- 出版社/メーカー: アップリンク
- 発売日: 2007/12/07
- メディア: DVD
- クリック: 72回
- この商品を含むブログ (41件) を見る
イスラエルによる圧政に苦しむパレスチナ人の視点から、自爆テロを描いた作品。
まず、このさっぱり感がすごい。そこには重厚な音楽も悲惨な描写が直接的にあるわけではない。それなりの紆余曲折はあるものの、基本的には自爆テロ決行までを、冷めた視点で淡々と描いている。
主人公の自爆テロへ行くことが決まった場面からして、非常に淡白だ。おそらくグループの上層部なのだが、狭い路地で主人公を待ち伏せて、君たちが選ばれたと告げるのだ。受ける側の主人公も、あ、はいといった感じ。明日バイト入ってくれる?いいっすよ、くらいのノリである。もちろんそこには宗教的な裏付けや、圧政で苦しい生活という背景があるのだけれど、一人の若者の人生の終わりを決定する場面としてはあまりにもあっさりしている。
映画はその後も、その冷めた視線ゆえに、自爆という行為の不合理さやテロ組織そのものがもつ、ある種の滑稽さをも丸裸にしていく。とくに、犯行声明文を読み上げるビデオを録画するシーンについては、北野武の映画のような笑いがある。「お前たちが世界を変える」――そう言うときの彼らの「真理」は、この映画のレンズからのぞけばあまりにも脆く写る。
このような映画だから、事態への政治的な価値判断もできるかぎり排除している。自爆テロというものを賛美する訳ではなく、かといってイスラエルによって自由を奪われ、貧困に苦しむパレスチナ人という現実もあることも否定しない。映画はあくまで「両論併記」的に描写する。
どちらか一方に与した方がインパクトのある映画になるはず。けれど、どちらにも与せず、淡々としたこの映画が強く印象に残るのはなぜなのか。それは、ストリーテリングの巧みさもあるかもしれないが、それ以上に監督がある芸術についての「確信」を持っているからかもしれない。
監督はインタビューで、映画の淡白太描き方にパレスチナの観客らから物足りないとの不満もあったと語っている。そうした上で、次のように語る。
私は、映画は苦しみを声高に叫ぶ物ではなく、苦しみや痛みを囁く事が大事なのなのではないかと思います。 なぜなら私は芸術家ですので、芸術にはそうすることで人々が耳を傾ける力がある事を知っています。それが芸術の美しさでもあります。
耳をつんざくような叫びでは、相手は耳を塞いでしまうかもしれない。淡白で見過ごしてしまいそうなとりとめのない描写を目を凝らして観てくれる観客に託す−−この映画はそうした営みに成功していると思う。