBボットを探す旅をさまようのだと思う。
と、ここまで読んだら、さっさとパジャマを着替えて外出の準備に取りかかっていただきたい。
『ロン』は子ども向けに作られてはいるものの、プラットフォーム企業の個人情報の乱用や、デジタルタトゥーといった、今日的な風刺も効いていて、大人の鑑賞にも十二分に耐え得る。このままでは劇場公開はすぐに終わってしまう。早く劇場にかけつけてほしい。