いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「恋人有り」という免罪符

こないだ、人に聞いた話で、え、マジで? 世の中そんなことになってんの? っていうものがあった。

単刀直入にいうと、彼氏/彼女がいるということは、それそのものが「社会的なステータス」になるのだそうだ。

どんなにズボラでも、どんなにダメなやつでも、恋人がいるという、この一点において「でもこいつにも彼氏/彼女がいるんだよなー」となって、周囲から「人間としての最低ライン」はクリアしていることになるらしいのだ。

おお、自分で書いてみて、3パラグラムでここまで酷いことを書いたこともそうそうないぞ。

裏を返せば、恋人がいる=世界で唯一無二の承認を得ることは、何にもにも代えがたいことなのだそうだ。

ただこれは、彼女持ち/彼氏持ちということの「記号」的に解釈しているだけである。その人の事情をもっと詳しく知っていくと当然、「人間としての最低ライン」をクリアしているというのが思い込みだった、となることもあるだろう。

たとえば、ある人は恋人がいたとしても、その人に毎夜のごとく暴力を振るっているかもしれない。ある人はその恋人にウン十万も借金しているかもしれない。

とかく、恋人というものに、人間は最もダメな部分を見せるものである。恋人という世界で唯一の承認を得ることと引き換えに、「人間としての最低ライン」を下の方へとくぐっていってしまう人だっているかもしれない。

結局、彼氏/彼女がいるということで担保される何かは、虚構にすぎないのである。

ただそれでも、お互いにそこまで深入りしない――たとえば会社など――コミュニティでは、彼女持ち/彼氏持ちという記号は有効なのだそうで。
仕事の覚えが悪くても、要領が悪くても、「それでもこの人には恋人作れるほどの人間的な魅力があるのだ」ということだけは担保される。本当はプライベートでもグズなのに。

裏を返せば、会社という、とかく恋人など関係ないところでこそ、「恋人がいる」ということはどうでもいいようで、実はどうでもよくない、ということになるらしいのだ。