いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】水道橋博士の偏執的な情熱がまぶしい「藝人春秋2」

藝人春秋2 下 死ぬのは奴らだ

藝人春秋2 下 死ぬのは奴らだ

TBSの「A-Studio」では毎回最後に、司会の笑福亭鶴瓶がその回のゲストについて一人しゃべりを披露するのが通例だ。今や「A-Studio」に出演する=鶴瓶の一人しゃべりのネタになるのが芸能人のステータスになっているが、それならば、この著者に筆をとらせるのも、もはや一つの到達点と言えないだろうか。

全2巻にまたがる本作は、お笑いコンビ・浅草キッド水道橋博士による人物評伝だ。別件で話題沸騰中の週刊文春編集長からの「特命」を受けた「芸能界に潜入するルポライター」として、芸能界、政財界に生息する怪物たちの姿を活写する。今作は特に連載誌が「文春」とあって、対象によってはかなりジャーナリスト寄りで硬質な内容になっているのが、前作『藝人春秋』にはない特徴だ。

博士の文は、次から次へと飛び出す巧みなアナロジー、ナンセンスギャグ、ダジャレによって読者を「水道橋史観」ともいえる芸能界ユニバースへといざなう。専業作家も顔負けの堂に入った文体で、被写体の輪郭を切り取っていく様は見事だ。

一方で、博士自身が「過剰」な人物であることも忘れてはならない。最近一部で話題になった「オールナイトニッポン」をめぐる「殴り込み疑惑」も、誤解として決着はついたが、「博士ならしかねない」というリアリティがあった。偏執狂的な思い込みと情熱と行動力がある著者だからこそ、対象者の思わぬ側面に迫れたのだといえるだろう。例えば、石原慎太郎と冒険家・三浦雄一郎の間に生じたすれ違いとその「真相」にたどり着いたのは、著者の執念に近い固執があったからに他ならない。本書ではその後の2人の明暗を残酷なまでにくっきり描き切っている。

ときには面白すぎて「これホント?」と眉につばをつけたくなる箇所もあるが、流麗な筆致と偏執的な思い込み=情熱によって著された文を、読者の脳は「んなことの前にこれは面白い」と判断を下してしまう。信憑性よりも面白さが勝ってしまうのだ。博士は前作『藝人春秋』の中で、お笑いにおける「強い」の概念を提唱していたが、博士自身の文も立派に「強い」のだ。

これだけやっておきながら「あ、この章は手を抜いたな」というのが一つもないのだからすごい。この本全体から漂う本気度は軽くタレント本の域を超えている。


博士の文章を読んでいると、プロインタビュアー吉田豪が思い浮かぶ。
一度だけ、吉田氏が文章に起こしたある人へのインタビューを動画で見たことがある。すると何が起こったか。皮肉なことに、吉田氏が直に相手に話を聞く様よりも、吉田氏が文章化したものの方が面白かったのだ。ぼくが対象を直に見るより、吉田氏のフィルターを通して出来上がった虚像のほうがずっと面白いということだ。博士についても同じことが言えるのではないか。

万が一、ぼくが博士の知り合いだとして。そして億が一、博士が次の文章でぼくを書こうとしていたとしよう。ぼくはそれを断固拒否すると思う。もう公開してしまったといわれたら、その文章は決して読まないし、読んだ人にはなるべく会わないように生きることを決意するだろう。

なぜなら、ぼく自身が博士の書いた「ぼく」を超えられる自信など到底ないからだ。

それだけに、自身について書かれた原稿をコピーして配り歩いたという三又又三の度胸たるや。厚顔無恥もとい、博士に言わせれば「肛門無恥」の加減には頭が下がる思いである。