いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】進撃の巨人 ATTACK ON TITAN(前篇)

巨人の襲撃にあった人類が、高い城壁の中で暮らし始めて約100年。城壁が巨人によって壊され、人類がふたたび彼らの脅威にさらされることとなった姿を描く人気漫画、アニメの実写化だ。

公開前からどちらかというと「大丈夫か?」といった懐疑の目が向けられていた話題作で、実際に公開後も賛否両論を呼んでいる。

映画「進撃の巨人」スタッフの西村喜廣氏 批判に反応しツイートか - ライブドアニュース

主役のエレンに三浦春馬を迎え、水原希子石原さとみ長谷川博己三浦貴大ら当代きっての若手豪華俳優陣が結集した"日本的"な大作である。

ところが見終わった今にして思えば、この映画の主役はそんな豪華な俳優陣ではない。名も無き巨人たちの方である。

冒頭のエレンたちと巨人の遭遇シーン。正確にいうと、超大型巨人が城壁の一部に穴を開け、そこから巨人たちがウヨウヨと入ってくるシーンだ。

前評判ではその造形がボロクソに叩かれていただけに、ぼくはエレンたちとはちょっとちがった意味で固唾を呑んで巨人たちの登場を見守っていた。


そのファーストインパクトは衝撃的だった。


ひ、人やん! ただの裸の人たちですやん!


背筋が凍るとはこういうことだろう。ちょっとざわつく観客席。圧倒的な「コレジャナイ」感。こんな滑稽な、こんな安っぽいのでいいの? 開始まだ10分そこらである。自分はせっかくの休日にとてつもなく酷い映画を選んでしまったのではないか……正直ここまでなら観るのを後悔するレベルだった。


ところがである。この、人がやっているのが丸出しの裸族、否巨人が、人々を無残に食い散らかしていくのを眺めているうちに次第に巨人に見えてくるし、なんとぼくの中でも彼らが本当に怖い存在になり始めたのだ。

そして、ここでふと、この実写版の巨人を「コレジャナイ」と否定しかけていた自分の中に懐疑の念が湧き始めた。

さきほどぼくは巨人を観た瞬間「こんな滑稽な、こんな安っぽい」と形容した。たしかに笑える部分もあるし、安っぽくはある。奇しくも同日鑑賞した『ジュラシック・ワールド』の恐竜どもとは雲泥の差である。

ただし、それではぼくは『進撃の巨人』で実写化される巨人にどんなものを望んでいたのかというと、上手く思い描けないのである。

よくよく思い返してみれば、こうして実写化された巨人を見るにつけ、「もしかしたら原作漫画の巨人ってこういう存在だったのかも知れない」と思い始めたのだ。

そういう意味でこの実写化の巨人は、原作のポテンシャルを最大限に引き出した解決策なのでないか、と思えてきた。今回の実写化はむしろ、原作者の不安定な画力や描き足りない部分を補足し、そのポテンシャルを引き出しているとさえいえる。今作の巨人は、原作の「コレジャナイ」ではなく「コウデアッタラコワイ」といえるのではないだろうか。

ただ、今回の実写化巨人は原作巨人と相違ばかりでなく、共通点もある。それは恐怖に関する感触だ。

われわれ読者が『進撃の巨人』の巨人に恐怖を抱くのは、ただ食い殺されることが怖いからではないはずだ。そうではなく、「こんな気持ちの悪いヤツら」に食い殺されるからこそ怖いのである。漫画で描かれたある名も無き兵士の自死が、今作でも再現されている。あんなキモい巨人に食い殺されるぐらいなら、自分で死んだほうがマシだ、というわけだ。今回の実写化でも、そうした感触は見事に再現していた。こんな巨人につままれてペロンチョされるのだけは、絶対にイヤだ!!

もし、観客の中に巨人はフルCGでやってほしかったという声があるなら、ぼくは断固反対したい。現時点では上手くは説明できないが、フルCGでやってもこの怖さは再現できなかっただろう。『ジュラシック・ワールド』の恐竜は、巨人よりもはるかに獰猛にみえたがその一方で、今回の巨人についてまわるキッチュで、滑稽なのだけど怖いという存在感はなかった。

今作も、冒頭で少しだけ姿をみせる超大型巨人だけはCGとみられる。ただし、もしもすべての巨人をフルCGで手がけていたら、見るも無残な結果になっていただろう。
そういう意味で、人感丸出しの今回の巨人は大成功だったとぼくは思う。


この映画は巨人の気持ち悪い存在感を楽しむ映画である。ストーリーと脚本が鑑賞に耐えられるものだったら、きっと今年一番の邦画になっていただろう。