いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

知恵熱

今僕は、ある作業の半ばまできて、その先一歩も進まないというどん詰まりを向かえている。その作業が何なのかというのはさしたる問題ではなくて、じっと時が過ぎるのを待っていても仕方ない。そうだ、最近ブログ書いてないなということで、今書いてみようというわけだ。

こんな風にさしたる理由もなくブログを書いたりupすることは普段ないのだけれど、ケータイとかでブログ打ったりTwitterしている人たちっていうのは、こんな具合に行動とテキストがリンクしてるんだろうなぁと今の今、実感。


ところでみなさんは起きている時間が24時間を超えると、いったいどんな具合になるだろうか。僕の場合は頭の感覚になんだかぼわんという鈍さを覚え、体中もぽかぽか熱っぽくなる。ちなみに連続不眠の個人記録は36時間だ。大学の卒論提出前の追い込みのときのそれで、その時は提出後に家に帰ればすぐに泥のように寝れると思っていたのに、実際は体が火照って寝れなかった。あれはあれで辛いもんだ。知恵熱というやつですね。今もほのかにそれがある。


さて、問題の懸案なのだけれど、かれこれ12時間以上、この一つのことについて飯時以外ずっと考えている。
一つの物事だけどずーっと考えていることというのは、ある対象、それが物か人かはともかくその一点をじっと見つめるという行動に似ているように思う。子どものときによくやった。意図的にある対象だけを見続ける。それこそ10分以上。すると、その対象は背景から遊離するのではなくむしろ、だんだんその中へと溶け込んでいき、返ってその対象のもともとも形象がわからなくなる、ということがなかっただろうか。これもゲシュタルト崩壊の一種なのかはさておくとして。


それと同じように、ある一つの問題について考え続けてみる。授業のひと枠どころではない。それこそ半日以上、ずーっと考えてみてもらいたい。するとである。だんだんその問題のに日常生活においての比重がわからなくなり、どうでもよくなってくるのである。不思議なもんだ。そもそも、絶対に考え続け解決しなければならないからこそ、それまでずーっと考えていたのに、しまいには針が振り切れたかのように、ことの重大さがわからなくなってくる。頭がおかしくなるというのは、こういうことだな。殺人犯とか、ひき逃げ犯も、一晩考えた末にあっさり警察署に出向いたりするのは、そういうことだったりするんじゃないだろうか。


ということで僕はそろそろ作業に戻るわけだ。
外では今ニワトリが鳴いている。