いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

暑がりと寒がり、面白がりとつまらながり

二、三週間前だろうか、気温が25℃の近辺を行き来していたころ、「最近暑いね」という言葉を頻繁に聞いた。
いや、地球というのが太陽の周りを地軸を傾けたまま公転している以上、北半球にある日本が北半球が太陽と面と向かった時期に暑くなるのは、それはそれは当然な自然の法則である。そんなことわかっとる。
そのころ聞いた「最近暑いね」が気になったのは、僕自身があまり暑いと思っていなかったからだろう(さすがにここ一週間は暑いと、日に日に思うようになっている)。
僕にとって25℃あたりは、暑く寒くもない平温なのだ。だから「そうかな?俺はあんまりそう思わないけど」と、正直に返していた。つまり、その「最近暑いね」という相手の見解に反対しているわけだ、はっきりと。場の気温をどう感じるかなんて、その人の皮膚感覚であるし、そこで相違が生じるのは、いってしまえば仕方ないことだ。

だから、別にそこでお互い変な感じには、ならない。


ではこれが、「(このノリ)面白くない?」だったら、どうだろう?
そうはならないんだな、これに限っては。
「(このノリ)面白くない?」と問われて、多少なりとも「面白い」と思えなくても、ましてやぜんぜんまったくうんともすんとも面白くない、つまらないと思っている人でさえ、その場のノリが面白いという見解には、なかなか逆らえないんだな。


でもよくよく考えてみたら、これは変だよな?そう、変なんだよ。


だってその場の「このノリ」を面白いと思えるか思えないかも、さっきの皮膚感覚と一緒でその人自身にさえどうにもならない感覚の領分だからだ。暑くないと思えば暑くないと言い、つまらないと思えば、つまらないと言う。それでいいじゃん。


お前はどうなんだって?もちろん、自分がぜんぜんまったくうんともすんとも面白くなかったとしたら、答えるよ。
「面白い」って。情けないことに。



実はその場のノリを「面白い」と思う感覚は、その場の気温を「暑い」と思う感覚ほど、個々人の自立性が確保されてない。「その場」の温度と違って、「その場」の「ノリの面白さ」は、「その場」そのものを基礎付けているからだ。そもそもその場の「ノリ」自体、時に面白くないと感じたあなただっていつかは作り上げることに参加していた可能性だってある。だから、その場の「ノリの面白さ」を面白くないと否定するのは、その場そのものを否定していると、とられかねない。だから、その場の「ノリの面白さ」への否定的なコメントは、しにくいわけだ。



でも、「面白い」というような感受性でその場が成り立っている以上それは、「この部屋を暑いと思うやつしか仲間じゃない!」っていってるようなもんでないか。そんなやつと仲間になりたいと思うやつのほうが、どうかしてと思うんだが。だから少数派であろうと「その場」のノリを面白くないというやつがいても、当然なわけだ。


そして同時に、そのノリを「面白いと思う派」が、その「面白いと思わない派」のいることにさえ、気づきにくいということもありえる。これもまた、暑さと同じ。本人が感じ取れるのは、自分の感覚だけなのだから。


じゃあそういうとき、むやみやたらと「そのノリの面白さ」を「面白くない!つまらない!」と否定して、はたしてよいだろうか。


だめだよな。そりゃ大人気ないってもんだ。


たとえ自分ひとりが暑くなかったとしても、ほかの人には蒸し風呂のようなその部屋ん中を強いるのは、感覚の問題以上に人間としてどこか問題がある。
だから、「面白くない」と思ったとき僕らは、「君たちのこのノリを面白いと思う感覚を否定はしないけども、『もしかするとこのノリを面白くないと思う人がいるかもしれない』っていう可能性に目を向けてみてもいいんじゃないかな?」という意味を持ちかつ、相手を傷つけることなく、やーんわりと諭すような、エレガントでブリリアントな言葉を発せれたらいいのだけれど、なかなかそれは難しい。
そういう言葉をとっさに発せられる人こそが、「大人」という称号をもっているのだろうと、つくづく思う。