いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「離婚届=卒論」は不謹慎だけど「卒論=離婚届」はなんだか納得してしまう件

ある不倫カップルが世を賑わし、その中でも彼らが使っていた「離婚届」を意味する「卒論」という隠語が、話題になっています。

第一印象、うわーカップルっぽい会話だなーと思いますよね。こういうのが付き合いたてのラブラブだったころって面白いんんですよね。わかります。この隠語から見えてくる奥行きというか、カップルのなまなましさがかいま見えます。

これがふたりっきりの秘密のやり取りだからという了解のあるやり取りです。いったい誰がこんなものを公にしたのか……。

話は代わって、そんな「離婚届=卒論」という不謹慎な比喩ですが、大学生の立場からするとなんだか納得してしまうものがあります。大学生にとっては卒論って、「離婚届」なわけですね。Twitterでも、同じようなことを指摘する人はたくさんいました。

卒論を提出して受理されるということは、学位を取得して大卒者になるということで、離婚届でいうとバツイチにあたります。学生はみなバツイチになることを目指しているのですね。不思議な話です。

そんな卒論と離婚届ですが、共通点があります。それは書き手の情念が詰まっているということであります。


大学生といえど、いまどきの意識の高くない学生の大半は、学術的な訓練を受けていません。そんな中で、なぜだか書かされることになるのが、この卒論なわけです。

だいたい3年生ごろから、書くことを見つけて指導教官の指導のもとで書き始めますが、多くの学生は書きたいことなんて、研究したいことなんてないわけですね。そうすると、だいたいの卒論の書き手は途中でつまってしまうわけです。正攻法では2万字も3万字も書けない。するとどうなるのかというと、そっからは根性というか情念で字数を埋めていくしかないのです。ぼくのTwitterのタイムラインでも、毎年提出時期になると、学生と思しきアカウントの阿鼻叫喚が巻き起こります。

事務的書類なのに書き手の情念がにじみ出ているのが離婚届であるならば、アカデミックでありながら書き手の情念がにじみ出ているのが卒業論文といえます。


学術的論文を書くんだろ? そんなのに情念は関係ないし、あってはならない、という人がいるかもしれませんが、考えてみてください。1年にどれだけの大学生が卒業論文を書くのか。それだけの人が一斉に書くものであるのですかが、大半が意味ないに決まっています。修論や博論とはちがい、大学、学部によっては書かなくてよいところもあります。それでも一部の学生は書かされることになるのが、卒論なのです。

どれだけ円満であっても、やはり離婚届に判を押すときには精神的にくるものがある、という話を聞いたことがあります。それと同じで、どれだけ充実した大学生活を送ったとしても、卒論の段になると苦悩をするのです。

でもぼくは、それだからいいと思うのです。卒論にアカデミックな存在理由はありません。社会に出るためのイニシエーションなのです。

奇しくも今回の報道は、そろそろ各大学で卒論提出日が近づいてきた、というときにありました。学生みなさんの「離婚届」が受理されることを心から願っております。