いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ブラピがカッコよすぎ! 『ワンハリ』160分を余裕で耐え抜ける圧倒的な魅力

f:id:usukeimada:20190919091617j:image

◾️ 「シャロン・テート事件」だけの160分ではない

 クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開されてほぼ3週間が経つ。

 1969年のハリウッドを舞台とする本作では、実際に起きた「シャロン・テート事件」を題材としており、この事件を予習しておいた方がよい、ということはすでに多くのメディアで伝えられていることである。
 ただしそれは、「予習してから観た方が分かりやすい」といったレベルではない。本作は全体がこの事件に向けて構造化されており、事件とその背景を予め知っておかなければ、タランティーノが何をしたかったかも分からないし、映画の鑑賞後感そのものが変わってしまう。事件をこの映画の鑑賞前に知っておくことは「予習」などでなく、「必須科目」だ。


 一方で、本作は約160分もある。それだけの長丁場が、実際に起きた事件1つで「保つ」わけではない。また、これだけの話題作で、すでに無数の観客がSNSなどに感想を書き連ねている以上、まだ観ていないが「ネタバレ」を食らってしまった、という人もいるかもしれない。
 
  しかしぼくは、「映画の結末」を知っていてもなお、この160分を完走するに値するもう1つの価値があると考える。
 つい先日も、約半年間、視聴者の興味だけをこれでもかと引っ張っておいて、散々な終わり方をしたテレビドラマがあったが、ああいう作品に怒り狂っている人は、ぜひとも、本作で「プロセス」の魅力を享受してほしい。
 
 この映画のクライマックスとは別のもう一つの魅力とは何か。それはブラッド・ピットである。結末を知っていようと、本作は彼を観るためだけに足を運ぶべきといっても過言ではない。

 

■ 史上最もカッコいいブラピ

 この映画のブラッド・ピットは、文句なしに、圧倒的にカッコいい。

 本作で演じるのは、レオナルド・ディカプリオが演じる落ち目のハリウッドスター、リック・ダルトンのスタントダブル(専属スタントマン)、クリフ・ブースだ。
 
 このクリフがどれほどカッコいいか。ブラピの演じた役でどの役が好きか、というのはファンの間で意見の分かれる問いだが、多くの人は『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンを支持することだろう。このクリフのかっこよさは、おそらく、そのタイラーに比肩する。

 それは感染性の魅力だ。例えば、本作にも登場するブルース・リーを劇場で初めて観て衝撃を受けた当時の多くの子どもたちが、彼の真似をして口をとがらせて、鼻先をクイクイッと親指でこする仕草をしたことだろう。あるいは、ドラマ『踊る大捜査線』がヒットした際に青島刑事の緑のモッズコートがバカ売れしたように、あるいはドラマ『HERO』がヒットした際、街中の男子が久利生公平と同じ色のダウンジャケットを着込んだように…。クリフのカッコよさは、そんなふうに感染力が高い、まねをしたくなるかっこよさなのである。もちろんまねしたところでキマるわけではなく、その多くは悲惨な結果になるのだが…。

 

■ 勇敢でワイルドな頼れる「アニキ」

 映画の冒頭で、早くも多くの観客は彼にハートを射抜かれてしまうだろう。
 ディカプリオ演じるリックのキャディラックを運転し、バーを訪れたクリフ。そこでリックはキャリアの曲がり角を感じ、ひと目もはばからず泣きじゃくる。クリフと反対に、リックはとにかく映画中、ずっとクヨクヨしてばかりいる。ハリウッドスターにありがちな精神的に不安定なキャラクターである。

 それをなだめるのは、立場上はリックの「部下」に当たるクリフである。クリフは自分の胸に抱かれるようにしてうぉんうぉん泣くリックに対し「駐車場で泣くな。あんたはスターだろ」と叱咤する。このように、映画では局面でクリフがリックの精神的な支え、アニキ的な立ち位置に立つ。
 その後、高級住宅街にあるリックの豪邸まで、キャディラックで送り届けるクリフ。調子を取り戻したリックが「成功したら、まずを家を買え」と上から目線のアドバイスをすると、はいはい、とばかりに聞き流すクリフ。ボスを送り届けた後、彼が帰りに乗るのは同じキャディラック、ではなく、使い古され、水色が褪せたフォルクスワーゲンである。
  
 ここで観客は「ああ、クリフは貧乏なんだな…」と察するわけだが、その直後、彼は、ボスを安全に送り届けていたときとはまるで別人の獰猛な運転で、夜のハリウッドを疾走し、仮住まいのようなキャンピングカーに戻るのだった。

 

 このシーンがとにかくシビれる。そのあとも、かすかでも「悪」の匂いを感じ取れば、危険を顧みずに飛び込む勇敢さや、売られた喧嘩はついつい買っちゃうやんちゃな一面など、クリフの魅力的な場面は幾度となく訪れる。

 クリフはボスのリックに対して、揺るぎない忠誠心を持ち続ける。しかし、それは彼の心根までをリックに売っぱらったことを意味していない。仕事にあぶれぎみで貧乏ではあるが、そんなことでは彼の高貴な自尊心と野性味は少しも曇ることはない。ほら、こういうときにぴったりの日本のことわざがあるではないか、「ボロは着てても心は錦」だ!

 体もムキムキマッチョ(ブラピ、50代に見えない!)。性的な魅力を全身から発散しているが、年若い少女からの誘惑はスマートにかわす。ちゃんと現代的にチューンナップした「魅力」だ。ワイルドでセクシーなクリフだが、欲望に任せて簡単に女を抱いたりはしない。


■ クリフがカッコいい「映画的な理由」

 なぜ、ここまでクリフはカッコよく仕立て上げられたのか。それはブラピがカッコいいからだろ、と言われたらそれまでだが、もう一つ、本作がやりたかったことと関係する、つまり「映画的な理由」がある。

 冒頭で書いたように、本作は「シャロン・テート事件」という揺るぎない現実を扱った作品である。一方で、クリフ・ブースという人物は実在しない。彼はまったくのフィクションであり、もっと言えば、「理想」の象徴である。本作がやろうとしているのは、現実を「こうであったらいいのに」という強烈な理想で塗り替えていく作業なのだ。そのためには、並大抵のフィクションでは駄目だ。圧倒的な、目もくらむようなフィクションでなければ。だから、彼はカッコいい、いや、カッコよすぎるのだ。
 
 そして、現代のわれわれが彼に魅了されてしまうということは、今の現実と理想の「差分」をも伺い知ることができる。「現実にこんなカッコいい男はいない」からこそ、われわれは魅了されてしまうのだから。現在、悪名を轟かせ続けている世界の最高権力者が、彼と同じ金髪の白人男性というのは皮肉すぎる話だが。

 
 とにもかくにも、勇敢なタフなクリフと、カッコいいけどすぐ泣いちゃうリックの2人がイチャイチャしているのを眺めているだけで、160分間、まったく飽きることない映画体験で、個人的にはタランティーノ作品で一番好き。
 あなたがもし、ドラマや映画の価値を最後数分の結末のみで測る人だとしたら、本作でプロセスの魅力に酔いしれてほしい。そしてクリフ・ブースという女も男も惚れてしまうキャラクターに圧倒されてほしい。