というわけで、実は離婚していたのである。
離婚はおろか、まさか結婚できるなんて思っていなかったので、離婚させていただくなんて光栄だ。自分が離婚できるなんて思ってもみなかった。
そんなことで、本稿は「最近離婚した者による離婚の雑感」である。なお、ここから以下の文章は、このブログでも始めて元妻に「原稿チェック」をお願いしたので、あとになって醜い争いに発展することはないだろう。
離婚は疲れる
離婚するまで、離婚がここまで疲れるとは思ってもみなかった。
ぼくらの場合は、二者間での結論はすぐについてしまった。まるで、次の家の壁紙の色を決めるよりも早く、簡単に決まったと思う。
大変だったのはそのあとだった。双方の実家への報告だ。
離婚は二者間の問題であって、どこぞの皇族や華麗なる一族の政略結婚でもないかぎり、二者間以外は何人も干渉できないはずである。
しかし、現実には依然、「イエ」の問題としてとらえられているふしがある。うちもご多分にもれずに、双方の実家から反対活動にあった。そもそも、双方の実家には分かってもらう必要はなく、ただ、「離婚します」という報告ですむはずだったのだが、それでも猛烈な引き止めにあった。
その過程で双方の親も精神的にかなり消耗しただろうし、ぼくら夫婦、もとい元夫婦も精神的に疲弊した。
もちろん、結婚するときには、それなりに責任を持っていたはずだった。結婚が双方のイエとイエとのつながりである(と思われている)こと、恋愛のように軽々しく別れられないということ、重々承知で、それ相応の覚悟をもって踏み切ったはずだった。この人ならば、まあ一生やっていけるだろうな、というぐらいの気持ちはあった。
しかし、やはり、結婚してみないといろいろ分からないこともあるもので。それを指して「覚悟が足りなかった」と言われるのだとすれば、それまでなのだが。
離婚はバンドの解散に似ている
この問題の過程で、うちの離婚は、バンドやアイドルグループの解散に似ているかもしれない、と思ったことがある。夫婦=バンドととらえればいろいろ説明がしやすくなる。
ぼくらが離婚する理由は、どちらかの不倫やなんだという人様をワクワクさせるような劇的な部類のそれではない。今後の夫婦の方向性をめぐって折り合いがつかなかったわけだが、これはバンドで言えば「音楽性の違い」に該当するだろう。
また、これは人気バンドに限定されるが、本人たちが解散したがっていたとしても、人気が出てしまったらなかなか簡単には解散できなくなる。彼らの活動を通して仕事にありついている関係者や、心の支えにしているファンは容易には解散させてくれなくなる。
これは、ぼくら元夫婦になぞらえれば、前述したような「イエ」であるし、ぼくの周囲にいた「別れないほうがいいよ」と言ってくれた少数の友人に該当するだろう。
「離婚しない」のサンクコスト
イエとイエに気を使い、ガマンして結婚生活を続ける選択肢もあるのだろう。
しかし、たぶんそれだと「なんで離婚したいのに離婚できない人生なのだろう」、あるいは「なんで自分と離婚したがっている人と離婚できない人生なのだろう」という疑問がふつふつと湧いてくるはず。利己的なことに関して、ぼくら元夫婦は似かたよっているのだ。
それにお互い、まだ20代と30代である。ここでダラダラ続けるより、スパッと解消してよかったという気もしている。サンクコスト(埋没費用)というやつだ。
わずか3年弱の結婚生活だったが、大半は穏やかに暮らせていた。裏を返せば、結婚の一番旨味のある部分だけを味わい尽くした、という気もする。最高の部位だけ、贅沢に食べ尽くしたのだ。
もちろん、ぼくらの離婚がかなり特殊なケースであることは心得ている。円満離婚だし、二度と顔を合わせたくない、次会ったときは殺すとき、みたいな関係になったわけではない。それだけは、離婚の神様に感謝してもしきれない。
自分で離婚をバンドの解散になぞらえておいて言うのもなんだが、自分たちの「解散」が敬愛するユニコーンの比較的円満な解散に似ていなくもないのではないか?と、謎の誇らしさを感じることもある。
もちろん、ユニコーンみたく「再結成」する気は、ぼくらにはサラサラないけれど。
最後に、ぼくにとっての離婚の数少ないメリットを伝えておきたい。独りぼっちにはなったけど、同時に、誰よりもぼくのことを知る親友が勝手に1人増えたこと。それが何よりもの財産なのだ。