いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「境界のないセカイ」出版中止騒動――「悪いおじいさん」すら認めない講談社について


朝からTwitterでちょっと話題になっていた。

講談社から3月9日に発売予定だった幾屋大黒堂(いくや・だいこくどう)さんの漫画「境界のないセカイ」の単行本が発売中止となり、ウェブ上での連載も打ち切られることになった。幾屋さんのブログによると、性的少数者LGBT)からのクレームを恐れた講談社側の意向で発売中止になったという。これを受けて、DeNAが配信する「マンガボックス」での連載も15日公開の第15話で打ち切られることになった。

【境界のないセカイ】講談社がLGBTへの配慮で発売中止か 「腫れ物扱いは不幸でしかない」


性的少数者LGBT)からのクレームを恐れた講談社側の意向で発売中止になった」というと、一体どんな漫画なんだという話だが、気になったので実際に「コミックボックス」のアプリをダウンロードし、16日現在に閲覧可能になっている1話から4話と、9話から結果的に最終回になった15話までを読んでみた。
かいつまむと、18歳になったら性別が自由に選べるようになった未来を舞台に、美少女に生まれ変わったいとこをめぐっての主人公の心の葛藤を描くという一種のラブコメで、コミカルでテンポがよく、特段に顔をしかめてしまうような内容ではないのである。
なにが問題になったのかについては、作者・幾屋大黒堂氏本人がブログでもっと具体的に説明している。

講談社さんが危惧した部分は作中で"男女の性にもとづく役割を強調している"部分で、「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージが断定的に読み取れることだと伺っています。
(私への窓口はマンガボックスさんの担当編集氏なので、伝聞になっています)
これに対して起こるかもしれない性的マイノリティの個人・団体からのクレームを回避したい、とのことでした。

これが顕著にみられるのは本作第5話で、バーチャルリアリティ空間内で女性化した主人公に対して男性の恋人があてがわれ、オペレータが「女性の恋人は男性であることが当然である」ように語るシーンがあります。
「境界のないセカイ」マンガボックス連載終了のお知らせ: 幾屋大黒堂Web支店 @SakuraBlog

作者自身に「酷いことを言っている、という認識はあ」ったそうした描写がなぜ挿入されたのかというと、「ここの描写は背景世界の説明の一部であり、主人公の変化を描く過程の一部」であるからだ。
ここでいう「背景世界」とは、おそらくは性別の変更が自由となり、かえって無自覚的に受け入れられるようになってしまったヘテロセクシズム(異性愛中心主義=「女性の恋人は男性であることが当然である」)を指している。
だが、こうした「背景世界」が描かれるのは「いずれ作品総体としては否定されていく意見」としてであって、なにも作者がそれらを賛美しているからではない。こうした過程を経て、主人公に「最終的には多様な生き方に寛容な考えを持たせていくつもり」だったと作者は説明している。
こうした作者の意図を知ると、性別と性自認性的指向の不一致という問題に疎い読者をハッとさせる仕掛けが施されていたことがわかり、中々よくできた作品に思えるのだ。



この作者の言葉を鵜呑みにするならば、問題となったシーンはいわばお伽話における「心優しいおじいさん」に対する「悪い(欲深い)おじいさん」だった、ということになる。その「悪いおじいさん」が出てきたことに、編集部は「NO」を突きつけたのである。
これは何も難しい話ではなく、「正義(作品が望ましいものとして表現するもの)を際だたせるために悪(作品が望ましくないものとして表現するもの)を対置する」という、極めて汎用性の高いストーリーテリングの技法である。これを封じられると、おそらく多くのフィクションが成り立たなくなるだろう。社会通念に反する言動を披露する悪役は、表現すらできないことになる。


注意すべきは、出版中止という措置が抗議があると想定した上での自主規制にすぎないもので、講談社にはそもそも抗議など来ていないということだ。
講談社といえば、ここで思い出すべきは週刊少年マガジンで連載中の『聲の形』だ。この作品が読み切りとして出たとき、講談社「編集部内で議論になり、一時掲載を見送られた」などと宣伝(?)していた。それは事実なのだろうが、一方でそういうことを全面に押し出す姿勢が、当時は鼻についた。

それはともかく、個人的にはクライマックスの表現についてやはり一部で違和感が指摘された『聲の形』が掲載され、今回の『境界のないセカイ』が出版不可になったことは、理解に苦しむ。繰り返すが、「正義(望ましいもの)を際だたせるために悪(望ましくないもの)を対置する」というのは、これまでも数えきれない作品で使われてきたオーソドックスな技法である。あなたが「金のオノ・銀のオノ」の話を子どもに物語るとして、子どもに嘘つきを教えてはダメだといって正直者の話の部分だけ伝えるだろうか? せめて、作者が思う通り最後まで描かせてからでも、判断は遅くはなかったのではないか。


聲の形』を掲載にまで持っていった当時の「出版社としての気概」をもう一度見せてもらいたいものである。


ちなみに、LGBTに関しては講談社の子会社・星海社がとっつきやすい入門書を出版しているので、お勧めしておこう。

百合のリアル (星海社新書)

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