「1000年に一人の美少女」こと橋本環奈さんが、インスタグラムでの偽物対策としてアカウントを開設したそうです。
私、Instagramしていません!
— 橋本環奈 (@H_KANNA_0203) 2018年1月14日
偽アカウントがあるそうで見てみたんですが、私本人だと思ってコメントして下さってる方もいました。
その方々のコメントが見れないのは悲しいので、オフィシャルを作りました。
撮影のオフショットなどをマネージャーさんが載せます。
更新率は高くないと思いますが。笑 pic.twitter.com/wx9bPhz0eW
特に橋本さんのファンでも何でもないぼくは、何の気なしに流れてきたツイートの文言をながめて、膝を打ちました。それは「偽アカウントがあるそうで見てみたんですが、私本人だと思ってコメントして下さってる方もいました。その方々のコメントが見れないのは悲しい」という理由説明の部分です。
橋本さんは、偽アカウントを作られるのが迷惑という単純なことを言っているんじゃない。
実際は迷惑なのでしょうが、もっと踏み込んだ本質的なことを言っています。彼女は自分宛に送られたメッセージが自分に届かない、ということを嘆いている。
橋本さんの発言が思い出させてくれるのは、SNSのアカウントなんてただのデータでしかなくて、重要なのはその先に血の通った送り手と受け手がいるということです。当たり前ではありますが、このことは何度アンダーラインを引いても引きすぎることにはなりません。
というのも、このことはSNSを使い慣れていても、否、使い慣れていればいるほど勘違いしがちだからです。
ほら、よくいるじゃないですか。自分はフォロワーが何千人、何万人いるんだとかフォロワー数は人格だとかなんだと言って威張り散らす人。恥ずかしいですよね。アカウントにそれ以上の何かを感じ始めた時点で、偶像崇拝が始まっていますよ。
でもSNSなんてただのツール、アカウントは導線でしかないんです。その先にいる人が何を考え何をするかとは実はほとんど関係ないってことですよ。
だからこそ、SNSをやっていて傷ついた人には「気にすんな」ってことも言えるし、一方で不用意な使い方をしている人には「気をつけろ」ってことも言える。
ぶっちゃけ、「コメントが見れないのは悲しい」という表現は橋本さんが考えたものか、彼女のスタッフさんが考えたものかはわからないです。もしかしたら、以前からアイドル界隈では普通に使われているのかも?
いずれにしろ、この表現を作った人は恐ろしくSNSの本質を理解している人なのだということです。