先日、本に関する面白いツイートを見かけました。
この間会った編集者が「いまどき誰も本なんか読まない!とかエラそうな感じで言うIT系の経営者が自分の本は出したがるんですよ。なんなんですかねー」と言っていた。
— suzuky (@suzuky) 2015, 11月 20
自分の経営するのがイット系の企業であることも関係するのでしょうか、斜陽メディアであると本をdisりながらも、一方で自分の著書は出したがるという一見矛盾したことを言っているのが、おもしろい。
でもこれ、実は、ある一つの理屈をとおせばまったく矛盾のない、そして今日的な人の欲望を映し出す非常に正直な発言です。
「いまどき誰も本なんか読まない!とかエラそうな感じで言うIT系の経営者」が、一方で「自分の本は出したがる」。このふたつの命題を成立させる状況は、ひとつしかありません。それは、「"本を出したい欲求"は、"本をたくさんの人に読んでほしい"という欲求とは別個に存在しうる」ということです。
このブログを以前から読んでいるモノ好きな方なら覚えているかもしれませんが、ぼくは、ネットの普及によって判明したのは、「表現を受容したい人」よりも、実は「表現を見てもらいたい人」の方が多いことだと思っています。
本が読まれないのをわかっていても「本を出したい人」の目的は、本を売った印税で儲けるとか、本を通して自分の意見、主張を広めようということではない。もっと言えば本が売れようが売れまいが関係ない。本を出すこと、著書があることは、それ自体が夢なのです。
先のIT系企業の経営者も、きっと自分のポートレートが装丁になった(この手の社長本ではやたら装丁に著者本人がお出ましになる)本を出したいのでしょう。売れなくてもかまいません。社員全員に配り(買わせ)、あとは社長室に飾っておけば万事OKです。
本が売れようが売れまいが、自分の本を出したい人がいるとして。出版界にとって最大の悲劇は、「本を出したい人」の声が通り、「本にされるべき原稿」が本にならないことだと思います。
いまでは、自費出版や共同出版が普及したほか、電子書籍という方法もあります。それらのほとんどは流通に乗らないと言われていますが、「本を出したい人」の欲求のはけ口になっていることは確かでしょう。
しかしそれでも、未だに読み手不在の「本を出したい人だけがいる本」はゼロではないはず。
本好きを気取る個人としては、店頭で見かけるそうした本は笑いのタネになるぐらいのものです。
けれど出版界全体としては、ただでさえ先細りしつつある出版社の体力を、そうしたクズ本に引っかかって浪費してしまわないことを願ってやまないわけであります。