1950年代の米ソ冷戦下に起きた捕虜の交換事件を描いた、スティーブン・スピルバーグ監督の最新作。トム・ハンクスが演じる弁護士ドノヴァンが、ソ連のスパイ容疑で逮捕された老人の弁護を皮切りに、突如としてアメリカはおろか、地球の命運をもにぎる交渉の席に座らされます。
スピルバーグの作品群の中には、ときおり「アメリカのあるべき姿」を描こうとしているものがあります。今回も、とくに前半に関しては、その系譜に数えられる気がします。かつて彼がメガホンをとった、19世紀の黒人奴隷の処遇をめぐる裁判を描いた映画「アミスタッド」を彷彿ととさせるところがある。
保険会社の顧問弁護士を務めるドノヴァンのもとに、ある刑事事件の依頼が舞い込みます。それは、ソ連のスパイと思われる老人を弁護する仕事。刑事事件をやったことがない彼になぜそんな仕事が舞い込んできたのかというと、それは出来レースだったからです。
政府としては、アメリカの安全保障を脅かす憎きソ連の手先である以上、死刑を既定路線として話を進めようとする。国民も大多数もそれを支持し、裁判も形式上、開かられるだけでした。
しかし主人公のドノヴァンは、容疑者が令状なく拘束されたことがアメリカの憲法の修正第4条に反しているのではないか、ということを争点にして立ち向かいます。
「アミスタッド」にしろ今回の「ブリッジ・オブ・スパイ」にしろ、ある事件によってアメリカの建国以来の理想が汚されかけるわけです。そこで主人公(たいていそれは名もなき弱い市民です)が登場し、「俺たちの"アメリカ"はそうじゃないだろ」と正そうとする。
スピルバーグによる「リンカーン」「アミスタッド」、そしてこの「ブリッジ・オブ・スパイ」などは、アメリカという国家が、理念のもとに国民のあつまった「実験国家」であったことを、繰り返し教えてくれます。
後半は、打って変わってアメリカ、ソ連、そして東独という三つ巴による化かし合い。ちかごろ、冷戦という舞台を間借りしただけでその実はまったくもって素直で、老獪さのかけらもない「ファッション冷戦」が横行し、冷戦(時代を舞台にした映画)フェチのぼくとしては「そうじゃないだろ」と腹立たしさを感じていました。
しかしこの映画に関しては、交渉相手の発言の真意にワンテンポ遅れて気付かされるなど、落語で言うところの「考え落ち」のような場面がなんどもあり、冷戦という舞台設定がファッションに終わってないのですね。ご飯が3杯いけるぐらい、たまりませんでした。
脚本がコーエン兄弟ということで期待していたのだけど、それ以上に、いつものスピルバーグ色が強かった気がします。相変わらず、ストーリーテリングが上手く、観客をグッと引き込み、そして最後には家族が勝つ。王道にして最新の一本でした。