いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

豚と文学(テーマ「豚」)

僕は今、国会図書館に来ている。東京メトロを永田町で降りてすぐのところにある、日本で唯一の国立図書館だ。
僕は暇になったらよくここに来る。というのも、ここには日本で今まで出版されたありとあらゆる出版物が所蔵されているんだ。
だから一日中いても飽きることがない。


ためしに今週のテーマ「豚」を雑誌検索にかけてみる。
すると「月刊養豚情報」、「養豚の友」、「養豚界」という文字がモニタに浮かび上がる。
驚くなかれ、日本には「養豚」というテーマで三冊もの雑誌が発刊されてるんだ。
とりあえず「養豚界」を取り寄せてみる(国会図書館では端末から発注して書庫から取り寄せてもらう仕組みなんだ)。


緑書房から出ている「養豚界」2010年4月号の巻頭特集は「飼料の無駄を徹底検証!」。
ペラペラめくると「豚の気持ちを考えよう やさしい豚の行動学」の最終回に、「症例から見る豚病カルテ」の最終回と、季節の変わり目だからか最終回の企画が多い。


……なかなか読み応えのあるラインナップ、なのかな?養豚を営む人にとっては。


次に、「文藝」の2003年夏号を手に取る。
「文藝」は河出書房から出てる創刊約80年の歴史を持つ文学雑誌だ。
特集は保坂和志高岡早紀と離婚した人じゃない。そういう作家がいるんだ。
で、この特集のリード文がすごい。


保坂和志の読者であることを不意に告白された経験はないだろうか?」

ねーよ。



「なんとなく本の話になって、親しい時間を共有すると、本当にしばしば『保坂和志が好きなんですよ』という言葉に出会う」

会わねーよ。



別にこれは保坂和志のせいじゃない(『プレーンソング』とか割と好きだし)。
他の特集もこんな調子だろう。
どんなマイナーな作家でも、この雑誌の読者は「ふんふんそうだよね」と何の違和感もなくページをめくるんだろう、たぶん。


そんな「養豚界」と「文藝」には、ある共通点がある。
それは、一般人からすると滑稽なほど書いてあることがマニアックなのに、さも「あるあるネタ」であるかのように話が進められていく、という点。
なぜって、二つの雑誌ともその読者はあらかじめ少数にかぎられているから。その分野のマニアしか読まないと決まってるから。


なのに、両者には歴然とした差別がある。
例えば、友だちの部屋に「文藝」があるのと「養豚界」があるのでは、イメージがちがうでしょ?
あなたが農学部畜産科でないかぎり、前者がある方が「イメージがいい」し「カッコいい」んだ。


そんな風に、僕らは「文藝」的なものを高尚と見なす一方、「養豚界」的なものをどこか小バカにしている。
「文藝」に書かれてあることには知る意味があると思う一方で、「養豚界」に書かれてあることは知る価値がないと、勝手に見限っている。


でも本当にそうなんだろうか?
本当に文学が「上」で、豚が「下」なの?


サルトルっていうフランスの文学者が昔、「文学は飢えた子の前で何ができるのか?」と問うた。これはもちろん反語で、文学は飢えた子に何もできない。


では豚はお腹を空かせた子に何ができるか?


何でもできる、もとい「何にでもできる」。
とんかつ、生姜焼き、トン汁、焼豚、角煮、しゃぶしゃぶ……部位を選ばなければなんでもござれ。
国会図書館の帰りに、今日は松屋でネギ塩豚カルビ丼でも食べようかなー。