公式tumblerより。
クリント・イーストウッド監督の最新作「15時17分、パリ行き」は、2015年にアムステルダム発パリ行きの列車の中で起きた無差別テロを題材にした一作です。「硫黄島の手紙」以降、特に実話ものが多くなったイーストウッドですが、ここ最近の「アメリカン・スナイパー」、「ハドソン川の奇跡」、「15時17分、パリ行き」を公開順に並べると、伝説的なスナイパー → 旅客機パイロット → 一般市民と、徐々に「普通の人度」が高まっていることが興味深い。
そして、今作で特筆すべきは、出演しているのが実際にテロから乗客を守った3人の若者本人たちだということです。これはイーストウッドが3人と話しているうちに思いついたアイデアのようで、彼ら以外にも列車に乗り合わせた乗客、さらにテロリストに撃たれた人も出演し、かくして世にも珍しい再現度の映画となったようです。あるサイトでは「出演:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン」という記載のすぐ下の「原作」の項にも全く同じ3人の名前が並んでおり、奇妙な感覚にとらわれました。
映画の構造自体はいつものイーストウッド映画と同様に非常にシンプルです。ときおり断片的にテロのシーンがはさまれますが、基本的には3人の幼少期(もちろん子役が演じています)から時系列に生い立ちを追っていくスタイルをとります。
ただ、今回はそうした構成が、「3人がテロの起こる車両に"何か"によって引き寄せられるかのような感覚」を演出することに成功している。イーストウッド自身はインタビューにおいてその"何か"を「運命」であると解釈しています。あのとき軍隊に志願していなかったら、あのとき試験に落ちていなかったら、あのときバーで話しかけられなかったら……それ以外にも無数にしかけられた針の穴を通すような確率の「たられば」をすり抜け、3人はあの場に居合わせることになります。さらに、生き残るのが絶望的な状況に追い込まれてもなお、アホのような偶然によって守られたのは、もはや「運命」としか言いようがないところがあります。
本来山場となるテロのシーンまで観客は約80分待たされますが、いざそのシーンになると驚くほどあっさりしています。これはこれで、リアルを突き詰めた結果かもしれません。本当にテロなんかが起きたらBGMがかかったりスローモーションになったりすることはなく、それはあくまでも日常と地続きなのですから。
あまりに引き込まれてしまい、彼らが「本人」であることを忘れてしまうほど。クライマックスに差し込まれるとある映像において、我々はこれが現実にあったことなんだと連れ戻されます。
本作は「市民を題材にした市民が出演する市民のための映画」です。自分ももしかしたらいつか、期せずして「運命」に巻き込まれてしまい、それまでの全ての失敗や挫折が意味のあるものだったと悟るのかもしれない、そうした不思議な高揚感を抱かせてくれます。
何よりも、イーストウッドに映画化され、自ら出演できるなんて!映画好きにとってそんなご褒美はほかにありません。「あー、俺もイーストウッドの目にとまるような出来事に巻き込まれたい」と不謹慎ながらちょっぴり思ってしまうのでした。
【参考記事】