いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

寡黙なのもいいけどちょっとは説明してよねっ!(プンスカ 〜『ヴァルハラ・ライジング』65点〜

『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフィンが一つ前に撮った作品。

北欧の神話をベースにした男臭い映画だ。『ドライヴ』の世界観も男臭いといえば男臭いが、人妻とのせつないロマンスがあっただけにまだ女子成分がある方だ。本作で女性は登場人物としてはおろか、画面にも書き割り的に数秒しか映らないから、本作は「男臭い」というよりもはや男そのものといえるだろう。

『ドライヴ』も突如として残虐な暴力シーンが巻き起こるが、本作も冒頭からしばらく続く人体破壊描写がかなりエグい。
神話がベースになっていて、男臭くて暴力的で……というとどうしてもザック・スナイダー『300』と比較したくなる。たしかにかの作品も暴力描写ではひけをとらないが、『300』では全編CGで描かれていた背景がしめすとおり、画面全体がほとんど完全に作り手の支配下におかれていた。殺戮の描写もインパクトはあるものの、それらはどこか「ショーアップされた暴力」という印象が強い。
それに対し、この『ヴァルハラ・ライジング』は(おそらく)全編にわたり手持ちカメラによって撮影された不安定な映像のため、暴力描写もドキュメンタリー性が強くなっている。つまり、暴力はより生々しく、むき出しの状態のまま提示されるのだ。
エグいのは描写だけでなく、「殺し方」でもある。『ドライヴ』を観た時も感じたが、この監督は単純な銃殺より、もっと鈍重な物理的脅威、プリミティブな暴力になみなみならぬ執着があるようだ。特に、『ドライヴ』と本作から総合して、頭蓋骨の破壊に対してこの人には強い固着があるとしか思えない。

さて、映画は無口な主人公のワン・アイと少年アーがクリスチャンの戦士たちと聖地巡礼におもむくプロセスがメインである。
寡黙な戦士と少年というペアは、たとえばT2、『ターミネーター2』のT–800とジョン・コナーの関係を彷彿とさせる。あの映画でも、鬼神のごとく強いサイボーグと社会を接合するメディエーターとして行動をともにする少年が機能していたが、この映画の二人はそういう二人組の関係に似ている。


ここまでさんざん『ドライヴ』の名前を出しているが、同じ監督のためどうしても比較したくなる。『ドライヴ』では、無駄な贅肉をほとんどそぎ落としスタイリッシュな編集であるにもかかわらず、演出の妙で観客にすべてを悟らせることに成功していた。
その点で、今作も主人公のワン・アイと同様きわめて「口数の少ない」映画だ。しかし、そのことで説明不足の域にまで達しているのだからいただけない。飢えと渇きに耐えながらの厳しい航海の末にやっとついた陸地が、実は聖地でなかったことに気づき一行は途方に暮れるが、その頃その光景を観ている観客の側も、「この映画は我々をどこに連れて行こうとしているんだ」と途方に暮れているはずだ。

最後に現れるのが“彼ら”であることから、これがレフィン監督なりの「聖地巡礼譚」の「脱構築」なのではないか? というかぎりなく好意的な忖度をしたくなる。が、基本的には難物であることに変わりないだろう。