王様のレストラン DVD-BOX La Belle Equipe
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2003/09/03
- メディア: DVD
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「私はずっと、子供を産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました。今でも、一片の後悔もないです。人それぞれ、いろんな選択を持っていいはず」
記事の筆者は、この山口の発言をどちらかといえば好意的にとらえています。
そしてそれを読んだぼくも、山口がとてもかっこいいと思えてしまった。でもそれは、山口が「子供を産んで育てる人生」と別の人生を選択をしたから、ではありません。「産んで育てる人生」以外を主体的に選んだことを、今回こうしてメディアを通して宣言したからです。
それは、21世紀のいまなおなかなかできないことだと思います。記事でも「勇気がいる」といったネットのコメントを取り上げています。裏を返せば、それほどまでに社会から「子どもを産まない女性」に対する圧力が根強く残っていることへの証拠です。
あるいは、こういう記事もありました。
http://s.news.nifty.com/economy/economyalldetail/cc-20160216-4236_1.htm
NHKで不妊を特集した際、司会の小野文惠アナウンサーが「子どもを産めなかった我々(世代)は社会の捨て石だ」と言ったディレクターの発言を明かしたそうです。NHKでバリバリ働いている女性です。そんな社会の中枢にいる女性にもかかわらず、子どもを産めなかったことで自分を「捨て石」と表現してしまう。それほどまでに、子どもの有無は(とくに)女性にとって大きいことが痛いほどわかります。
けれど、これは不思議な話です。日本には納税の義務、勤労の義務、教育を受けさせる義務はあっても「子どもを産む義務」なんてない。税金を収めない人が叩かれるのはわかる。働かないニートが叩かれるのもわかる。そして、就学児を学校に行かせない親が叩かれるのはわかる。でも、どうしてそこまで「産まない女性」が否定的にみられたり、腫れ物のように扱われたりするのか。
産むのか産まないのか。それはどこまでいっても女性個人の、あるいはカップルの自由であるべきはずなのに、そうではない。
義務ではないのに「産まない女性」に圧力がかかったり、異端視されたりするのはなぜでしょう。ひとつには、いまなお多くの人にとって、結婚すれば子どもを作る「普通の人生」に対しての憧憬、あるいはそれが「普通の人生」であってほしいという願望があるのでしょう。
同時にもうひとつ、先の記事でも後半で生々しい「納税者」の話として触れられますが、国としての問題もあります。新たに富を生み出し、税を納める国民が増えなければ、国家が立ちゆかなくなります。それはもう100%、正しい現実です。
けれど、それにもまして、やはり最も尊重されるべきなのは「産みたくないなら産まない」という意思です。
そう考えると、社会は「産む自由」にも「産まない自由」にも幅広く開かれ、なおかつ再生産によって維持していかなければならないことになります。これは並大抵の課題ではない。このジレンマを解決するのには、「子どもを産みたくなる社会」あるいは「子どもを育てることに希望を持てる社会」を作るしかありません。
バカでもわかる当たり前のことですが、「子どもを産みたくなる社会」あるいは「子どもを育てることに希望を持てる社会」であるならば、自ずと子どもを産みたいという女性も増えるはずです。
もしも「子どもを産まない自由」を行使する人々に我慢ならない、腹が立つという人がいるのならば。
そういう人には、「悔しかったら"子どもを産みたくなる社会"を作ってみろ」としか言いようがないのです。