いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

名作『クレイマー、クレイマー』34歳の俺に刺さった意外なシーン

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個人的トラウマ映画『クレイマー、クレイマー

 ダスティン・ホフマンメリル・ストリープが夫婦役で共演した『クレイマー、クレイマー』という映画がある。いや、元夫婦と書くのが正しいか。
 
 働きづめの夫テッド(ダスティン)が、子育てなど家のことを任せっきりにしていた妻ジョアンナにある日、突然出ていかれてしまう。彼の知らぬ間に、妻は精神的に追い詰められていたのだ。しばらくはテッドが悪戦苦闘しながらビリーを育てていたが、戻ってきたジョアンナは、ビリーを渡してほしいという。拒否したテッドに、ジョアンナは親権をめぐって裁判を起こしてくる…。

 

 この映画、子どもの頃、両親に常日頃から「ママとパパが離婚したら、どちらについていく?」とリアルに聞かれ続けていたぼくにとっては、生首が飛んだり、人が溶たりする映画なんてどうでもよくなるぐらいに「トラウマ映画」である。とくに、事情がまだよく分からないビリーが、母は自分のせいで出ていったのだと勘違いし、枕元で「ママみたいに、パパもどこかに行ってしまうの?」と聞くシーンは、背筋が凍る思いがしたのもである。
 
 時は変わって、2019年。ぼくも34歳、細胞の死滅具合では立派なオトナである。さあここでためしに『クレイマー、クレイマー』を見返してみよう、と思ったのである。

 

意外に刺さった「再就職シーン」

 いざ鑑賞してみると、幼い頃にショックを受けた母子の別離のシーンとは別の箇所が、強い印象に残った。それは、テッドが再就職するシーンである。

 鑑賞したことがある読者は覚えているかもしれないが、映画冒頭のテッドは敏腕の会社員で、出世コースを突っ走っていた。ところが妻と別居後、ビリーの子育てに苦労するうち、次第に仕事がおろそかに。ついには年末になってクビを言い渡されてしまう。
 
 困ったのは、親権裁判が年始に控えていること。このまま年を迎えて裁判に乗り込めば、「無職の父親」として出廷することになる。それはほぼ確実に、親権が元妻に奪われてしまうことを意味する。

 

僕がほしいなら、今この場で決めてください

 呆然とするテッドだが、彼はここで腹をくくる。自分の弁護士に「明日中に就職しますよ」といって電話をガチャリ。死にものぐるいの再就職活動を開始する。

 ところが、時期は年末という就職には最悪のタイミングだ。テッドは就職斡旋所にかけこむが、担当者はその日が12月22日だと言って取り合わない。しかしそれでもテッドは無理やりアポイントメントを取る。彼には今日しかないのだ。
 
 面接先の社内はクリスマスパーティーの最中だ。クリスマスソングが室外で聞こえる中、何もこんな日に来るなよと言いたげな面接官は、テッドの用意したポートフォリオを眺めながら「検討させてもらいます」と一端はその場を切り上げようとするが、テッドが離さない。繰り返しになるが、彼には今日しかないのだ。
 
 テッドは、決定権のある部長に合わせてくれと無理強い。パーティでにぎわう人混みから、ついに部長が担ぎ出されてくる。その部長もテッドには斡旋所の職員と同じことを言う。「給料がだいぶ下がるし、あなたには役不足だ」。しかし、なぜそこまでしてこのポストに就職したいのだ、と聞かれたテッドは「働きたいので」ときっぱり。

 部長も最初の社員と同じく、「では後日」と言って会合を打ち切ろうとする。しかしここでテッドは詰め寄る。「いえ、今日だけの申し出です。明日でも来週でもなく本気で僕がほしいなら、今この場で決めてください」

 しばらく、部屋の外のパーティーの喧騒の中で待たされるテッド(知り合い0人のパーティーの中に一人取り残される孤独感!)。しばらくして、再び部屋に呼ばれたテッドに部長は握手。見事採用が決まったのだ。
 それまでの鬼気迫るような表情だったテッド=ダスティンのほほが緩み、柔らかな笑みが溢れる。帰り際、有頂天のテッドは、通りすがりの女性社員にキス。「メリークリスマス!」といってその場を軽やかな足取りで去っていく。

 

