将来東大卒医者の妻ゾ
ってTikTokで彼女がイキっとるの見て今すぐ別れようと決意した
別人かもしれんて3度見してもうたわ
スカッとジャパンな上記のようなツイートがバズっていた。東大医学部の5回生らしいが、現在、鍵垢になっている。
以前にも、このブログでは「年収2000万円だと打ち明けたら彼女がゼクシィを買ってきた」というネットの投稿を取り上げたことがある。
かつて、心理学者・フェミニストの小倉千加子が「結婚とはカネとカオの交換」と喝破して以来、こうした状況はあまり変わっていないのではないか。
男性の高スペック(収入、貯蓄、肩書、スキル、名声など)を、女性が顔や容姿で交換する。いくら男女平等が叫ばれたとて、平均年収で男が女にダブルスコアに近い差をつけている現状、「ジユウレンアイ」というかわいくおしゃれなデコレーションを施したとしても、包丁でザクッとさばいた結婚の内実は、依然、「カネとカオの交換」にすぎないのかもしれない。
しかし、ここで男を高スペックと低スペックに雑に二分すると、両者で事情が変わってくる。両者の間に自由恋愛をめぐって不思議な逆説が生まれてくるのだ。
低スペック男は年収も肩書きもスキルもない。ほめられるものがない。守るものがない。誰にも愛されない。死んだほうがまし。それだけに、恋愛市場ではさんざん辛酸をなめるはずである。
けれど、そんな状況でも恋人ができたならば「こんな俺を好きになるなんて…」と、それを「真実の愛」が錯覚できるのである。
一方、高スペック男から見える世界の景色は、低スペック男から見えるそれとは全く別のものになる。「この子は本当に“俺”が好きなのか? 俺の肩書きが? 俺の年収が? 俺の勤め先が好きなだけじゃないか??」。彼らは引く手あまたかもしれないけれど、そこから「真実の愛」を探す苦労がある。
「好きな人と恋愛し、結婚する」という「恋愛結婚」は、そもそも、愛という不確かなものによって根拠づけられる。それゆえに、スペック(魅力)の過多は、とたんにその根拠を不確かなものにする。
もちろん、あなたの恋人は「私があなたを思う気持ちは真実の愛よ」と必死に訴えるかもしれないし、それを信じることができるかもしれない。相手がTikTokをしていないかぎりは。
しかし、この話のみそは、「これが真実の愛かどうか」ということなどでは毛頭ない。第一、「真実の愛」なんて証明しようがない。もし証明できるとすれば、それは離別か、死別したあとかもしれない。
重大なのは、「真実の愛である、と錯覚しやすいかしにくいかどうか」なのだ。低スペック男は高スペック男に比べると、この錯覚への道が見晴らしよく開いている。何も気にすることなく、「錯覚」することができるのである。
一方、高スペック男は違う。富と名声を得て、虚飾にまみれた彼らには、「真実」と錯覚しにくい状況があまりにも揃いすぎている。もしそんな状況でも快適に生きられるとしたら、それは、「真実の愛などない」とはじめから割り切れる人物ぐらいだ。
持ち得るものが少ないゆえに「真実の愛」を信じやすいという環境。それはわれわれ低スペック人材の持ちえる貴重な財産なのだ。