いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

大人とはなんからのラス1を食べる者のことだ(テーマ『オトナ』)

よくわかんないと思うけど、とりあえず読んでほしい。

みんなも、サークルや部活なんかの飲み会で居酒屋なんかに足を運んだことが一度はあると思う。そこで出た料理、ギョーザでもオニオンリングでもなんでもいいんだけど、ここではとりあえず軟骨のからあげにしとこう。「なんから」だ。


そういうのって、一人一皿じゃなくてたいてい大皿に盛られてくるよね。
するとだ、飲みながらしゃべりながらしていくうちに、最後の一個があまることがある。いきおいで誰かがそれも持っていってくれたならそれでいい。


問題は、中途半端になんからの最後の一個が残ったときなんだ。
相手は小さななんからだ。いくら腹いっぱいでも誰でも食えるはずだ。ひょいっと持っていけばいい。でも食べない。
別にそれを食べたからって「卑しいやつだ!」と後ろ指を指されるわけじゃないし、指すつもりもない。


でも、「なんとなく」それができない。


ボクも何度か経験したことあるけど、あれは不思議なもので、何とも言えない場の空気が箸を鈍らせる。絶対的な理由はない。「なんとなく」としかいえない。けど食べれない。

しかもそれだけじゃないんだ。そのラスト一個のなんからが、不思議な妖力を放ち始める。
気になっている異性の話題だって、バイトやサークルの愚痴だって、変な教授の噂話だって、盛り上がっているその場のみんながみんな、意識の30パーセントくらいはそのなんからラストひとつに持っていかれてるんだ。


そう、このとき飲み会という場は、このたった一個の小さな小さな軟骨のからあげに支配されてる。


そして、ここから登場するのが本題の「大人」だ。
ここでいう大人とはずばり、このなんから最後の一個による場の空気の独裁体制を終わらせる革命者のこと。
タイトルにあるようにボクが思う大人とは、このなんからの最後のひとつを食べる人の別名なんだ。
その彼/彼女がひょいっとぱくつくことで、空いたお皿は店員にかたづけられ、もとどおりの平和な世界が訪れる。
ボクが思うに、大人というのはこんな風に「誰のものでもないけど誰かが引き受けなければならない負債を引き受ける者」のことだと思うんだ。


この話のミソは、「誰のものでもないけど」ってところにある。
もし「誰かが作った負債」であったら、その人に引き受けたお礼を言われるかもしれない。
けど、この負債は「誰のものでもない」んだ。
だから、引き受けたお礼もなければ、ありがたがられることもない。
でもそれでも、不平を言うことも気にすることもなく、粛々と負債を引き受けてくれる人。
ありていに言えばそういう人っていうのが、大人だと思うんだなー。