転職活動の本質

 このシーンがなぜ、ぼくの琴線に触れたのか。それはおそらく、このシーンに転職活動の本質がある気がするのだ。「ぼくはこういう人間です。今しかないですよ。いるの?いらないの?」、就職は結局、その問いかけに集約される。「スカウトメールがどうだとか、エージェントがこう言ってるからとか、知らねえよ。御社は私がいる?いらない?」、このシーンにそう言われている気がしたのだ。

 テッドのやっていることは、いわば「押し売り」である。しかし、自分のことなのに「押し売り」もしないやつなんて、果たして採用する側はほしいだろうか、とも思えてくる。テッドの恥も外聞も気にしない自分を押し売りする姿は、そうした転職活動の本質がある気がする。

 もちろん、彼のがむしゃらな姿勢は、絶対に失いたくないという息子への深い愛に裏打ちされているからこそ、さらなる感動を覚えるのだけど。
 
 本作はもちろんフィクションである。現実はそう上手くいくわけがない。そんなことは分かっている。
 
 それでも、テッドが愛息のために、是が非でも就職してやると自分を売り込もうとした精神性は、だらだらだらだらと転職活動を続けてなかなか決まらなかった過去の自分には見せてやりたいとし、いつになるか分からないが、いつかまた転職する際にはテッドのその押しの強さは参考にしたいものである。

 

「ステマ」がなぜ許されないかが分かる映画『FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー』

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「PR」をつけずにファイア・フェスティバルを告知するセレブのインスタ一例

  ディズニー映画『アナと雪の女王2』をめぐり、複数の漫画家がSNS上に感想の漫画(主に褒めている)を同時間帯に一斉に投稿し、「これはありのままじゃないんじゃないか?」と、ここ数日にぎわせている。いわゆる「ステマ」疑惑で、ディズニーサイドは「認識はなかった」と否定しているが、きわめてグレーである。

 しかし、意外とこの騒動についてネット広告に詳しくない人からは「何が悪いのかよく分からない」という声も漏れ聞こえている。
 
 「ステマ」の何が悪いのか。それを知るためには、「『ステマ』が野放しになったら何が起きるのか(起きたか)」を知るといい。それを端的に教えてくれるドキュメンタリーが、Netflixのオリジナル映画『FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー』である。本作は、あるアプリのプロモーションをめぐって起きた悲惨な事態を活写している。

www.netflix.com

 

 前フリをすっ飛ばすと、この出来事は「『ステマ』を使って成し遂げられた、“ワールドクラスのグルーポンおせち騒動”」といえよう。世界は広い。しょぼいおせちなど目ではなかったのだ。
 
 発端は、米国のカリスマ経営者ビリー・マクファーランドが、自社アプリ「ファイア」(FYRE)のプロモーションで、バハマの島を買い取っての数千万人規模を動員する野外音楽フェスを企画したことだ。

 出来事はイベント本番の数ヶ月前から起きていた。ビリーらは、世界的なモデル、セレブリティ、インフルエンサー何十人もを島に招待し、豪遊させる。その模様を撮影し、スタイル抜群の金髪美女らが青い空、白い砂浜でキャッキャウフフするやたらきらびやかな動画が広告として投下された。

 

 さらに、招かれたセレブらが一斉にフェスについてSNSに投稿。ただしこのとき、大金と引き換えになされた投稿には、誰も「PR」とはつけていなかった。お察しの通り、ここで大規模な「ステマ」が行われた。セレブらの「ステマ」投稿の威力は絶大で、フェスの存在は一気に世間で認知され、高額のチケットはあっという間に売り切れてしまう。
 
 しかし、これは「バハマで史上空前の音楽フェス」という絵に描いた餅が、人々を不幸にしていく過程の始まりだった。

 それ以降、映画の半分以上を占めるのは、ビリーらアホな上層部の思いつきで始まった無謀な企画を、NOと言えない部下らが、血のにじむような思いをして実現するために奔走する過程や、出資者らを平気で騙していくビリーの本性についてだ。複数の当事者と、撮影された当時の映像をもとに紐解いていく。

 早くからネット上に公開されていたイベントの完成予想図から、全速力で離れていく現実のイベント会場の圧倒的なしょぼさ。それでも止まらないデスマーチは、中止のカードを切らないまま、開催日を迎えてしまう。大金を叩きフェスを楽しみにやってきた一般参加者らが直面する悲劇は、是非自らの目で確認してもらいたい。もちろん、このブログはPRでは一切ないのでご安心を。むしろ、ネトフリからは毎月1300円ほど徴収されている側である。

 

