いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ACっぽい東京ガスの就活CMがイマイチな理由

2月に放映開始された東京ガスのテレビCM「家族の絆・母からのエール」編の内容が、あまりに辛辣なため、放映1ヶ月で打ち切られたことが、徐々に話題になっている。
先週、知人から教えてもらって視聴したのだが、この話題が昨日ついにYahoo!トピックス入りしていた。東京ガスによると実際は批判による打ち切りではないそうなのだが、こんな内容だ。

CMは、就活中の女子学生が主人公。志望企業から何十通もの「お祈りメール」(不採用通知、末尾に他社への就職活動の成功を祈念する文が付くことからこう呼ばれる)をもらった末に、ようやく最終面接までこぎ着けた企業からも「お祈りメール」が届く。近所の公園のブランコにぼんやり座っていて、母親に背を押されて号泣。母の作った鍋焼きうどんを食べ、翌朝、スマホに「まだまだ」と打ち込んで再び就活に飛び込んでいくシーンで終わる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140704-00000069-mai-soci

百聞は一見に如かずで、まぁ見て下さいよ。

夜の野外で1人で見たのだが、クライマックス前の音楽がスッと止まる場面で、思わず「ヒィ」と短い悲鳴をあげてしまった。とりあえず、それぐらいの力はある。
現行の就活の経験者(特に携帯端末を駆使するようになってからの就活を経験した若者)は、このCMが大げさだと思う人はあまりいないだろう。それほどにリアルで、だからこそ、見る者はメンタルをもろにやられる。
ただし、結末までは。


このCMに対する「現実的で家族の暖かさが伝わる。良い作品です」「最高に素敵なCM。心が温かくなる。勇気がもらえます。批判の理由が謎」といった、肯定的な感想には首を傾けざるを得ない。
それは、CMが最終的には「内定がもらえるまで頑張り続ける就活生」というものを、肯定してしまっているからだ。
現実の就活は、この1分半ほどの動画で起きることが1度でなく、何回も、人によっては何十回も繰り返される。面接が上手くいったという確信と喜びを味わわされたと思いきや、その多幸感はたった一通の「お祈りメール」で急転直下、どん底に突き落とされる。選考の頂上に近づけば近づくほど、落ちた時のダメージはデカい。だがそれでもメンタルを奮い立たせ、元のスタート地点にもどり、「志望動機」やら「自己PR」などを一から考えなおさなければならない。それが就活なのだ。
先の動画は1回の再生でなく、いつ終わるともわからないループ構造になってこそ、就活の実情と沿う。ためしに、先の動画のURLの「youtube」と「.com」の間に「repeat」と入れてエンターを押してほしい。動画が延々とループするページに飛ぶのだが、その状態だと思ってもらいたい。


以前就活を救済予定説になぞらえて考察したことがある。就活生は、内定という結果が出るまですべての努力が無に帰するという思想に追い込まれる。
救われる=内定が出るまで、何度も何度も同じ過程を繰り返す。このループ構造に、先のCMは全くメスを入れない。それをもって、感動するCMという評価に、ぼくはどうしても偽善を感じる。
例えば最後に、「ちょっと息抜きしてみるのもいいんじゃない?」と、お母さんが声をかけてあげればいい。「いい会社に入れなければダメというわけでない」と、慰めてあげればいい。そのループ構造の外部があるということを気づかせる言葉が一言でもあればいいが、そうした抜け道は、見させてくれない。


しかも、これは東京ガスという大企業のCMである。彼らが広告代理店(おそらくこちらも名のとおった企業だろう)と組んで作ったCMなのだろうが、現実ではこうした光景を大量生産しているのは、彼らであるとさえいえる。



ただ一方で、このCM全てが悪いとも思わない。就活生の不満をあの短時間で、見事に表現している。結論部分に救い後ないだけで、あとはよい作品だと思うのだ。


だから提案したい。ACによる「リメイク」というのは、どうだろうか?
このCMを見たとき先に短い悲鳴が出たと書いたが、その怖さはどこかACのCMに似ている。
ACのCMがときに怖くなるのは、それが商品の宣伝ではなく、いま現に存在する問題(そしてその多くはわれわれにとって耳の痛くなる問題)への啓発を狙ったところがあるからだろう。見ている側をハッとさせるところがあるから、怖いのだ。
ACの題材設定にどんな条件があり、どのようなプロセスで決まるかは知らない。
けれど大学全入時代のいま、就活を公共広告であつかうことが全く的外れだとも、思えない。

的外れならば、はなからこのCMがここまで話題になることなど、なかっただろう。