いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

【映画評】永い言い訳

哲学には「主人と奴隷の弁証法」という言葉があります。一見、奴隷を奴隷たらしめているのは主人ですが、一方で、奴隷が主人を主人として崇めないかぎり、主人の立場も危うい。相補的な関係なのです。それは主人と奴隷の両者のみにみられる状況ではありません。たとえば「助ける者」と「助けられる者」、「世話する者」と「世話される者」。一見それは前者から後者への一方的な関係ですが、実は、前者が後者に働きかけることによってなんらかの「アリバイ」を手にしている、ともいえる。


本作、西川美和監督の最新作「永い言い訳」は、そのことを教えてくれます。主人公は、本木雅弘が演じる、書くことがなくなってしまった小説家、”衣笠幸夫”。鉄人・衣笠と同姓同名です。長年連れ添った妻との夫婦関係が冷え切っている。そんな妻が、幸夫が愛人とヤッているときに、事故死してしまう。


愛する人と死別することは、それ自体がとても悲しいことです。しかし一方で、自分が「愛する人」の死別を大して悲しんでいない、悲しめないことに気づくことも、実はキツいのではないでしょうか。幸夫が妻の死をきっかけに交流をもつのが、彼とおなじく妻を失った元野狐禅竹原ピストルが演じている陽一です。陽一は幸夫と正反対で、とにかく愛妻家です。陽一が妻との死別を受け入れられずにいる姿をみせることで、何の感慨もわかない幸夫は余計に孤立感を深めていきます。


そんな彼が生きがいを見出すのが、陽一の幼いふたりの子どもたちの世話です。トラック野郎で全国を飛び回る父親に代わり、幸夫がこの兄妹を世話するのですが、その光景がとにかく和ませてくれます。その光景があるため、観る前にあった映画への印象をだいぶ変わります。なんだ幸夫、思ってたよりいいやつじゃん、と思えてくる。ただその光景に和まされたら和まされた分、そのあとにきちんと指摘される「欺瞞」にも心を打たれると思います。幸夫がやっていることって、結局は妻への罪滅ぼしの何者でもないんだと。


愛すべき人を愛す前に亡くしてしまうこと。それは、「死んだあとに愛する」のでは文字通り手遅れです。映画のクライマックスの光景は、そうした手遅れな人がせめてできる「言い訳」なのではないか、と考えさせられます。