 映画を観ると、「ステマ」はあくまで騒動のほんの導入部分にすぎない、という印象を受けるかもしれない。しかし、「ステマ」が見過ごされてしまったがこそ、起きた大惨事である。

 本作には「なぜ『ステマ』を許してはならないか」が濃縮されている。特にSNSは、発信者が「自分の声」で語っているから魅力だ。その言葉が威力を持つのは、発信者の本音という「信頼」が担保されているからにほかならない。SNS上での「ステマ」は、実態のない「信頼」を金で買えてしまう、ということなのだ。


 今回の『アナ雪2』の騒動に関しては、「ステマ」に騙されて劇場に行ったところで(そもそも「ステマ」に騙されて『アナ雪』を観る人がどれだけいるのかという話だが)、映画が上映されていなかった…というようなことはありえないだろう。死ぬほどつまらなかった…ぐらいが起きることの最底辺だ。

 しかし、クチコミを装った宣伝で消費行動を促すという意味では、構図はほぼ同じなのだ。

神田沙也加・元夫のブログに非難の怪 これってそんなにダメなこと書いてる?

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女性自身より

 

 神田沙也加の離婚に関連して、別れた元夫の村田充のブログが、一部で変な方向に話が行っていた。

 村田さんはブログで離婚理由について以下のように説明していた。

子どもが欲しかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、
互いを尊重し、前を向いてそれぞれの人生を歩むという結論に至り、
今年の夏、二人で円満に離婚届を作成し、離婚に双方合意をいたしました。

村田充 公式ブログ Powered by LINE

 

 この文言を読んだときは、「ふーん」と読み流していたのだが、その後、以下のような記事が目にして、驚かされた。

 

jisin.jp

 前段で引用したブログの言葉が一部で非難されている、という。 

 以下が、記事内で紹介されていた非難のコメントだ。

《子供を産まない=後ろ向きかのような言い分嫌だなあ。 価値観が合致しないとき、相手を「間違ってる」かのように捉えるのってアリがちだけど残酷。 相手には相手の事情や考え方があるのだから… そもそも今の日本社会で 女性が子供を持つことの大変さわかってるかなあ》

《「子供が欲しかった自分と、前向きになれなかった彼女」って。 そういうのって結婚するときに話したりしないのかな? それに子供産まないことが後ろ向きなこと=ダメなことみたいに聞こえてちょっとひっかかってしまった。なんか悲しいなって思った》

《神田沙也加さんの離婚原因なんかモヤる…。 「子供を持たない」っていうのは個人の1つの考え方なんだから、それに対して前向きも後ろ向きもないと思うんだけど。 子供を持たない イコール 後ろ向きって考えの男ってヤダな。そもそも妊娠って圧倒的に女性負担なのに、自分勝手すぎる》

《いま仕事がいい時期で、仕事が大好きで、 子供を産む期間にどうしても仕事をストップさせるということに抵抗があるのでとてもよく分かる》


  村田さんは、何も子どもを持とうとしないことが「間違っている」「ダメなこと」といっているのではない。そんなことはどこにも書いていない。

 この非難のコメントの数々読んでいて、ぼくの読解との「根本的なズレ」を感じた。その「ズレ」とは一体何なのだろうか。

 おそらくそれは「前向き」という語の捉え方にある。

 いちいち辞書を引っ張り出してくるのも仰々しいが、「前向き」について一応確認してみると、「ものの考え方が積極的・発展的であること」とある。

 この意味に従うならば、村田さんは「自分は子どもがほしかったが、妻は消極的だったので、話し合った末、離婚しました」といいたいだけである。


 つまり、元妻のスタンスに対して「良い」「悪い」と価値判断を下しているのではなく、「子を持つことに消極的」という彼女の意向を説明しているに過ぎない。なのにこの酷い言われようはなんなのだろうか。


 たしかに、村田さんの文章がややミスリードなのも否めない。原因は「前向き」の前に「、」が入ってしまっていることだ。「、」で切られていることで、「前向き」の指すところが、子を持つことに対しての彼女のスタンスではなく、まるで彼女本人の性格そのものを指して「前向きになれなかった」と言っている、ようにもとれなくない。

 しかし、それはあくまでも「とれなくもない」だけだ。

 

 例えば、

「焼き肉が食べたかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、お昼はあっさりしたざるそばにした」


 これならば、誰も文句は言うまい。

 ああ、「私」は肉をがっつりいきたい気分だったのに対して、「彼女」はお腹空いていなかったのか、胃がもたれていたのだろうか。それぐらいを思うだけだ。何もここで、「焼き肉を食べない=後ろ向きかのような言い分嫌だなあ」なんて言い出す人はいないだろう。いたらすいませんが。

