いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

他人の結婚を祝うことについて

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今年の元日に放送されたNHKの特番で、星野源がこういうことを言っていた。

社会的なハッピーエンドとか、社会的な幸せっっていうものは本当にどうでもいいと思っていて。ハッピーエンドとか幸せって自分の中にしかないと思ってるんですよ。

例えば、結婚するってことをハッピーエンドにしたりとか。その形が目標になってしまっているときがあったりする

なんかそれって、本当にハッピーなのか? っていつも思うんですよね。

 

2021年1月1日放送『あたらしいテレビ』より

 

この部分に深くうなずいたのを覚えている。換言すれば、「自分の喜びまで社会に差し出すな」ということである。

星野源がもし、自分自身の結婚が「社会的なハッピーエンド」にラッピングされて、おぞましい狂乱の祭りが巻き起こっている様を目にしたとき、このとき言った言葉を一瞬思い返すかもしれない、昨日、ふとそう思った。

結婚を報告する彼の文章を読むと、たしかに「とても嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです」というコメントは入れている。しかし、それは最低限の儀礼的なもので、全体としてはとても落ち着いたトーンの、平熱の文章で、上記の引用部分の印象と重なる。

 

結婚したって幸せとは限らない。

人によっては、自分が「結婚した」ことをうまく喜べない人だっているだろう。もしかしたら、結婚したときより、長年苦しめられた魚の目や巻き爪、水虫(なんで全部足関連なんだ)が完治したときのほうが喜びが上だった、という人もいるかもしれない。すべての結婚を一緒くたにして、祝福すべきものとするその圧は恐ろしい。

決まってそういうやつに限って、自分が勝手に祝っておいた結婚が不倫やなにかで破綻したとき、先頭に立って叩き始めるではないか。いったいどういう神経をしているのだろう。

 

別にこれは、「結婚は人生の墓場」だとか「人間は判断力の欠如によって結婚し~」という、おっさんめいた世間知をひけらかしたいわけではない。ただただ、「結婚したからって幸せかどうかはわからないよ」と言いたいだけなのだ。

 

そういう考えだから、ぼくもあるときから友達がSNSで結婚したことを報告しても、安易にお祝いのコメントを送らなくなった。「いいね」すら押さなくなった。ただ指でタッチするだけなのに、である。我ながら大した偏屈である。

背景には「お前の結婚、お祝いするに足りるものなの?」という気持ちがある。もし「祝ってください」と強要されたらしぶしぶ祝うだろうが、「本当にお祝いするほど幸せなの?」とは聞いてみたいかもしれない。

 

ここまで読んで「でもやっぱり結婚はお祝い事だしぃ? とりあえずおめでとうって言っておくのは損じゃないんじゃない?」と思う人がいるならば、その人数が本邦における話が通じない人の現存数なのだと思う。