ナマポ感覚で人権を語る片山さつきが斬新すぎてワロタ
人権がなくなるだの徴兵制の前触れだの、いろいろな憶測を呼んでいます。
争点となっているのは、現行憲法における「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」という文言に置き換わっているということです。
自民党が設けたこちらのサイトでは、このことについて、次のような説明が加えられています。
Q14「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?
従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
まず、従来の「公共の福祉」の定義はぜんぜん曖昧じゃねーし、むしろあんたらの提唱する「公益及び公の秩序」の方がよっぽど曖昧だし怪しいよというツッコミようがこの文言にはありますがそれはともかく、主に2点重要なことがわかります。
1つは、基本的人権は改正案で削除されたわけではない、ということ。
そしてもう1つ、新しく追加されたこの「公益及び公の秩序」には解釈とその運用に大きな幅があり、したがってそれを含む基本的人権自体も、その概念に少なからぬ変容があるぞ、ということです。
そして昨日、自民党所属のとある参議院議員さんから、その運用の指針となるようなすっばらしい「思想」が提出されました。
@taiyonokokoro50国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!
— 片山さつきさん (@katayama_s) 12月 7, 2012
OH! これぞNA☆MA☆PO感覚!!どうやら片山さつきさんは、「国を維持するためにできること」(=「公益」?)に参画しないとすれば、人権を持つ資格がない、とでもいいたいようです。これ、片山さんが生活保護で次課長河本を叩いてた時のロジックとまんま同じだと思うんですけど、それは大丈夫でしょうか。。。
ざっと眺めてみると、どうもこの片山女史の発言のインパクトがありすぎて、議論全体に大きなゆがみを作っているように思います。さらにこれに加えて、同じく自民党参院の西田昌司議員が「そもそも国民に主権があることがおかしい」、「今の憲法は憲法の資格さえない、主権は国民にはない日本が長年培った伝統と歴史に主権がある」と頭がクラクラするような主権論を展開。追撃の手をゆるめません。
思うんですが、片山議員にしろ西田議員にしろ、今彼らをもっともブッ飛ばしたいと思っているのは、反自民の人でも左翼の人でもなく、選挙戦まっただ中の自民党候補のみなさんなんじゃないでしょうか。いくら優勢とはいえ、こんな頭のおかしな後方支援部隊に背中からズドンズドンと誤射を打ち込まれていてはたまったものではありません。こんなとんちんかんな発言も許してくれるんですからね。まったく心が広いってもんよ、人権てぇやつは!
最後に、先のQ&Aを眺めますと、どうも自民党は、既存の人権概念が西欧の思想に由来するということが気に食わないみたいです。頭の先からつま先まで近代法治国家である現代日本において、憲法(←これも西欧的概念じゃね?)をちょろっと変えただけで何かが変わると考えるその破滅的な頭の悪さはさておき、その代替案として出てきた発想が、ナマポ騒動のときと同じく「働かざるもの食うべからず」だなんて!まぁ、まったく!美しい国、日本!