いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ためしに観てみた深作欣二の映画がめちゃくちゃおもしろかった件

先日、友達と映画の話をしていて、「そういえば深作欣二って観たことないんだよね」という話になった。その帰り、最寄りのブックオフによって物色していると、たまたま03年の深作欣二追悼号の映画秘宝を見つけ、渡りに船とばかりに買ってきて読みふけった。実際に観てみようということで、読者投票で第二位にランクインしていた『県警対組織暴力』をTSUTAYAで借りて、初めてじっくり観てみた。

とくに深作作品を観たことがない人に聞きたい。深作欣二についてどのような印象をもっておられるだろう。タララ〜♪タララ〜♪のあのおなじみのサントラとともに菅原文太松方弘樹ほか血の気の多い連中が怒声を挙げながらドンパチやる……そのようなイメージのもと、たいして観もせずに「そっち系の映画」として安易にくくってはいなかっただろうか。実際に観てみるとそのイメージ、まちがってはないのだが。しかし、なんでも観もせずに決めつけるのがよくないと、今回あらためて思った。これがめちゃくちゃおもしろかったのである。


県警対組織暴力』は、倉島市という架空の街(といっても劇中で使われる方言は、ネイティブのぼくでさえ少し意味のわからない箇所があるほどのこってこてな広島弁)を舞台にした映画だ。大原組組長のお勤めを待つ組長代理の広谷を演じる松方と、市警の久能を演じる菅原文太が主演。

しかし、観はじめて数分して「は?」と思った。というのもこの映画、『県警対組織暴力』とは名ばかりで、警察とヤクザがズブズブの関係なのだ。そう、この映画は、タイトルまんまの対立構図が描かれるような映画ではなかったのだ。
久能は、新興の組への襲撃事件が広谷主導したものと知りながら、部下の組員を身代わりに出頭させてるように便宜を図るなどして、彼を擁護する。しかし久能は単なる悪徳刑事というわけでもないらしい。泥酔したときに広谷に介抱されるシーンでわかることだが、久能は広谷の男気に、男として「惚れている」のだ。
またそれは、久能と広谷という個々人間だけの話ではない。前半で山城新吾演じる新米刑事を従えた久能が、広谷率いる大原組の面々と和気あいあいと飲んでいる名シーン。

広谷 わしも警察に入っとりゃまぁちっと花が咲いとったかもしれんのう
久能 お前らにこんな安月給つとまるかい
佐野浅夫演じる老刑事 極道じゃ警察官じゃいうて、変わりゃせんよ。仁義のかわりに法律がものいうとるだけで、中身いうたらよ、みんな就職にあぶれた売れ残りじゃけぇ。
広谷の部下 そういうならわしらじゃって集団就職の売れ残りじゃけんのう
キャバレーの女 うちらじゃってそうじゃもんねー!!

ここで示されているのは、戦後混乱期の「売れ残り」――言い換えれば「虐げられた者たち」――である彼らが、官憲やヤクザという立場を超えてある種の共闘しているということだ。

では、タイトルにある「対」の向こうに来るのはだれか。彼らが本当に敵対しているのは誰か。一言で言えばそれは「権力」だ。そのことは、映画後半で県警から派遣される梅宮辰夫演じるエリート刑事の存在によって、より先鋭化していく。そう、この映画は単なるヤクザものというジャンル映画ではない。「虐げられた者」(マージナルな存在)と中央権力の対立という老若男女、アニヲタもそうでない人もみんな大好きなめちゃくちゃ燃える展開のエンタテイメント映画なのだ。

強大な権力の前に、松方弘樹のひっぱる組は次第に追いつめられていく。そしてクライマックス、一度は立場を超えて分かり合えるかもしれないと淡い期待をももっていた菅原文太に、訣別を決定的にする言葉を吐き捨てて、彼は散る。それを吐き捨てられたときの菅原文太の、何とも言えない寂しげな表情が、この映画のクライマックスにふさわしい――反面そのあとのエピローグ的内容は蛇足にも思えたが。


お前ら空砲撃ってんのかというくらい人に当たらないピストルなど、不満な点がないこともないけれど、今の日本映画となら比べるまでもない。ルーキーズとかみて友情友情いってるまえに、お前ら仁義を学べ!しばらくTSUTAYAで深作充してみたいと思う。