- 作者: 今村守之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/12/16
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
戦後初の首相東久邇稔彦の発言から昨年の経産大臣による「死の街」までに、総勢85名の物議をかもした「問題発言」を引き、発言の意味、当時の文脈、世間の反応などを解説していく新書。
もともと「問題発言」に定義などなく、この著者の独断と偏見によるところが大きく、そもそもChim↑Pomの「ピカッ。」は発言ですらない。しかしそれでも、吉田茂の「ばかやろう」解散の「ばかやろう」は意外なほど早く謝罪撤回されていたんだとか、現大阪市長の橋下氏がまだ「サンジャポ」レギュラー時代に発した「能や狂言が好きな人は変質者」という発言は、古典文化に対する氏の見識にはある程度の「一貫性」があるということを教えてくれる。なんといっても、ぼく個人として「あぁ!そういうことあったあった!!」となったのは、藤谷美和子の皇居に突入して発した「紀宮さまは私の妹です。早く通してください!」という言葉で、プッツン女優は元祖にして最強だったのだと、あらためて実感させられる。
ところで、比較的リーダブルな本書なのだけれど、ある章だけ、どーしても著者の意図がくみ取れない章があった。ぼくの読解力のせいだろうか、何度読みかえしても、要領を得ない。というわけで、部分的な引用では意味合いが代わってしまうので、この章だけ全文転載してみる。少々長いがおつきあい願いたい。
桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
今上天皇(太字原文ママ)新しい世紀を迎えた年もあと二週間で終わろうというとき、天皇閣下は東京都千代田区の宮殿「石橋の間」において六十八歳の誕生日に際して恒例の会見を開かれた。
宮内記者会は代表質問のかたちでいくつかの問いかけをしたが、そのなかにこのようなものがあった。日韓共催のサッカーW杯を翌年に控え、歴史的・地理的にも近い韓国に対して、どのような関心、思いをお持ちなのかというのである。
いわゆる「おことば」のなかで、天皇は「日本と韓国との人々の間には、古くから交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています」と発せられ、続いて「宮内庁楽部(主に宮中で雅楽の演奏・演武を担当)の楽師の中には、当時の移住者(朝鮮半島からの移住者・招聘者)の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に邪楽を演奏している人があります」と述べられた。
そして、続く天皇の「おことば」はさらに意表を突くものであった。
「私自身としては、桓武天皇(第五十代、奈良時代後期――平安時代初期在位)の生母(高野新笠)が百済の武寧王の子孫であると、続日本書紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」
かねてより公言を憚られた言説を天皇自らが、初めて公表したのである。
この天皇の発言は外国のメディア、特に韓国では大きく取り上げられ話題となった。「日王(天皇)、朝鮮半島との血縁関係を初めて言及」(十二月二十三日)「『日王は百済の末裔』韓国人学者の主張」(十二月二十四日)=共に「朝鮮日報」。ところが国内で、冒頭の「ゆかり発言」にふれた全国紙は「朝日新聞」のみ、他紙は「おことば」こそ載せたものの、見出しは敬宮愛子内親王の誕生に焦点を絞った。歴史的な発言と捉えられたにもかかわらず、日本のマスコミはほぼ沈黙した。pp171-172
ここまでは主に当時あった事実についての記述だろう。よくわからないのはここからだ。
一八八九年に発布された大日本帝国憲法第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とある。これが当時の国体の本義である。二十世紀半ばまでこれが続いたわけで、遠い昔の話ではない。
一九九九年に国旗国歌法で正式に国家として法制化された「君が代」も皇統の永続性を称えたものだ。
万世一系とは、読んで字のごとく永久に一つの系統が続くことで、后妃を除きいずれの天皇・皇族も系譜上で父系をさかのぼれば、初代の神武天皇にたどり着くとされる。実に百二十五代、二千六百七十余年、神代の昔(弥生時代)からである。
W杯を経験し、韓流ブームが到来しても、なお日韓の歴史観は途上にあるのだろう。pp172-173
ようやく書きうつし終えたが、書きうつしながら念入りに読んでも、やっぱりここからは何がいいたいのかよくわからない。小論文のテストならきっと不合格だろう。そして意味をとりながら読んでいて今気づいたが、「日本のマスコミはほぼ沈黙した」んだから、そもそも「問題発言」じゃなかったんじゃないか、という気もしてくる。
だがぼく個人的には、この章はなにか、他の章とはまったく別の魅力を秘めているように感じる。この著者の虎の尾を踏まないようわずか数ミリの付近を縫って歩いてるような緊迫感が伝わってくるからだ。
評者のぼくの個人的見解としては、問題発言が問題であったためしがない。ハガレンではないが、ここは等価交換で、言葉でどんなに酷いことを言おうが言われようが、それは言葉でもってしか返してはならないんじゃないか、と考えている。
先日ちょっとdisった大塚英志の著作からの孫引き。
文芸評論のことだけ言っていればいいのに、素人のくせにいろいろいいやがって、と思う人もいるでしょうが、物書きは何でも言ってしまえ、というのが僕にはあります。
僕には戦争、無条件降伏、敗戦となって、焼き野原で学校はどうなるなるのかわからない、強制労働させられるのかもわからない、という状況におかれた経験があります。そういうときに僕は例えば好きで一生懸命追いかけていた小林秀雄に何か間違ってもいいから言ってほしいと思いましたが、何も言ってくれなかった。そういう経験がありましたから、少なくとも僕は自分が思ったことを間違っていたとか、訂正せざるを得ないということになっても、何でも「こう感じた」ということを言ったほうがいいと思っています。自分が読んできた複数の人が発言してくれれば、自分の考える材料ができますから。『文學界』2001年11月より
こないだ亡くなった吉本隆明のコメントだが、その点でぼくはこの言葉を全面的に支持する。