いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

【書評】承認をめぐる病/斎藤環

承認をめぐる病

承認をめぐる病

サブカルチャー方面への書籍も多数ある精神科医斎藤環氏の新刊。本書の主要なテーマはタイトルのとおり「承認」だが、各種媒体へ寄稿した論文のアンソロ本のため、話題は多岐にわたる。氏が以前Twitterに投稿して反響を呼んだU氏の話題も、8章「震災と『嘘つき』」に入っている。内容は重複するが、あらためて読んでも面白い。
ただ読み終えてみると、タイトルからぼくが勝手に期待した「ネット」に溢れている承認欲求に関するトピック(Facebookでたくさん「いいね!」をもらう、Twitterでたくさんの人にフォローされるなど、数値化された他者による承認の問題)についての記述は、あまりない。5章のタイトルが「サブカルチャー/ネットとのつきあい方」とあり期待したが、これも学校裏サイトなどへの言及であり、どうしても「ソコジャナイ」感が漂ったのは事実。それは、本を開く前に知っておいてよいだろう。


本書前半部が扱う「承認」とは、おもに思春期の学校という物理的な空間の中で、近年過剰になりつつある「キャラとしての承認」である。
近年若者の間では「コミュ力」が重要視される傾向がある。その能力の大小によってスクールカーストが形成されて行く、という側面もある。
ここでいう「コミュ力」は「必ずしも適切な自己主張とか、議論・説得の技術など」ではなく、「場の空気を読む能力」や「笑いを取る能力」(p.21)なのだと、斎藤は指摘する。そうしたコミュニケーションを円滑にするため、個々人の「キャラ」づけという戦略が選ばれた、というのだ。
個々人の「キャラ」はメリットもある反面、自己認識と一致しない場合があるし、また特定の役割に縛り付けることによってその子の成長を阻害する可能性があると、斎藤は警告する。また、そうしたキャラによるコミュニケーションは、得てして「キャラの相互確認」に終始する情報量の低い「毛づくろい的コミュニケーション」なのだ、とも。これについては、同窓会などで実際に体験したことがあるだけに、痛い所を突かれた、という気持ちになった。
しかもこうした「承認」は、個人の能力や、親の地位や家柄、宗教などと異なり客観的な基準がなく、他律的であり、流動性が高く、不安定だとも、述べている。

本書では、そうした「承認」をめぐる病態を、アニメ『エヴァンゲリオン』の主要登場人物、シンジ、アスカ、レイの3人にあてはめ、考察している。詳しくは、実際に手に取ってみて欲しい。


読んでいると、なるほどたしかにと思う反面、コミュニケーションへ偏ることへの悪い面ばかりを強調し過ぎているのではないか、とも思った。そもそも、個人の能力や親の地位、家庭の経済力などは、子どもには覆しようがない条件である。そうした所与の条件を、弁が立つ、あるいは笑いを取るという形で覆し、スクールカーストに君臨する様に、清々しいものを感じてしまうのも事実なのである。


それに、「キャラ」をどうこういうのは、子どもまでの話である。いい大人が飲み会などで「キャラ」とか言っているのは、相当痛い。そういう「若者ぶって『キャラ』とか言っちゃう痛いおっさんキャラ」にならないためにも、「キャラ」文化は思春期でさっさと卒業しておくのに越したことはないと思うのであるが、どうだろうか。