 

 「焼き肉」ならばスルーされるのに殊に、「妊娠」や「出産」、「育児」ではバチバチするネットの雰囲気。過去にも何度も経験してきた。
 もちろん、妊娠、出産がセンシティブな問題なのは分かる。女性にとって一大事である。それは分かる。

 一方で、少しでもネガティブにとれるような余地があれば、顕微鏡で100倍でも200倍にでもするように拡大解釈し、ネガティブにとらえるのはどういう心性なのだろう。

 ときにそれは世の中にあふれている「妊娠」や「出産」「育児」にまつわるトピックに対して、「怒れる余地はないだろうか」と、探しているかのようにさえ思える。

 こんなことを書くと、「あなたは所詮男だ。分かってない」と言われそうだけれど。

アンタッチャブル10年ぶり“共演”に感じた『全力!脱力タイムズ』の粋とプライド

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『全力!脱力タイムズ』公式ホームページより

 

 アンタッチャブルが10年ぶりに共演したのにはさすがに体が熱くなってしまった。歴史的“再会”は、Tverなどでも観られるのでぜひ確認してもらいたい。

 

tver.jp


 今回の件について、事前告知なしにあっさり行われたことが、密かに評判を呼んでいる。


 さっそく以下のような考察記事も出ていた。

 

www.oricon.co.jp


 
 告知がなかったのは記事中にあるように、“後追い視聴”環境の充実によるところもあるだろうが、ぼくはそれ以上に、今回のアンタッチャブル10年ぶりの共演を、告知もせずさらったやってのけてしまった事実」に、この番組のプライドをみた気がした

 そもそも、 事前告知で「アンタッチャブルが今夜ついに10年ぶりに共演!」なんて銘打つのは、この番組のスタイルに完全に反しているのだ。

 

 それについて語るためには、この番組はどういうものか、野暮を承知で説明しなければならない。 
 『全力!脱力タイムズ』は報道番組、ではもちろんない。キャスターのくりぃむしちゅー有田とアシスタントはもちろん、画面右手に陣取る本物の専門家たち、2人いるゲストのうち1人、スタッフ、パネル、VTRまですべて、真面目な顔をしてボケ続ける「番組全体がボケ担当」の特殊なスタイルである。
 
 それに対する「ツッコミ担当」は、何も知らされずに座るもう1人のゲスト(主にお笑い芸人、今回は柴田英嗣だった)で、「自分以外すべてボケ」の特殊な状況で、ひたすら場面対応力が試され続けるおそろしい「お笑い番組」なのだ。

 

 これも野暮を承知になるが、山崎登場までの流れを確認しておこう。これまでの回でも、番組は「柴田が相方と共演」と打ち出しながら、別人が出てくる、というボケを何度も繰り返していた。 
 今回はその偽の相方役が俳優・小手伸也で、柴田と漫才をしようとするが上手くいかず、有田に叱責された小手がスタジオを一度はける。続いて、スタジオの面々が小手に同情し、もう一度チャンスをあげようという流れになり、有田に連れられて戻ってきたら山崎本人だった、という展開だった。

 つまり、今回、山崎は「小手伸也が出てくると思ったら山崎だった」というボケの展開で出てきたのだ。
 
 注意しなければならないのは、番組自体は最後まで「アンタッチャブルが10年ぶりに共演!」とは、一度も認めていないことだ。まさかガチの相方が出てくると思っていなかった柴田は大興奮しその場にぶっ倒れていたが、有田は冷静に「小手伸也さん、気を取り直してよろしくおねがいします」と山崎に向かって詫びる。それどころか、番組では山崎が登場してからもずっと右上に「気を取り直した小手伸也が改めて漫才を披露!!」と表示され続ける、この徹底ぶり!
 
