いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「マスコミ」というイメージ

今からもう1ヶ月ぐらい前だろうか。我が指導教官である某氏から、「これこれこういうプロジェクトが進行中なのだけれど、もちろん協力してくれるよね(僕の参加はすでに決定事項で、参加の了承を形だけ取り付けるというような語気の調子で)?」と頼まれ、「よろしくお願いします」と二つ返事でOKしてしまった僕なのだが、人はこれを一種の命令と呼ぶのだろう。


てなわけで、ここ最近はガラにもなく横浜市内を忙しく奔走している僕なのだけれど、いずれそのプロジェクトについては、ここでも告知させていただきます。ちょっと面白いものになると思います(というよりもそうしようと企んでおります)。お楽しみに。


今日はそのプロジェクトの打ち合わせで、某新進気鋭のライターの方とお会いしたのだが……、本筋を一歩外れて聴けた出版界のうわさと裏事情。これが本当に面白かった。アホみたいに「へぇー」だの「ほー」だの、口をあんぐり開けっ放し。危険度特A級の核廃棄物並みの内容ゆえ詳細は書けるわけないのだけれど、出版不況の最中に年間××億の赤字を出しながらなお刷られ続ける某雑誌、売れれば売れるほど赤字が嵩む某雑誌そして、しょうもないことで怨みを覚えしょうもない仕返しをする大人たち。出版業界とはそんな魑魅魍魎がばっこする、僕たちパンピーにとっての「異界」だったのである。一言付け加えるなら、ばなななんて氷山の一角、かな?


そんな風に秋の日々を忙殺されしばらくネットから遠ざかっていたら、今日目に入ったこんなニュース。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090909#p1

知った順序は逆になるが、今日伺った話とまるでリンクしているかのようだ。


今日も話に上がったけれど、出版に限らずテレビもラジオも、「マスコミ」とくくられる職業はそのほとんどが「お先真っ暗」だ。理由はここであらためて言うまでもなく、ネットの台頭とそれによる既存のマス向けの広告事業の失墜。これからさらに、そのキャパは先細っていくのだろう。今日聞いたことだけでなくとも出版社がどれだけきついか、労働者が人非人のような扱いうけるというその実情は、半ば自虐的な形式で数多の雑誌が明かしてきたことなのである。普通に考えればマスコミとは、「就職先」としてはあまりにもリスキーだし、それを選ぶのは先見性がなさ過ぎる。


にも関わらず、にも関わらずだ。
未だ大学生の就活市場では「マスコミ」が強いという、この怪現象。


それは単純に、学生がバカだからか?
そうともいえる。いや、でもそれだけではあまりにも忍びない。「学生がバカ」というときのこの「バカ」とは、おそらく全人類的に当てはまる部類の「バカ」なのだから。


多くの新卒生にとって就職する業界とはすなわち、「まだ実情を知らぬ未知の業界」のはず。インターンなどで事前にその実情を知り得る手段はあるものの、全ての学生がそれをできるわけではない。そして、その「仕事の実情」を知らない多くの就活生が代わりに置換するのは、つまり「イメージとしての仕事」に他ならない。


我が高校ではキムタク『HERO』が流行ったころ、進路として「検察官」と唱えた学生が激増したという。おバカな話である。でもそれを僕は他人事としては嗤えない。「欲望は他者の欲望」と唱えたのはラカンだけれども、人の欲望が駆動し始める、その最初の一押しとなるのは自分ではない。他者が向ける羨望の眼差しであり、他者の羨望を集めている限り、それは自分の欲望の対象にもなり得るのだ。


そして、仕事に対してのそれに限らずイメージとは欲望の投射された影絵だ。ベンヤミンならファンタスマゴリーと言ったであろうそれは、欲望が強ければ強いほど、その対象の影を増大させる。
駆動し始めた欲望は、雪だるま式に膨らんでいく。その勢いは、ちょっとやそっと小耳にはさんだ「業界裏事業」などのネガティブなものではもはやくい止められない。『働きマン』などで描かれる編集者の苦役や重労働など、仕事に含有された「ピリッと効いたスパイス」程度のものとして消化されてしまう(いや、だから本当にキツいらしいんだって!!)。


だがしかし、主体がようやく対象にたどり着きそれそのものをつかまえたとき、対象はもとのちっぽけな実体に戻っている。当たり前だけれど、影は手には掴めないのだ。

雄大な影を失ったその対象に絶望するか。結局つかむことなく、その対象への憧れを抱き続けるか。そのどちらであってもほのかに感傷を覚えるのだろうけれど、イメージをイメージとしてそのまま手に入れることのできる人はいない。



今日の会合で下った結論。

「人間、一度痛い目に遭わないとわからない」。
やっぱりそういうことなのか。