いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】就活生にみせたいインド映画第1位「きっと、うまくいく」

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目黒シネマリニューアル1発目の回で、インド映画「きっと、うまくいく」を観てきた。
なんでも本国インドで史上1位の興行収入をうちたて、なんとあのインドアカデミー賞にて史上最多16部門を獲得したらしい。
不思議な昂揚感に満ちた、よい映画だった。

国内有数の工科大に入学した3人の若者を主人公にしたミュージカル映画
韓国やインドというのは、日本を凌駕するハイパー学歴社会のようなのだけれど、実はそういった事情もこの映画を作られせたようだ。
生まれた瞬間(!)にエンジニアになれと父親に厳命されたファルハーン、家が極貧で自分が就職して稼ぐしか術がないラージュー、そして、そんな「〜すべき」「〜しなければならない」という「正しさ」に雁字搦めになった2人の前に、とらえどころのない自由人・ランチョーが現れる。
そして、そのランチョーの口癖こそがタイトル「きっと、うまくいく」なのである。


新入生らに大学の学長は、敗者になるなと競争原理を盛んに焚き付ける。大学で他の学生を蹴落とし、大手企業に就職するというライフコースのみが「勝利」なのだ、と。

でもランチョーは、その競争原理にのらない。なぜなら、学長のいう「勝利」は、彼にとっては多くの価値観の一つにすぎないからだ。
反対に、学長の近視眼的な「勝利」を体現したのが、優等生のチャトゥルだろう。自分の成績向上を目指すのでなく、ある方法で他の学生の成績を落とそうとする彼は、学長の提示した物差しに執着し、それを倒錯的に体現しているといえる。彼には、大学に「外部」があることがまるで見えていない。
ピンチに陥った時、ランチョーはいつも「きっと、うまくいく」と唱え、「別解」を模索する。「正しい道」から外れたって、いくらでも「抜け道」があるんだと、彼は語っているように思える。そう、彼のいう「きっと、うまくいく」とは、「きっと、抜け道はある」と同義なのだ。


ぼくはこの映画を、現在進行形で就活をやっている学生に観てもらいたいと、心底思った。
就活は基本的には孤独との戦いで、落ちれば落ちるほど心はすさみ、ものごとを冷静にとらえられなくなる。ひょっとして、自分だけが「正しい道」をはずれようとしているのではないかと、そんな不安に駆られる。それはさながら、追い詰められたファルハーンやラージューの姿なのである。
けれど「きっと、うまくいく」は、就活をやめるという決断をせまるものではない。あくまでも「きっと、抜け道はある」と気に留めておけば、もっと気楽に事に臨めるのではないか。それはさながら、鶴見済が「自殺は簡単」という価値観を提供することで、かえって生きやすくなるという目論見から『完全自殺マニュアル』を著したのと、同じように(例えがキワどすぎる)。


邦題もよい。「きっとうまくいく」ではなく、「きっと、うまくいく」。一拍おく後者には、前者にどうしても漂う切迫さが減ぜられているように感じる。共感されないかもしれないが、「きっとうまくいく」と言う人はうまくいかなかったときに怒ってきそうだが、「きっと、うまくいく」と言う人は結果はどうあれ言った相手を思いやってくれているような気がする。
実は以前に原題「3 Idiots」に準じた「3バカに乾杯!」という邦題で上映されたことがあるそうで、この3人の仲睦まじさに焦点をあてたタイトルで悪くない。悪くないのだが、この映画が言わんとしていることをより深く体現しているのは、やはり「きっと、うまくいく」の方だと思う。


「きっと、うまくいく」というが「うまくいきすぎではないか?」という批判もあると思う。もっともである。
この映画で主人公たちの身に降りかかることは、たいていうまく解決される。ミュージカルということもあいまって、そこらへんは気づきにくいが、たしかにご都合主義の誹りは逃れられないだろう。正直なところ、主要3人に関してはうまくいきすぎて、最終的には社会的ステータスがインフレぎみだ。
けれど、この映画に関しては、それはそれでいいのではないか、とも思う。なにもすべての映画が人生の底なし沼を覗き込み鬱になる体験を提供すべき、というわけでもあるまい。明日からまた頑張ろうと思えてくるような、養命酒になる映画があったっていいのだ。


われわれが生きるうえで、なんらかの「物差し」の上で測られることはほとんど不可避であるし、また相対主義を貫き続けても、何も得るものはない。
ある物差しの上である程度は奮起するだろうが、同時にその「物差し」を相対化するもう一人の自分、いわば「心の中のランチョー」を、抱いていたいものである。