いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】FEAR X フィアー・エックス

『ドライヴ』で知られるデンマーク出身の監督、ニコラス・ウィンディング・レフンが2003年に撮った初の英語での作品。主演のジョン・タトゥーロが、何者かによって妻を殺害されたショッピングモールの警備員ハリーを演じるサスペンス映画。


タトゥーロが『バートン・フィンク』に出ていたこともあるのだろうけど、序盤はコーエン兄弟っぽい渇いた感じが印象的。『バートン・フィンク』といえば、安ホテルが重要な舞台になっているのも共通する。
けれど、コーエン兄弟のようなユーモアはなくて、その代わり、レフン作品でよく流れるあの曲とも言えない曲みたい謎の重低音が流れていて、あ、やっぱりレフンの映画なのだと引き戻される。そして、大したことは起きていないのに、どことなく不気味さが漂うのである。
登場人物の動作やセリフ回しが妙に緩慢というか、独特の間をもっているところも、のちのレフン作に通じるところがある。


身ごもの妻を失い、失意のどん底にある彼は夜な夜な、殺害現場でもあるショッピングモールの防犯カメラの映像を目を皿のようにして鑑賞し、その映像をキャプチャーしては収集するという、意味があるのかどうかわからない偏執狂的な捜査にのめり込んでいく。
そんな彼が、夢の中において妻が入っていった実在の隣家に侵入し、あるフィルムの切れ端を見つける。ここから彼、それから鑑賞者は、レフンが作る現実なのか幻覚なのか判別が付かない魔境の中に引きずりこまれていく。


重要なのは、彼がいわゆる妻の「仇討ち」をしたいわけではないということだ。そうではなく、彼が欲するのはなぜ妻が殺されなければならなかったのかという理由である。
そうしたとき問題は、妻の死が「理由ある死」(必然だった)であるより、「理由なき死」(偶然だった)のときである。前者ならば悔いることも怒ることも可能だが、後者の場合はわれわれはその喪失をいかにして受け入れればいいのだろうか。

しかしレフンはそういう話がしたかったわけではないようで、「まぁ、どっちにしろ奥さんは戻ってこないけどね」という具合に見事にちゃぶ台をひっくり返す。
映画のラストカットは、理由があろうとなかろうとどちらにしろ何も残らないという身も蓋もない結論を語っているかのようだ。



ところでこの映画、日本語の字幕がついた上でのソフト化はどうやらされていないらしい。Amazonにはなかったし、比較的コンテンツが豊富なSHIBUYA TSUTAYAでもレンタルされていないようだ(TSUTAYA DISCASやHuluみたいなVODでどうかは知らん)。
今回ぼくはヒューマントラストシネマ渋谷での特集で観たのだが、こちらも今月13日までの公開なのでお早めに!