いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

【映画評】「うちら」しかいない世界――映画「スプリング・ブレイカーズ」

http://m.youtube.com/watch?v=AiqIKXb1tUI&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DAiqIKXb1tUI:Movie

日常に飽き飽きしていた女子大生4人組が、春休み(スプリング・ブレイク)を迎え、リゾート地でのドラッグとセックスにまみれた退廃的な世界にハマっていく。ハーモニー・コリン監督作。

海の向こうの酒池肉林リア充

アメリカの「リア充」というのは、せいぜいワタミで騒ぐのがいいところの日本のリア充がかすんでみえるほどのメジャー級で、プールサイドでドラッグをやりながらワイワイパコパコと酒池肉林を繰り広げるものらしい。
ドラマ「CSI」シリーズなら、いつの間にかプールに死体が浮いているというのがお約束である。すなわち、死ぬほどリア充なのがかの国のリア充なのだ。

本作は、そんなリア充に憧れる女子大生4人が主人公(といっても、始めの時点で彼女らも十分好き勝手やっているようにみえるが……)。


彼女の春休みのために、他人が傷つき、奪われていくが、そうした被害者の側への共感は一切廃されている。製作者側も、この4人をわかってもらおうなんて、はなから思っていない。これは徹底的に「他者」への無関心と、非共感を描いた映画なのだ。
それは、大学での「黒人運動」の授業をガン無視するところや、ルームメイトのアジアンには平気で中指を突き立てるところで、冒頭から早くも明示される。そこには「うちら」の世界しかないのだ。

不思議な編集がもたらす螺旋状のストーリー

彼女らのような人たちをぼくは実際には嫌悪するはずなのだが、この映画には妙に感銘を受けた。それは、独特な編集によるところが大きい。
たとえば、A→B→Cという場面があるとする。
Aの下層には1、2、3、4…というカットがあるが、この映画ではそれらが必ずしも順番になっていない。1→2→3と来たが、また1に戻ったり、かと思えば4に飛び、また2に戻るというようなことをしている。
また音声も、ナレーションのような独白が画面の外から入っていたり、そもそも会話のつながりがゆるい。こうした編集で、不思議な時間感覚、半分夢の心地のような(彼女らからすればトリップしているような)効果が生み出されている。
ただ、おおまかなA→B→Cというシーンの時系列は守られているため、どういうストーリーなのかで混乱することはない。いうならば、螺旋状にストーリーが展開するのである。これが非常に興味深い。ストーリーとしては、むしろオーソドックスでわかりやすいくらいだ。

非日常ジャンキーの末路

そうした螺旋状のストーリーは、彼女らをどんどんヤヴァイ方向に引きずりこんで行く。
非日常が日常化したとき、それは新たな弛緩した日常とかしてしまう。非日常的な「リア充」の瞬間が輝いて見えるのは、地に足の着いた「非リア」な日常があってこそである。したがって、非日常=リア充に浸り続けることは畢竟、非日常を過激にしていくしかないのだ。
過酷なリア充の道の途上で、どんどん仲間が離脱していく。過酷なのだ、リア充道は。

その先の境地で、最後まで生き残った者たちが何を体験するのか、それはあなた自身が目撃してもらいたい。