いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

舞妓はん、古都にて疾走す――そりゃ立派なオリエンタリズムだ

今日はもう一題。

舞こさんが今、走ってるのです。
そうなんです。外国から来られた観光客の皆さんが写真を撮るのにパニックになっているのです。
元々狭い路地がいりくんでいる祇園先斗町あたりをたくさんの外国人観光客が待ち伏せしているのですから人の流れも止まり、舞こさんさんは恐さすら覚えているのです。

http://travelstory.iza.ne.jp/blog/entry/1024503/

今日のミヤネ屋でも同様の特集をしていた。
家屋から出てくる舞子を、けっこうな数の外国人が待ち伏せしている。彼女らが出てくると、自治体の人間が止めに入らなかったら収まりがつかないくらいの人の山、そしてフラッシュの数。

しかしそれにしても、ここまで鈍感になれるのかと、ある意味感心してしまう場面があった。舞子はんが通りを行き来する際にも、当然彼らはシャッターチャンスとばかりに連射する。しかも、彼女らの前にばっと飛び出してきて真っ正面から、断りもなく無遠慮にパシャパシャ撮りはじめるのだ。それも、ほんとに手の届きそうな距離で。
もし彼らが母国で、例えば僕のような典型的な「小っちゃい東洋人」に、歩いているところを真ん前に出てこられてパシャパシャやられたら、彼女ら舞子はんたちと同様に伏し目がちに歩き続け、そして耐えて続けるのだろうか。僕には、そこの言語でもの凄く汚い言葉を吐かれた上、2、3発どつかれて路肩に突っ伏している自分が、目に浮かぶぞ。

こうまで無遠慮になれるのは、おそらく彼らにとって、舞妓はんたちが自分らと同じ一人の人間ではもはやなく、立ち寄った観光地で見かけた、一鑑賞物でしかなくなっているからなのだろう。そういうのは、立派なオリエンタリズムだ。

外国人観光客に悪気はないのですが
同上

おそらくそうなのだろう。テレビでもそう断っていた。舞子に向けてカメラを向ける彼らの顔に浮かぶのは、屈託のない、まるで子ども時代にもどったかのような笑顔。そこに、自分たちが悪いことをしているという後ろめたさは、まるでない。おそらく彼らは気がついていないのだ。自分たちの行動が、ものすごく失礼なそれにあたるということを。オリエンタリズムは、得てしてそういう形で浮かび上がる。彼ら自身が意図してないからこそ、それは強力なわけだ。
だが、知らないから「許せ」も通らないだろう。いつかものすごーく型破りな舞子はんが現れて、必殺仕事人よろしく、あの三味線の弦「ピーン!」の殺し方で、無礼な外人を一発「きゅーっ」とやってくれないかしら。

二度と写真は撮られなくなるだろうなぁ。