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85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】なぜ時代劇は滅びるのか/春日太一

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉はよくできていて、愛情が深ければ深いほど、その対象の不甲斐ない姿に燃やす憎悪は激しくなる。愛情深きゆえの怒りなのだ。


そういう点で、本書『なぜ時代劇は滅びるのか』を著した著者の時代劇愛は、悲痛なほどに深い。この本は、時代劇再興を半ば諦めようとしている時代劇研究家の著者が、「介錯」のつもりで書いたという新書。かつて栄華を極めた時代劇という一大ジャンルがなぜ廃れてしまったのかを、さまざまな角度から解説している。

娯楽の王様が映画からテレビに移っていくのと同時に、時代劇の主流もテレビに移っていくというが、興味深いのは、90年代前半まではテレビでも時代劇はまだまだ人気を保っていた、という指摘だ。
この本の指摘で思い出したが、たしかにぼく(現在29歳)も、小学校時代までは夜7時台にいつもどこかのテレビ局で時代劇が放映されていたという記憶が、おぼろげながらある。
風向きが変わったのは意外な理由で、視聴率の集計方法が変わったことによるという。96年に集計が世帯別から個人別へとかわり、時代劇の視聴者層が高齢者に偏重しているというのがわかり、金を出すスポンサー企業に敬遠され始めた、というのだ。


時代劇なのだから高齢者向けになるのはあたりまえではないか、と思いがちだが、著者はそれも固定観念だと反論する。
本書では、「現在進行形のエンタテーメント」だった在りし日の時代劇の魅力も、余すことなく伝えている。物語のパターン化した時代劇は、テレビ放映での大量生産時代に生産効率の向上を突き詰めていった先でできた、むしろ後発の現象だというのだ。


時代劇に疎い読者には、ここまででも十分おつりがくる内容だが、筆者がここからギアをもう一段上げる。
後半では時代劇の産業構造のみならず、俳優や裏方の技術的問題にも矛先を向ける。帯で作家の和田竜氏が「毒舌」に驚いているが、何がすごいって、「名優」と謳われるような現役バリバリの俳優の名前が次から次へと出てきて、その演技がバッサリ切られているのだ。とくにK谷五朗などはボロクソに書かれてある。
その批判は主に、現代劇出身の彼らが「自然体」の演技をそのまま時代劇に持ち込んでいるということについてなのだが、時代劇の素養がないぼくからすれば、ここまで叩かれているとかえって気になってくるもので、奇しくもNHKで今月から放送されている岸谷G朗の主演ドラマは、一度見てみようという気になる。
その他、技術的、知識的な継承が途絶えてしまった監督やプロデューサー、脚本の問題にもメスを入れている。
なるほどと思ったのは、終了したTBS『水戸黄門』シリーズについての批判。著者によると、元来同シリーズの実質的な主役は「助さん」なのだという。過去のシリーズでは黄門さま役を脇役俳優が演じ、助さんにスター俳優があてられていた。ぼくも知らなかったが、そうした教養のない裏方に引き継がれ、近年のシリーズではこの配役を完全に逆にしてしまった、というのである。


時代考証よりも観客がワクワクできる作品を心がけよ、という著者の主張は首肯できるのだが、一方で「主人公以外の心情は掘り下げるな」といった、原理主義的なところもある。たとえば本書で論難されるリメイク版『十三人の刺客』のクライマックスについて、ぼくはゴローちゃんの「蹴鞠」など、めちゃくちゃいい場面だと思った。
そんな風に、受け手側として誤差はあるのだろうけれど、全体としては時代劇ファンのみならず、映画ファン、ドラマファンも読むに値する一冊だ。