いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】愚行録




ラ・ラ・ランド」の上映までまだ時間があったので、極端な話、「時間つぶし」ぐらいの気分で入りましたが、いやはや観て本当によかった映画です。

妻夫木聡が演じるのは、一年前、閑静な住宅街で発生した未解決の一家惨殺事件を追う週刊誌の記者です。被害者夫婦の周囲の人間への取材で、夫婦の醸し出していた「幸せそうな家庭」のイメージとは別の一面が浮かび上がってきます。一方、満島ひかりが演じる彼の妹は、自身の娘を虐待で瀕死の状況に追いやり、勾留中。映画は、ふたつの事件を交互に描きながら進みます。『慟哭』の作者、貫井徳郎の長編小説の映画化です。

愚行録 (創元推理文庫)

愚行録 (創元推理文庫)


映画の中である登場人物が「この事件、悪魔かなにかがやったと考えたら、不思議と怖くないんです」(大意)と言ってましたが、まさにそのセリフが映画全体をとらえていると思うんですよね。「人殺し」の映画ではありますが、描いているのは「人」そのものの怖さです。

でも、その「怖さ」って、ぱっと見でわかるような類のそれではありません。なにせ、「勧善懲悪」というわかりやすさからは最も離れている作品なんです。
それはだまし絵のように、見る角度によって見えなくなってしまうような、微かなものです。そしておそらく「人間誰もが持っている隠しきれない部分」といえる。
つまり、見ようによってはみんな平凡な「いい人」に見えるし、見ようによってはみんな「怖い人」に見えるということ。そういう絶妙なラインぎりぎりのところで成立させているのが、この映画の最高にクールなところだと思う。


そうした胃の痛くなるような世界観がリアリテイを持つのは、出ている役者がみんないいからです。満島はもはや言うまでもないですが、小出恵介臼田あさ美中村倫也、あのあたりの中堅俳優陣が、みな、実在感のある「人の見ようによっては嫌な部分」を演じきっている。これが何よりも見応えあります。特に臼田は言いよどみとか、その魔性の唇に釘付けになってしまいました。

こういう映画を見ていると、結局ぼくらは「人よりも上か下か」にしか興味がないんじゃないか、という絶望的な結論を導き出してしまいそうになる。「いやいや、そんなことないよ」って、もっと他の善とか真理とか、それから信仰とかを頭上に掲げる人もいるかもですが、そういう人は「そんなことないよ」と否定する方法で人に優越感を抱いている節がある(そういうことを言うぼくは確実に性格が悪い)。

生まれが恵まれているかどうか、学歴があるかどうか、人脈があるかどうか…etc。ぼくらは常日頃から様々なステータスをリスト化して、どれかで相手を打ち負かせないかと虎視眈々と狙っている。たとえばそれは、冒頭のバスのシーンでも描かれます。ぼくが早くも心をつかまれてしまった場面ですが、席を譲るか譲らないか、どちらに非があるかないか、そんな些細な場面でも優越感ゲームは稼働し始めています。

満島の演じる妹の身にかつて何があったのか。そして、妻夫木が演じる彼女の兄で週刊誌記者の男が、なぜ今になって未解決事件を追いかけ始めたのか。全てが氷解する結末は、映画史に残る後味の悪さを味あわせてくれます。