いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

“上メセ”リベラリストが保守的な田舎にやって来た! 映画『ザ・プロム』が描く手厳しい視点

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2016年の大統領選において、ヒラリーが“差別主義者”トランプに敗れたのは、アメリカのリベラル派にとってトラウマ的な事象だと思われるのだが、ネットフリックスで配信中のミュージカル映画『ザ・プロム』はその視点もきちんと取り入れているところが関心させられる。

ブロードウェイの落ち目スター、ディーディー(メリル・ストリープ)と、バリー(ジェームズ・コーデン)、2人が主演したフランクリンとエレノア・ルーズベルト夫妻を描いた新作舞台はこてんぱんに酷評され、キャリアの危機に。そんなとき、中西部インディアナ州のとある高校で、同性愛者の生徒がプロム(高校で学年の最後に行われるダンスパーティ)に参加するのを保守的なPTAが反対。プロム自体が中止になるというニュースが飛び込んでいくる。

 エマというレズビアンの少女を助けなくては。ディーディーとバリーは仲間のアンジーニコール・キッドマン)、トレントを巻き込み、勢い込んで急きょ、エマに加勢するためインディアナ州に乗り込むのだった。

 

PTA集会が開かれている体育館に、誰に呼ばれるでもなく無断で入ってくるディーディーたち。いかにもなレインボーのプラカードを引っさげ、エマを差別するな、彼女も含めてプロムを開催しなさい、とディーディーは訴える。

 

ディーディーの主張は一見まっとうであるのだが、根底には、「私のような先進的な都会のリベラリストが、無知蒙昧で差別的な田舎者たちを“啓蒙”しに来てやったぞ」という“上から目線”がどうしても透けて見えてしまう。そのうえ、ディーディーには、エマを支持することで、本業のミュージカルでの失地回復を狙う、というきわめて自分本位で、打算的な狙いがある。

そう、日本人が大好きな言葉、BA★I★ME★Iである。

 

メリル・ストリープ演じるディーディーの、観ているこちらがヒヤヒヤさせられるほど戯画化された主人公の“エセリベラル感”は見事。当然、自分勝手で、口には出さないが透けて見える田舎に対する軽蔑心を含んだディーディーの言葉が、人々の心に響くはずはなかった。

 

原作のミュージカルは、初演が2016年8月で、この年の大統領選の結果を待たずして上演されたことになるが、この展開のとおりに歴史は動いてしまったことになる。リベラル派の言葉はトランプ支持者に響かなかったのだ。

劇中では、州検事の圧力によって、プロムは無理やり開催されることにはなったが、しかしそれは最悪な形の「分断」を作り出すことになってしまう。

 

もちろん、本作が描きたいのは「反動」などでなく、あくまでエマに寄り添う。ここで、本作は都会のリベラリスト/田舎の保守主義者、とはまた別の二項対立を立ち上げる。それは、マスメディア/ソーシャルメディアである。

 

新たなプロムをエマたちが開催することになった。それを告知するため、ディーディーは元夫のツテを借り、エマをテレビ番組に出演させることを画策する。しかし、これをエマは固辞。エマはあくまでも、自分の方法にこだわりたいという。エマは気づいているのだ。マスメディアという媒介を解することで、自分の本当にいいたかったことはどんどん歪曲されていく、と。

インターネットを通して、エマが自分のようにセクシュアリティで悩んでいる人々に語りかけるように歌う弾き語りの曲は涙を誘う。

 

紆余曲折を経て、ディーディーは改心するし、エマも恋人と結ばれ大団円であるが、ここまで読んでくれていた人が忘れてしまいそうなので一応もう一度言っておくが、この映画はミュージカルである。

 

メリル・ストリープ、ジェームズ・コーデン(ケータイショップ店員からオペラ歌手に転身した“シンデレラ・ボーイ”ポール・ポッツを演じたこともある)らが歌い踊る歌曲全てが高水準で、観ているだけで楽しくなってくる。

決して上記のような「意味」と「主張」だけが充満した堅苦しい映画でないので、ぜひ観てみてもほしい。