 結局、番組自体は最後まで「小手伸也がスタジオに戻ってきた“てい”」のボケの姿勢を崩さず、2人が共演したことを“認めていない”のだ。極めつけは、番組最後の有田である。「できれば、早く本物(のアンタッチャブル)がみたいですね?」とゲストの新木優子ににこやかに語りかけ、柴田の「本物です!」というツッコミを引き出す。ひたすら粋である。


 もちろん、アンタッチャブルの漫才の前にはスタジオで万雷の拍手が起こり、その場にいた全員が「今、目の前で起こっていることがどれだけすごいことか」は分かっていたはずである。それでもなお、いつものスタイルは崩さず、すっとぼけ続ける。『全力!脱力タイムズ』の粋とプライドを見た思いがするのである。

上映中にスマホ開くなバカ! 「画面見なくても分かる」映画なんてねえからな

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 昨日、スマホで見ながら思わず「アホか!」と、声を上げてしまったニュースがあった。

www.moneypost.jp

 

「なぜかと聞かれると『なんとなくスマホが気になるから』というのが正直なところですね……。映画って2時間じっとしているのが結構耐えられない。そんなに長い動画を観ることって普段ないので。YouTubeは長くても20分くらいじゃないですか? 本当に2時間ずっと面白ければスマホは見ないと思いますけど、映画って見なくても話がわかるシーンがあるから。そういう時間はLINEやTwitterをチェックした方が合理的な気がします」(Aさん)

 

 たった2時間スマホを我慢できないなんて病気です。病院行ってください二度と出てこないでくださいありがとうございました、という感じである。

 

 ぼくもネットメディアの中の人の端くれである。この記事だって、針小棒大で極端な例を取り上げているだけの気がする。
 けれど、いくら「針」であろうと、鑑賞体験を台無しにされることは大いにある。よりにもよって、上映中の真っ暗な劇場で、スマホなんて起動された日には、なおさらだ。

 これを読んだときに思い出したのは、大学の講義だ。講義中、後ろの方の席でぺちゃくちゃしゃべる珍獣どもがいたのだが、あれはなんなのだろう? そのトークを俺らに聞かせたいの? M‐1出るの?? 不思議だった。

 出席をとるタイプの授業ならまだ分かる。ああ、マジメに授業を受ける気がないけど単位だけはほしいのね。分かりやすい。小悪党である。

 問題は、出席を取らないタイプの授業で、そこにやって来ては騒ぐ珍獣は、意味が分からなかった。なんだそれ? 狙いがわからん。サイコパス! 純粋に怖いよっ!

 映画上映中にまでわざわざやって来てスマホを開くやつは、出席を取らない授業で騒ぐやつらの理不尽さに似ている。

 

『カメ止め』監督、そりゃねえよ…

 映画ファンや関係者の多くがSNSで怒っているこの話題だが、映画『カメラを止めるな!上田慎一郎監督だけは、ちょっと別角度から意見をしていた。

 

 スマホなんて観てられなくなるような面白い映画を作ってやる――なるほど、たしかにクリエイター然とした、聞こえのいい主張かもしれない。

 しかし、こっちだって1900円払っているのである。「ゾッとしてる」じゃないよ。切り捨てたくなるのが普通である。今はダメでも、いつかは分かってくれる…では困るのだ。


 以前にも書いたが、映画館で隣り合う客なんて完全な風景である。目障りか、そうでないかしかない。珍獣は「はずれクジ」であり、そいつの心根を改心するとか、啓蒙するとか、その後なんて知ったこっちゃない。

 

iincho.hatenablog.com

 

 また、ここで取り上げられている若者はおそらくスマホ中毒者である。例えばマーシーが、沢尻エリカが、面白い映画を鑑賞していようと、ああ、一発打ちてえなと思うことは止められない。それと同じである。

 

「画面見なくても理解できる」という過信

 話を戻す。記事中、地味に一番カチンときたのは以下の箇所だ。スマホを観てしまう理由として、出てくる登場人物が2人とも同様のことを言っていた。
 
「映画って見なくても話がわかるシーンがあるから」
スマホを見つつ、映画の内容を理解することもできます」

 

 分かるわけねえから。

 

 映画は、「約2時間、じっくり腰を据えて鑑賞すること」を前提とした総合芸術だ。視聴率を参考にして展開を改変できるテレビドラマなどと違い、終わりから始まりまで緻密に構成されている。

 上田監督よ、だいたいあなたの『カメラを止めるな!』だって、最初の数十分はあえて「どこかおかしなゾンビ映画をやるではないか。その「ゾンビ映画」がフックになっているから、後半の怒涛の展開、爆発力が生まれるのではないか。
カメラを止めるな!

カメラを止めるな!

