ひさびさの更新。
世の中には怪奇現象というものがあって、「告ってもないのにフラれる」というのはその一つだと思う。それが自分の身に起きた。いや、正確には「告ってもない」ということではない。前に2回チャレンジして撃沈している(どうでもいいけど、フラれたという極限状態にあっては、「撃沈」という紋切り型の表現を使うのも嫌になってくる)。それでも友達として関係は続いていたのだけれど、僕の方が「3回目」にチャレンジする気があまりにも満々な雰囲気だったので、彼女の方がそれに察知して、さきに手をうってきた。人づてに「絶対にないから!」と。
こちらとしては、敵の基地へと飛び立つ前に自軍の基地で爆撃を受けて死んだみたい(だからその「ミリタリー例え」をやめろって・・・)。戦士ならば戦地で死にたいものである。
さて、そんな僕を慰めるために友達、後輩が飲み直しをしてくれたわけなのだが(フラれたのは飲み会の一次会なのである)、前々から僕はなんで相手のことを好きになっていたのか、要するに「好きになった理由」というものを「一緒に話していて楽しいから」だと、一貫して言ってきた。今まですべての好きになった女の子(すべて片思いなのだが)は、話していて「ドキッ!」というか「ポッ!」というか、そんな感じで好きになってしまうパターンが多い、というかすべてそうなのだ。
こういう特質を言い立てて僕は、「女性の容姿にこだわらない寛大な男」と自認していたのだが、果たしてそれは本当のことなのだろうか。ラジオじゃあるまいし、面と向かって話しているということは、ずっとではないにしろ相手の顔を見ているわけである。そうすると、女性と話しているときに僕が受け取る情報というのは、相手の声や性格、内容、そこに含まれる価値観やものの感じ方とともに、その話を奏でる口が付いている「顔」というものも含まれる。
そうすると、僕が好きな女性に感じる「一緒に話しているときに感じる楽しさ」には、相手の容姿の作用だって関係しているかもしれない。まったく同じ内容の絵本だって、挿絵が魅力的な方が子どもの心を惹きつけるように(例えば失礼)。
僕の中では今、「話してて楽しい」というのだけでなく、「価値観」とか「性格」とかが「好きな理由」というのも怪しいなってきている。
結局はすべて顔なんではないかと。