いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】うわさとは何か −ネットで変容する「最も古いメディア」

内容(「BOOK」データベースより)
デマ、流言、ゴシップ、口コミ、風評、都市伝説…。多様な表現を持つうわさ。この「最古のメディア」は、トイレットペーパー騒動や口裂け女など、戦後も社会現象を巻き起こし、東日本大震災の際も大きな話題となった。事実性を超えた物語が、人々のつながり=関係性を結ぶからだ。ネット社会の今なお、メールやSNSを通じ、人々を魅了し、惑わせるうわさは、新たに何をもたらしているのか。人間関係をうわさから描く意欲作。


我々を魅了して止まないうわさ話。どこそこの誰々がどーしたとかこーしたとか、飽きもせずやってしまうものだが、近年はソーシャルメディアの普及で、うわさを回避して過ごすことの方が難しくなってきている。本書はメディア論、コミュニケーション論を専門とする著者が「もっとも古いメディア」うわさに迫った新書だ。
関東大震災の際に悲惨な虐殺を引き起こしたデマや、1973年の豊川信用金庫取り付け騒ぎ、さらには3.11時に発生した様々な噂まで、古今東西さまざまな場所、媒体で広まったさまざまなうわさ(本書では狭義の噂話やデマ、流言、ゴシップ、都市伝説、風評などをまとめてそう定義する)の事例を取り上げる。
うわさに関する古典的文献から研究論文、統計などを多用し、うわさが拡散するメカニズムや、社会的な効用についての考察をまとめた一冊だ。派手さに欠けるがクオリティは群を抜いている中公新書だが、本書はその期待を裏切らないデキとなっている。

本書が繰り返すのは、うわさが既存の人間関係内で広まっていく、ということ。それは情報の伝達という手段であると同時に、うわさを伝える相手とのつながりを確かめる儀式(「ここだけの話なのだけど…」という枕詞!)でもある。
うわさは何らかの不安の具現化であったり、無意識に抱く差別意識の現れ、納得できない事実を正当化するための道具として生まれることもある。巻末で紹介される、3.11の被災地で広まったとされる「千葉のほうに記憶喪失で流れ着いて、暮らしている人がいる」といううわさが、何とも切ない。被災者らが大切な人の死を乗り越えるための「喪の仕事」として、このうわさは共有されたではないかと筆者は推測する。


読み進めていくと、うわさを考えるということはそれが通るメディアを考えることにもなることがわかってくる。つまり、本書はうわさ論であると同時に「メディア論」なのだ。
うわさの質はそれが乗るメディアの変容によって変わってきていると指摘する筆者は、後半でチラシやマスメディア、専門とする携帯電話、メール、ネット、ソーシャルメディアなどでのコミュニケーションで流通するうわさについて、展開していく。ネット上での情報のカスケードや、炎上騒動をあつかった書籍はこれまでにも何冊もあり、重複する内容もある。が、蓄積された個人情報が都合よく切り貼りされ、新たにうわさが増殖するネットの様を評した「うわさの貯蔵庫」は、言い得て妙である。一方、ネット上のうわさは拡散が早い分、事実が突き止められて収束していくのも早いのだそうだ。


筆者が本書で口酸っぱく言うのは、うわさを広める人々が単なる愚か者であるとは限らない、ということだ。流れてきた情報の正否は個人レベルで「合理的に判断する」ことはほとんど不可能であるし、情報を過小評価したがゆえに危険に巻き込まれる「正常化の偏見」の恐れもある。そのように指摘した上で、情報の真偽についての「あいまいさへの『耐性』」をつけることを、巻末で訴える。


参考文献は広範にわたり、史料的な価値も高い。「堅実な仕事」という言葉がぴったりで、岩波新書で知識人の感傷的なエッセイを読むよりずっと実りがある、と思う。
「うわさ」でレポートを書くことになった学生が読むのにはちょうどいいし、そうでない人も手にとって損はない。冒頭で書いたとおり、われわれは誰も、うわさのテリトリーから逃れることはできないのだから。誰もがこの本の当事者なのだ。