 

 

  スマホ中毒者らは、おそらく『カメ止め』の前半で見限ってスマホを開いてしまい、後半盛り上がってきたところも堪能できないだろう。なぜなら、前半を観ていないから。意味がなさそうなシーンにも、あとで思いもよらぬ意味が生まれる。それが映画の醍醐味ではないか。

 

 それだけではない。映画には「観なければ分からないこと」が無数に隠されている。さまざまな文化的、歴史的、宗教的な“暗号”が隠され、過去作へのオマージュ、パロディーも頻繁に使われる。「画面を見なくても分かる」なんてありえないのだ。

 

 浅慮なやつにかぎって、「見なくても理解できる」とか言い出すのである。まさに無知の無知。知らないことを知らない動物たち。自然へお帰り。

 

 ちなみに、「画面を見なくても理解できる」のはむしろテレビドラマだ。テレビドラマが映画よりレベルが低いといいたいのではない。テレビドラマは、「ながら視聴」を前提として作られている。夕飯を作ったり、洗濯物を畳んだり、それこそスマホを眺めながら観てもらうことを前提に作られているのだ。だから説明ゼリフが多いし、映画に比べるとストーリーも比較的予想が付きやすい。それは、意識的に造り手がそうしている似すぎない。でも、映画はそれとは違う。

 

 だから、「見ずに分かる」なんてありえない。それは、ちょっとませた、お釣りの計算ぐらいはできるようになった小学生が「これ以上、勉強ってする意味がありますか?」と聞いて、大人を困らせるのに似ている。

 そういう子どもは頭がいいのではない。頭がいいように見えて、実は周回遅れ。それどころか同じトラックにもまだ立てていないのだ。 

嗚呼、わが青春の再生メディア! 映画『VHSテープを巻き戻せ!』と思い出話

VHSテープを巻き戻せ!

 

 「巻き戻し」という言葉が、若者に通じないという話題がしばしば浮上する。今や完全に「旧メディア」の烙印を押されてしまい、ぼくも引っ越しの際についにデッキを処分してしまったVHSだが、未だに根強いファンが存在する。

 本作『VHSテープを巻き戻せ!』は、「VHSにヤラれてしまった人たち」=「VHSに良い意味でも悪い意味でも人生を変えられてしまった人たち」へのインタビューで構成され、VHSの歴史、その文化的意義に迫るドキュメンタリーだ。

 

VHSに人生を変えられたさまざまな人々

 ベータとの規格争いに勝利したVHSが、世界をいかに変え、そして衰退していったかを活写する。VHSで大儲けした人、VHSをひたすら集めている人、VHSで女優になった人…etc。さまざまな人が出てきて、単なる「メディア」への愛着以上に、フェティッシュな偏愛を語り尽くす。VHSのタトゥーを入れた人たちにはさすがに笑ってしまった。

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 中盤に登場するVHS映像作家のおじさんは、電車でたまに遭遇するやばい人と同じオーラをビンビンに感じるが、アマチュアクリエイターとして話す言葉はかなりアツいので、ぜひとも聞いてみてほしい。

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VHSがもたらしたもの

 メディア論としては常識だが、あるメディアは物事の結果だけでなく原因でもある。まず作品があってVHSがあるのではない。事態はその逆だ。マーケットによってVHSが作られ、またVHSによってマーケットも変容していったのだ。

 VHSという「原因」が作り出したものの一つが、「劇場公開を前提としないレンタルビデオ専用の映画」すなわち「Vシネ」だ。レンタル向けにコンテンツが大量に作られたことは、若手クリエイターの育成にも寄与した。

 また、「批評」という観点からも、VHSは革命をもたらす。同じシーンを何度も見直すことが可能になったことで、より正確な批評が可能になったのだ。

 ちなみに、ホームビデオ以前のオタクが「記憶」を頼りにアニメを論評していたという涙ぐましい努力については、岡田斗司夫の著作などが明るい。

オタク学入門 (新潮OH!文庫)

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テープの劣化という物理的スタンプ

 個人的に面白かったのは、アナログメディアならではの「テープの傷」のエピソード。VHSの普及で、アダルトビデオの時代が到来するが、レンタルビデオではある特定のシーンのテープだけ傷ついて画面が荒れてしまうという。

 画面の荒れは、そのシーンまで何度も繰り返し巻き戻されていた、ということを意味する。画面が荒れるシーンの直後にはアダルトビデオでは「抜きどころ」がくるのだそうだ。

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 ちなみに、ポルノ以外の映画では画面が荒れる直後に「人が爆発するシーン」が来るそうだ。人間の関心は今も昔も「エロ」と「グロ」なのだ。

 このテープの話で思い出したのは、Kindleなどの電子書籍での「ハイライト」の共有機能だ。このテープの劣化は共有機能のさきがけだと言える。同じ機能を、アナログメディアであるVHSが何十年も前に勝手に実現していたのだ。

 まあ、他人がどこで抜いたかなんて知りたくはないかもしれないが…。

 

「所有する」ことは本当に不自由?

