いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ぼくの理想の職場は”学校”だった

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別に大晦日に書くようなことではないのだが、30年と少し生きてみて、本当はもっとずっと前に薄々気づいていたが、ただ、でもそれが事実ならちょっと辛すぎる、嘘であってほしい、と思っていたことが、ここ最近確信に変わりつつある。

 

それは、ぼくが労働に向いていないということだ。基本的には働きたくないのである。これは約7年ほど働いてみて分かったことである。

 

逆さにして振ってみても、労働意欲のしずく1つ垂れてきやしない人材である。とりあえず、言われたとおりに職場に行き、3分に1度「早く帰りたい」と思いながら仕事をする毎日である。

 

ただそれでも、昔はもっと楽しく働けていていたという記憶がある。それはおそらく前職でアルバイトだった時代だ。

そこには、社会通念の通じない頭のおかしなメンバーが揃っていて、楽しくワイワイがやがややって、時間がくれば「じゃあねー」と言って三々五々帰っていく。

まさに「学校」みたいな職場だった。

働いていたのではない。あの頃のぼくは「学校」に通っていただけなのだ。

もちろん本当の教育機関ではない。あくまでもそれは、ぼくの中の概念上の「学校」であるが。

 

勘違いしてほしくないのは「学校」も無条件に良い場所ではない、ということ。ぼくが子どもの頃だって、基本的には学校も「早く帰りたい場所」だった。

 

ただし、「じゃあ明日から来なくていいよ」と言われれば困る。友達に会えなくなるではないか。

一番の楽しみは「学校でみんなと会って『早く帰りてえなあ』とボヤきながらタスクをこなすこと」だ。一見矛盾しているようであるが、元来人間とは矛盾をはらむものではないか。

怖い“先生”も必要だ。完全な自由が不自由であるのと同じで、怖い先生の目を盗んで、仲間とワイワイやるのが楽しいのだ。

 

前職が「学校」でなくなったのには、単純な理由がある。ぼくが契約社員になってしまったのだ。困ったことに、ぼくのような人間でも多少は仕事ができてしまうのだ。

 

もちろん社員になったら給料も増えたし、裁量はグッと広がった。

でもぼくは大きな喪失もしていた。

契約社員になったぼくにとって、会社は「学校」でなくなったのだ。

 

アルバイトや外部のスタッフの管理をしなければならない。新しい企画を練らなければならない。忙しくてつまらない。同等でなくなったアルバイトの友達に「早く帰りてえ」とボヤくこともできなくなった。これが一番大きいかもしれない。

 

かくして、それまで「学校」という皮を被っていた会社が、むき出しの会社としてぼくに迫ってくるようになったのである。

 

会社は変わったけど、今も会社はあのころのような「学校」に戻ってくれない。  もうあんな感覚には戻れないのかもしれない。