最近、井筒監督の映画で観てないやつをフォローしておこうということで、手始めに1999年公開の『のど自慢』を借りてみた。桐生市にNHKの名物番組『のど自慢』が来る、ということで巻き起こる騒動を描いた群像劇で、『ガキ帝国』『パッチギ!』『ヒーローショー』と同じ監督とは信じられないほど、一滴も血の流れないハートフルコメディだ。タイトルだけ見て「どうせこんな話だろ?」と鑑賞者の先読みを誘うが、安心してほしい。たぶんあなたのその想像の外に話はほとんど出ない。そんなありきたりな話ではあるけど、「いい話」であったことには変わりない。
ところで、この作品を観ながら「あれ、これと同じような話をどっかで観たなぁ」と気が付いた。その奥歯に挟まったようなもどかしい疑問は、後述する映画のラストシーンでようやく取り除くことができた。実はこの作品、この数年後に公開されることとなるエミネム主演の『8 Mile』に先駆けて、同じことをやっていたのだ。これからその類似点をあげていこう。
その1:俺たちの音楽というテーマ(そして主演がプロのミュージシャン)
まず一つ目、これは誰でも気づくころだろうが、両作品とも音楽がそのテーマになっている。だが類似しているのはそこだけではない。ここでさらに見出せるのは、それが憧れの対象の音楽、ではなく、あくまでも「俺たち/わたしたちの音楽」であるという共通点だ。
『8 Mile』はラップのフリースタイルバトルにかける青年を描いた青春ムービーだ。クライマックスでエミネム自身がシェルターで戦うライブシーンもいいが、実はこの映画の中でぼくが一番気に入っているのは、彼が働く工場の休み時間に、屋台(?)を売りに来たおばちゃんとそこで働くおっさんが突然フリースタイルバトルを始めるシーンだ。実際のところどうなのかは知らないが、ここからは、楽器ができない人でも譜面が読めない人でも、リリックは人それぞれの生活の中に渦巻いていて、誰にだってラップはできるんだというメッセージが見て取れる。
一方、『のど自慢』では「のど自慢」の番組に出場できる/できなかった人々の悲喜こもごもが、コミカルに描かれていく。
カラオケは言わずもがな、日本発の民主化された音楽だ。しかしそれは、ただの娯楽であり、マネごとなのだろうか。
たとえカラオケであっても、能動的に「うたを歌う」行為は立派な表現行為である。誰の、何という曲を選ぶのか。どんな曲で、どんな調子で歌うのか。上手でなくても、音痴なのかどうか、音痴を直そうとするのかしないのかでさえ、その歌い手の表現になりうる。誰も知らない名曲を探し出してきて歌う行為ですら、表現のひとつになりうる。そのひとつひとつが、歌い手の「他者との違い」をあきらかにする。
烏賀陽弘道『Jポップとは何か』pp.122-123
たとえ他人のマネごとであろうと、その表現はどうしようもなくその人固有の表現になるのだという。
このように両作品には、プロではなく市井の人が歌うことそのものに喜びを見出している姿が、ありありと表現されている。
これに付随する共通点といえば、主演の人間が実際のプロのミュージシャンということだ。『8 Mile』は言わずもがなエミネムであり、『のど自慢』では「昔ヤンチャしてたっぽくて子だくさんのこういうお父さんって、いそー!」という実在感がハンパない大友康平が好演している。「他の人より上手い」という劇中内の設定にとって、彼らはなくてはならない存在だ(というより前者はエミネムのために製作されたようなもので、当然だが)。
その2:都会に取り残された場所
日本映画界では近年、SRシリーズやサウダーヂなどで、北関東が異様なほどフューチャーされているが、実はこの映画がその嚆矢だったのかもしれない。『のど自慢』は群馬の桐生市を舞台にしている。だからこそ、のど自慢というテレビ番組が来る=注目が集まるということにそこに住む彼らは沸き立っているのだ。これが都会ならそうはいかないだろう。
『8 Mile』も、デトロイトのスラム街を舞台にしているため、終始「中心は向こうにあって、ここじゃない」感が伝わってくる。
ただ、『のど自慢』は後続する「地方都市もの」にはない、暖かな視線でその場所をとらえているふしがあり、最近の見るだけでダウナーになってきそうな北関東ものは、ちょっとは見習ってもいいのではないかと思っていたりする。
その3:ささやかな勝利
それから3つ目。忘れてはならないのは両作品ともにクライマックスで主人公たちは何かに「勝つ」けれど、しかしそれは人生が一変するような大成功ではなく、その一日かぎりの「ささやかな勝利」であるということだ。日が代われば彼らはまた日常に戻っていく。
『8 Mile』はエミネムの半自伝的映画と聞いていたので、はじめて観たときにそのあっさりとした物語の締め方に拍子抜けしたものだ。しかし、よく考えてみたら、最後にCDデビューなどの下手な成功を手に入れられても鼻白むだけだし、あれでよかったんじゃないかという気にもなってくる。
『のど自慢』ではこの「ささやかな勝利」は大友というより、室井滋の演じた売れない演歌歌手に相当する。彼女もまた、いつ売れるのかわからない日々の中で、また明日も頑張っていけるような、ほんのちょっとの、ほんのささやかな希望を手にする。しかし映画のラストシーンとなるその翌日に、尾藤イサオ演じるマネージャー(この人がこの映画で一番よかったかも)と乗るタクシーの後部座席で、鼻をつまみながら(他人のふりをして)有線に電話して自分の曲をリクエストする、という涙ぐましい営業活動の日々に彼女は戻っていく。でもそれが、よかったりする。
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このように、こじつけでも何でもなく『8 Mile』はエミネムによる『のど自慢』だったのだ。
後に井筒監督は「日本のJ.Bだ!」とかいって西田敏行で映画を撮っているが、それよりも前にこの人はエミネムにマネされていたのだ。
え、『のど自慢』には続編があるんだって?
続編は怖いので観ません。