 今や、VHSはDVDに取って代わられ、そのDVDはBlu-rayに取って代わられ、そしてそのBlu-rayも今やNetflixアマゾンプライム・ビデオといったVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスに取って代わられつつある。もはや物理的な所有自体が、過去の遺物なのかもしれない。

 物理的な所有から開放され、ぼくらは自由になった。部屋も広くなった。

 しかし、それは本当に自由なのか? と映画は最後に問いかける。

 VODはお手軽であるが、供給サイドが「自粛」してしまえば、ぼくらは永遠にコンテンツを観られなくなる。そのことをここ最近なんども思い知らされているのは、ぼくら日本のユーザーではないか。

 また、VHSでしか観られない作品もいまだにあるという。本作では2014年当時起きていた“VHS復古ムーヴメント”ともいえるカルチャーにも言及している。まあ、それと同じぐらい「アホか、あんなの終わったメディアだよ」と切り捨てるドライな人も出てくるのだが…。

 

最後に個人的な思い出を

 本作を観ていると、自然と自分自身のVHSにまつわる体験を思い出してしまう。

 1985年生まれのぼくも、VHSに慣れ親しんだ世代だ。生前の父は映画が好きで、毎週末ツタヤ(今のロゴになる前の気持ち悪いロゴのツタヤ)でレンタルビデオを2~3本借りてきては、一緒に観たものである。

 本作のタイトルで思い出したが、返却時には必ず巻き戻してほしいと店側に念押しされていた。当時はめんどくさかったが、今ではいい思い出である。

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 また、VHSは再生メディアとしてだけでなく、録画メディアとしても大いにお世話になった。

 中高生のころは格闘技に凝り、「K‐1」「PRIDE」のテレビ中継の録画を人生の至上命令かのごとく欠かさずにいた。録画は画質を損なわないように「標準」だ。

 毎週のレギュラーでは『めちゃ×2イケてるッ! 』(フジテレビ)、『ダウンタウンガキの使いやあらへんで』(日本テレビ)も必ず録画していたが、これらはキリがないので、断腸の思いで「3倍速」にして6時間録っていた。

 また、録画からCMを排除することを「美学」とし、録画しているのに必ずリアルタイム視聴が鉄則。CMのたびに「一時停止」を押し、「CMカット」機能があるデッキが羨ましかった。今考えれば徒労以外の何物でもない、涙ぐましい努力をしていた。

 1本のテープを録りおえたら、誤って重ね録りしないように爪を折る。ビデオテープに必ず付属するラベルのシールにタイトルを手書きし、コレクションの完成だ。
 ぼくが多感な時期が終わるとともに、再生機、録画機の順番でVHSはその座をDVDに取って代わられた。もしかしたらぼくは、VHSに思い入れがある最後の世代に近いのかもしれない。

 

 鑑賞しながら、そんな風に個人的な思い出もぶり返してきた本作。

 最大の皮肉は、そんなVHSに関する作品をVODで鑑賞してしまったことで、それだけはちょっと後ろめたい気持ちになった。

【ショートショート】ミサイル自粛

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地球によく似た惑星

 

 これは地球から遠く離れた、地球ととてもよく似た惑星の話。

 場所は、惑星の各国首脳が集結したミサイル発射基地だった。首脳陣が緊張した表情で腰掛けていたそのとき、コンコンと部屋をノックする音がして、何人もの事務官が会議室になだれ込んできた。

「そんなに慌ててどうしたのだ」首脳の一人が騒ぎを諌める。

 事務官の一人が滝のような汗を流しながらこう言った。「まことに不測の事態と言いますか、困ったことが起きまして…。大変申し上げにくいのですが、予定していたミサイル発射、このままではできません…」。

 

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 その数ヵ月前、惑星に巨大隕石が接近していると判明した。惑星に衝突すれば、大半の住民が死滅する試算で、惑星は大混乱におちいった。

 ただちに迎撃するためのミサイルの製造を始めなければならない。しかも隕石の大きさからして、必要なのは全長10kmにも及ぶ超巨大ミサイルだ。一国だけではどうにもならず、惑星全土が協力しなければ作れない代物だ。

