『ザ・ファイター』は、実在の元ボクサー・ミッキー・ウォードの伝記的映画。実話がもとになったボクシング映画といえば、元世界ミドル級王者ジェイク・ラモッタの栄光と墜落の半生を描いたスコセッシの『レイジング・ブル』があるが、評者にとっては断然、ウォードの方がなじみ深い。
というのも、評者はウォードの試合をテレビ中継で観戦したことがあるのだ。ボクシングファンに語り継がれる、ウォード対ガッティの3連戦。この3戦がいかに壮絶なものだったかは他の説明に譲るとして、当時からこの3連戦に映画化が企画されているという噂があったのは記憶にある。
で、今回ようやくこの作品を観たのだが、びっくりした。
ガッティ戦前で映画が終わっちゃった!!!
観始めて、ストーリーの進み具合の遅さに嫌な予感がしたが、その予感があたってびっくりした。
しかし観終わってみると、ガッティ戦ではなくウォードの家族、とりわけ兄との関係に焦点をあてた本作のやり方が正しいようにも思えてくる。ガッティ戦が名勝負であることに間違いないが、あれを映画で、しかも俳優という素人で再現して上手く見せれるとは思えないし、たまたま第1戦が超ド級の名勝負になったがゆえに2戦、3戦と続いただけで、実はウォードとガッティの間に映画になりうるような「物語」があったわけじゃない。だから、この映画化のフォーカスの当て方は正しいと思った。
物語は、鳴かず飛ばずのボクサーミッキーと、彼の異父兄弟のディっキーの関係を主軸に語られていく。ディッキーは将来を嘱望されたかつての天才ボクサーで、5階級制覇のシュガー・レイ・レナードとの一戦では、ダウンを奪ってさえいる(倒したとはいってない)。しかしそのあとドラッグに溺れ大成しなかった。
ミッキーはその兄を尊敬し教えを乞うが、素行が悪い兄は彼にとって頭痛の種でもある。兄が悪さをやらかすたびに、ミッキーの顔が「やめてくれよ兄貴…」という表情に固まるところが印象的だ。
また、プロモーターの母は息子のミッキーでファイトマネーを稼ぐことに躍起で、体重差のありすぎる危険な試合にも彼は駆り出されてしまう。
ここまでみてわかるとおり、ボクシング映画でもあると同時に、家族の共依存という問題を扱った映画でもある。
このまま家族だからという名目で兄や母親に頼られ続けても、ミッキーはボクサーとして大成しない。ミッキーの彼女のシャーリーン(エイミー・アダムス)は、彼の新天地でのチャンスにかけるべきと説得するが、ミッキーの家族たちは当然それを許そうとしない。
映画は、ミッキーのディッキーからの決別と、再開、そしてボクサーのしてのささやかの成功までを描いている。
ところで、この映画で最も光っていたのはクリスチャン・ベイルを演じるディッキーだった。彼がミッキーに「お前が主役だ」と言い聞かせていた分、なんとも皮肉な話だが。
最初、画面にでてきてすぐに「これはすごい」とこの俳優の才能の豊かさを思い知らされた。周知のとおり、彼はバッドマン新三部作でブルース・ウェインを演じている。簡単に言えば、あのブルースを演じた男と、本作でディッキーを演じた男が、まるで同一人物と思えないのだ。それくらい、ブルースと立場も地位もまるで違うこのどうしようもない男を、完璧に演じきっている。演技がウマいというレベルではない。中年ジャンキーになりきっているのである。頭頂部の10円禿げも再現するような徹底ぶりだ。
ミッキー役のマーク・ウォルバーグも悪くはない。先に書いたように、尊敬しているだけに兄に対して優柔不断にしかふるまえないところは、ベイルより年上なのに妙に年下っぽい。また、背中にくっきり出たヒットマッスルが、彼がこの映画に向けてトレーニングを積んだことを証明している。試合シーンは、本物のHBOの中継を模したような画質でリアリティがあったが、その分中継にもかかわらず打撃音が入っていて、違和感ありまくりんぐだったのは少し残念。
兄弟を描いた名作いろいろあるが、本作はとりわけ死んだ方がましレベルのダメ兄に足を引っ張られる純朴な弟という目線でも見ることができるわけで、うちの弟など共感すること間違いない快作である。