いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】トガニ 幼き瞳の告発 ★★★★☆


韓国の聾学校で実際にあった教師から児童への常態化した性的暴行事件の顛末を映画化している。

描かれているのは、狭い村落共同体の中で人々を雁字搦めにするシガラミであり、もう一つは、幼い子どもたちを容赦なく食い物にする学長らの肉欲だ。この映画はほとんどその二つで構成されているといっていい。


聾学校に赴任してきた主人公は、すぐにその学校が異常であることを察知する。けれど、大学の教授のツテで教師の口を確保してもらった彼は、その時点で首根っこを押さえられているのである。
シガラミの恐ろしさは、相手が少しでも隙(たとえば経済的困窮や、キャリア的な困難)があれば、容易につけいられてしまうところだ。劇中、この人は大丈夫だろうと思った実直そうな人でさえ、簡単に懐柔されてしまう。
主人公にもその手は忍び寄る。正義を捨てて右にならえば楽に生きれる。そのような甘い誘惑は、当然ながら苦しい立場にいる人ほど、気を許してしまいがちだ。
これを観たら、韓国の「世間」は嫌だなぁと思ってしまうのだが、こうした事件がある以上、隣国のことはいえない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130731-OYT1T00953.htm?from=ylist


もう一つの肉欲だが、この手の韓国映画と日本映画を比べたとき、どうしても後者が前者に見劣りしてしまうのは、このようなシーンの生々しさ、禍々しさではないか。
たとえば、どうしてこんな悲惨な撮り方ができるのだろうと感心したのは、犯行をトイレの個室の真横から撮っているシーンだ。下半身丸裸の学長とその横から生徒の足だけが飛び出しており、何が行われているか説明不要の画なのだが、これはさすがに日本の映画ではできないんじゃないだろうか。

大沢たかおの目つきと大森南朋のふっくら感を併せ持つ主人公カン・イノは、つねに心ここにあらずといった感じで頼りなさそうで、実際、彼は映画で決定的な仕事はなにもしていない。ただ事態にアワアワしているだけの方が多いが、それがこの映画の救いのない終わりを暗示していてよかった。
もっとも、原作を読んで映画化を訴えたのは彼を演じたコン・ユという人で、頼りないのは劇中だけで実際はこの映画にかける強い意志がありそうだ。


クライマックスの「水浴び」についてだが、あのシーンを観ていたら不覚にもこのPVのクライマックスを思い出してしまった。
「トガニ」でなく「ギフト」。

「水浴び」シーンのみならず、幼児が多数登場するところも、皮肉なことに共通する。
もしかして、この映画が思いっきり陽の方に振り切っていたら「ギフト」のようにならねーよ。