 しかし、そのころ惑星の各国は憎しみ合っていた。食料問題に財政問題、領土問題、ありとあらゆる問題が噴出し、お互いが自分の要求を譲らず、にらみ合いの状態。とても協力してミサイルを作るような状況ではなかった。

 

 そのとき立ち上がったのが、惑星一の人気女優エリーカだった。エリーカのキャリアは数々の名作に彩られ、数々の賞も受賞し、演技は天下一品だ。

 女優としての才覚だけではない。彼女は他者を慈しむ優しさにも溢れ、私財を投げ売ってまで社会問題の解決に心血を注いでいた。

 

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 そんなエリーカは、各国首脳陣が列席する会議に登場すると、一世一代の名スピーチをし、首脳らに訴えた。

 「自分たちの利益ばかりを考えて憎み合っていてどうするのです。今こそ団結し、この惑星の危機を乗り越えるときです」

 彼女のスピーチに胸を打たれた各国首脳は、それまでの振る舞いを反省し、一致団結して超巨大ミサイルの製造にとりかかった。

 

 

 「ミサイルは昨日完成したと聞いている。今は一刻を争っているのだ。なぜ発射できんのだ」首脳の一人がイラ立ち、机を拳でドンと打ち鳴らす。

 その剣幕にヒィ! と悲鳴をあげならも、一人の事務官が言いにくそうに「エリーカさんが、今朝逮捕されてしまったのです…」と切り出した。

 

 エリーカの薬物疑惑は数年前からささやかれていた。

 各国の機関も数年前からそのことは感知していたが、世間への影響、そして彼女のこれまでの社会的、文化的な貢献度を鑑み、見て見ぬ振りをするつもりだった。

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何も知らずに尿検査をした下っ端の警官

 ところがミサイル発射予定の朝、エリーカがある国の都市の路上で全裸のままうたた寝しているのが見つかった。ドラッグパーティーの帰りらしかった。何も知らずに補導した下っ端の警官が不審に思い彼女の尿検査を実施し、結果は陽性。見て見ぬ振りができなくなってしまったのだ。

 

 人気女優の逮捕はただちに報じられ、惑星の全土に衝撃を与えた。

 

 首脳たちもロケット製造のきっかけ作ったエリーカの逮捕を知り、あ然とする中、その中の一人が「だからといって、ミサイルが射てないことにはならんだろう」と鼻を鳴らす。

 事務官は「エリーカさんの逮捕の影響は甚大なのです。予定されていた超大作の出演映画は公開中止がすでに決まりました。また全世界で100社と契約していたCMの違約金も膨大になる予定です。それに…」説明の途中で事務官が見上げた先には、発射を静かに待ち続ける超巨大ミサイルがあった。

 そしてその機体には、エリーカの顔が描かれていた。

 

 さかのぼること1ヵ月前、超巨大ミサイルの製造が佳境を迎えたころ、惑星の市民の間である案が浮上していた。惑星を救ったスピーチを讃え、ミサイルの機体にエリーカのポートレートを描こう、というのだ。

 エリーカ自身は「お気持ちだけ結構です」と固辞したが、世論の後押しは想像以上で、首脳陣も実現に向けて奔走。エリーカが折れる形で、ミサイルの機体に彼女のほほ笑みが描かれたのだった。

 

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 「エリーカさんが逮捕されてしまった以上、エリーカさんが描かれたこのミサイルも、コンプライアンス上好ましくないことになりまして…」と事務官。

 超巨大ミサイルの建築費は各国の予算だけではまかないきれず、世界的な大企業の数々がスポンサーに名を連ねていた。また技術的にも多くの企業に頼っている。

 エリーカ逮捕を受け、関係各社はすぐに法務部を招集し、協議の結果「スポンサーとして、犯罪者が描かれたミサイルの発射は認められない」と、断固反対の立場に立っているという。

 「エリーカさんのポートレートは、遠くからでもはっきり見えるようにミサイル全体に描かれておりまして、全長9kmに及びます。すべてを塗りつぶすころには、とっくの昔に隕石が激突してしまうのです」事務官はもはや半泣きの状態で訴える。

 

 「なんということだ…。惑星の命運がかかっているこんなときに…」首脳たちが頭を抱え、苦悩に満ちた表情をしている中、その遥か頭上で、超巨大ミサイルに描かれたエリーカだけは、太陽のようなほほ笑みを絶やさずにいた。