いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】一〇年代文化論/さやわか

一〇年代文化論 (星海社新書)

一〇年代文化論 (星海社新書)

気鋭のライターさやわか氏による、2010年代論。2014年の現在にもう10年代を語るのかという疑問に、筆者は「はじめに」で早速答える。筆者によると、各年代の文化とされるものは、その数年前から萌芽を見せているという。すなわち、2010年代の文化の芽は、2007〜10年の当たりに出ていた、というのだ。本書はそうした筆者の「予言」の「答え合わせ」なのだ、と主張している。


具体的には、「残念」という語の意味の変化だ。筆者は、本来ネガティブな意味で使われていた「残念」という言葉が、2007年前後からネットを中心にポジティブな意味で使われ始めた、と指摘する。「残念なイケメン」や「残念な美人」といった風に、長所と短所という「矛盾したものを合わせ持つ状態を全体的に、長所として認める姿勢」(p.53)が現れている、というのだ。

2章以降は、ボーカロイド初音ミクを巡る二次創作や、ライトノベル僕は友達が少ない』、アイドルのPerfumeももいろクローバーZといった若者文化の考察がなされていき、各章読み応えがある。
「残念」との関係の薄さが気になるのだが、要するに、イケメンや美人に「残念」をつけることに象徴されるような逸脱(例えば、人に打ち明けにくい趣味や言動)をすることへの寛容さが現れている、という点では一貫しているといえるかもしれない。


こうした「残念」の思想はしかし、オタキング岡田斗司夫が主張するくだらないものを「あえて」愛でるという旧来の「オタク族」の生態とも違うという。「残念」とは「清濁合わせ飲む」ことなのだ。

「残念」をオタクやサブカルなどそうした狭い枠組みの中で起きた局所的なものだと、筆者は捉えていない。「残念! さやかちゃんでした!」のような「『何とも言えない、微妙な気持ち』を呼び起こすものが、いま人を惹きつけるようになっている」(p.186)と、社会全体に拡散する時代の感性として大きく捉えようとしているのだ。


以前読んだ『僕たちのゲーム史』では、筆者による丁寧な言説分析が披露されていた。本書は対照的に、推論や印象論が多く危なっかしくもあるが、その背景には強い野心も見え隠れする。
10年区切りで文化を語るなんて無意味だしバカげている――そんな批判に先回りして、筆者はあくまでも歴史は虚構であると断っている。
けれど、本書でその指摘が意味するところは、至ってポジティブだ。『僕たちのゲーム史』が過去の歴史を読み解く一冊であるならば、本書は今まさに進行しつつある2010年代を、言葉を駆使して歴史に作り替える試みといえる。そんな、言葉の強い推進力に賭けた一冊だ。