いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】アリスのままで

全米ベストセラー小説『静かなるアリス』をジュリアン・ムーア主演で映画化した一作。
著名な言語学者のアリスは、3人の子どもを立派に育て上げ、アカデミズムの世界でも順調にキャリアを重ねていた。ところが彼女の中で、ある異変が頭をもたげる。最初は単なるど忘れかと思われたそれは、次第に大きく膨らみ、やがて彼女に決定的な診断が下る。彼女は若年性アルツハイマー病だったのだ…。

原作者は実際に複数の認知症患者への取材を重ねた上で執筆したそうで、その描写はリアリティがある。約束を忘れてしまう、家の近くなのに迷子になるなど、些細なことを通してアリスの世界は徐々にではあるが確実に、ボヤけていく。映画はそれを文字通り、背景をボカすことによって表現してく。

そしてそのボカシはいつしか、彼女自身の顔にも及ぶことになるのである。アリスの大切な思い出、家族までもを病は奪い去っていこうとするのだ。

病が進行し、無残に変わりゆく途上でアリスはポツリと言う――癌ならガンならよかった。癌なら恥ずかしくなかった、と。病気の性質上、彼女の変わりゆく姿は周囲を驚かせ、失望させていく。それは患者誰もがとおる辛く悲しい道だろうけれど、かつて誰もが認める聡明な女性だっただけに、アリスの絶望はより深い。

彼女の夫として、ぼくの好きなアレックス・ボールドウィンも出ているけれど、正直なところこの映画はジュリアン・ムーアの一人舞台だ。病の進行する途上にある彼女が、ある席でスピーチすることになった。

アリスのスピーチは、病を克服してやるといった強い決意の類ではない。(元)科学者として病の進行を冷静に受け止めながら、冷静に悲嘆にくれている。けれど、その言葉そのもの以上に、彼女が檀上で作る行間には悲壮な決意が感じ取れ、胸を打つものがあるのだ。その決意すらも、いずれ本人はいずれ忘れていってしまうのだろうけれど。

映画は極端な悲劇にも喜劇にも振れることなく、鑑賞者に丸投げする形で幕を閉じる。淡いあと味なのだけれど、ジュリアン・ムーアにただただ圧倒される映画であるのはたしかだ。